先日パクチーハウスに来られたお客さんから嬉しい言葉を頂いた。
「ここにいる人は飲食店に来ているとは思えないほど皆笑っている」
食事の場所には笑顔がほしい。家庭でも、学校でも、職場でも、レストランでも。会社員時代、自らの食事を"エサ"と呼ぶ人がいた。初めて聴いたときのショックは忘れられない。大学に入って一人暮らしを始めた日、一人で外食したことのない僕は店に入る勇気もなく、スーパーの前に出ていた屋台で広島風お好み焼きを買って下宿に戻って一人で食べた。その寂しさは想像を絶した。
一人旅をしている最中、他に旅人に会うこともなく、現地の人とも言葉が通じず、孤独な思いをしたことは何度もある。でも、食事の時間は楽しみだった。小さな町の路地裏などに数人でもお客さんがいる店に入る。メニューを見せてもらっても読めないか意味が分からないので、他のお客さんの食べているものを観察する。気に入ったらそれを注文、うーんと思ったら厨房に入れてもらい鍋の蓋を開ける。言葉も出ず、身振り手振りながらなんとか自分の注文を決めた頃には、僕はその店のスタッフともお客さんとも親しくなりかけている。好きな場所に座れと言われるが、一人で座ることは許されない。言葉も通じない人たちの、グループに加えられる。
毎度毎度、食事の時間は楽しい!と心から思えた。目の前に出された食事を恐る恐る口に運ぶと、周りの目は好奇心で満ちている。僕がそれを美味しいと感じたかそうでないかは、表情としぐさですぐわかるだろう。美味いといえば満面の笑みになるし、アレッという顔をしたら他のテーブルから別の料理が届けられたりする。そんな温かい歓迎で旅人の心は安らぐ。お腹が落ち着くと、会話が始まる...というか質問攻めだ。どこからかコミュニケーションに長けた人がやってきて、僕との会話を皆に説明する。周囲は何か言うたびに「オー」とか「ヤー」とか言っては笑っている。
僕がパクチーハウスを作るときに思い浮かべていたのはそんなシーンだ。パクチー料理という新しいジャンルを作るからには、注文するときにどんなものか分からないと楽しいだろうと考えた。注文の過程でさまざまなコミュニケーションを生みたいと思った。当初メニューブックを2冊しか置かなかったり、一部のメニューの写真を掲載しなかったのは、旅先でよく分からない注文をしたときのドキドキ感を味わってほしかったし、一緒に来た人とこれから出る料理について思いめぐらせてほしかったし、また、隣の席が美味しそうな料理を食べていたらメニューブックを見なくても指さして「それ」を注文してほしかったからだ。
パクチーハウスで、お客さんが見ず知らずの隣人に料理の感想を聞いたり、料理を勧めて分け合ったりしているのを見て、僕はいつも幸せな気分を感じている。ちょっとしたきっかけで会話をした後は、空気が和むし、食事の場がより一層楽しくなる。店のスタッフがお客さんを楽しませることも必要な要素だが、お客さん同士が気軽に話せる場所づくりがより重要だと考えている。日本の公共の場所ではほとんどそうでなくなっているけれど、"話かけてもいいコンセンサス"のある場所だと認識されたい。
パクチーハウスは、パクチー料理というほかにはない料理を出すことで、来ること自体を非日常的に感じてくれている人もいるだろう。知らない人と楽しく時間を過ごすのも、最初のうちは非日常的な特殊な出来事かもしれない。でも、僕は旅先で見つけたスゴイ瞬間を日本にそのまま持ち帰ることで、暗い日本社会を明るくしたいと思っているので、本当の狙いはお客さんが非日常と思って体験したことを、日常に持ちこんでくれることだ。せっかくお金をかけて外食するなら、食事に加えてもっといろいろなものを楽しんでほしい。
30年前に比べて、外食の機会は大幅に増えた。外食産業の成長という捉え方も一面ではできるが、作る手間を省くとかそういうケチな視点でとらえていては心が貧しくなる。外食は旅だ。そこには新たな発見がある。だから外食をすると、みんながすごく笑顔になる。パクチーハウスでもっともっとたくさんの笑顔を作って行きたい。