2007年2月28日

07年2月の読書記録

例によって、書評ではありませんので悪しからず。

鈴木海花、中山珊瑚『チェコA to Z―+プラハ旅日記Real Czech』(ブルースインターアクションズ、2006)
チェコには5年半前に訪れた。友人訪問が目的で、滞在期間中にしたことといえば、ビールを飲むか、ビールを飲むか、ビールを飲むか…ぐらいだった。が、この本でチェコの魅力を知り、すぐさま渋谷のチェコ料理屋「カフェ・アノ」へ。チェコに行きたくなった。

ノーマン・カズンズ『笑いと治癒力』(岩波書店、2001)
「病は気から」。正しいと思う。この本はそれを実例をもとに証明している。科学としての医学を否定しているのではない。それが万能だとする風潮に疑問を投げかけている。重病にかかったことはないが、風邪などで治療を受けたときに感じる疑問…。この関連では、キューブラー・ロスの著作を読んだとき以来の感動を得た。

宮本輝『星々の悲しみ 』(文芸春秋、1984)
家にあったので読んでみた。日常をの風景をするどく切り取っている。なので、ありふれた風景なのに、ものすごく印象にのこる。小説家はすごいと思わせる作品。

カレル・チャペック(訳:飯島周)『チェコスロヴァキアめぐり 』(恒文社、1996)
上述の『チェコAtoZ』を読み、東京唯一のチェコレストランに行き、チャペックの作品を初めて読むことにした。土地についての記述は、想像力が追いつかなかった。行ったことのある場所などで、ときおり“なるほど”と思わせるところも。しかし、読み進めると引き込まれていった。第4章「あいさつ」で著者が述べていること――この作家のものを見る態度と、ものを書くときの謙虚さに感服した。

カレル・チャペック(訳:飯島周)『園芸家の一年』(恒文社、1997)
上の本と同じ日に図書館で借りた。300以上の植物名が出てくるので、著者は素人の域を脱した園芸家だったのだと思う。植物の名前をそれほど列挙されてもさっぱりわからない…。しかし、この本の面白さは園芸をする/しないにはなかった。園芸家の特徴やこだわりを、コミカルに描いている。チャペックという人の、他の本も読んでみたいナァ。

木原武一『父親の研究』(新潮社、1999)
第一子誕生を前に、弟がくれた本。幸田露伴やJSミル、カフカなどが、どのような父親を演じたか/どう父親と接したかが書かれた本。いずれも極端な事例だが、今後子どもと接するにあたって非常に参考になった。著名人の家族との係わり合いを描いた面白い本。

金子光晴『人よ、寛かなれ』(中央公論新社、2003)
子どもを徴兵から力づくで守った父として、上記『父親の研究』に取り上げられていた人。金子光晴のことは全く知らなかったが、この本を読んで非常に興味を持った。30年近く前に亡くなった人だが、自分の信念を貫いて生きたこの人の文章は、戦前のことについての記述を含めて、古さを全く感じさせない。

鮫島浩二『わたしがあなたを選びました』(主婦の友社、2003)
長男誕生の数日前、美紀にもらった本。赤ちゃんが、自分たちを選んでくれたというストーリー。アマゾンの書評欄では厳しいコメントが多いが、子ども誕生を前にした人は手にとってほしいと思う。

金子光晴『アジア無銭旅行』(角川春樹事務所、1998)
すごい旅だ。戦前に著者のような旅をしている人や、東南アジアを拠点に蠢いている日本人がいたんだなぁ…。

山本譲司『累犯障害者』(新潮社、2006)
自分の知らない世界が、自分のすぐ近くにある。最近、検察の手法や裁判制度について何かと話題になっているが、その陰で隠れた人のことを書いた本。タブーとして覆い隠されているため、当事者と直接の関係者にしか明らかになっていない事実。しかし、すべての人が自分が住んでいる社会の実情として知っておく必要があると思う。衝撃を受けた。

柴崎友香『きょうのできごと』(河出書房新書、2000)
何気ない会話が最初から最後まで続いていく。大学生のありがちな日常。オチが読めてしまった…。そういうところに“共感”する人もいるんだろうな…。

リービ英雄『最後の国境への旅』(中央公論新社、2000)
聞いたことはあったが、何の人かよく知らなかった。図書館でたまたま目についたので読んでみた。言葉の使い方と観察力が非常に印象的。日本人として、日本のことをもっと見て、もっとよく書きたいと思った。著書の他の本も読んでみたい。

森達也『世界が完全に思考停止する前に』(角川書店、2004)
1年半前にたまたま縁があって森さんにインタビューしたときから思っていることだが、この人の言葉の使い方はとても丁寧だし、すごく率直だ。話しを聞いても、どの本読んでも同じことを言っている人だ。だからこの人の作品は、出るたびに読みたいと思う。

山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学』(光文社、2005)
かつてのベストセラー。ブックオフで105円だったため、購入。会計学の本ではないが、読み物としては結構面白かった。

柴崎友香『フルタイムライフ』(マガジンハウス、2005)
実体験は貴重だが、それには時間がかかる。本の価値は、それがフィクションであれ、ノンフィクションであれ、“人”の体験を、自分のものとして擬似的に味わうことができることだと僕は思う。何気ない日常を書く著者の作品は、それゆえ僕には物足りないのかなと思う。

久恒啓一『図で考える人は仕事ができる』(日本経済新聞社、2002)
臨時デスクとして他記者の原稿を見ているとき、文の論理構成が分からないときに図を描いていた。接続詞の使い方がうまくて長い記事を書く記者の文章が、どうして読みにくいのかは何度読んでも分からなかったが、図解してわかった経験がある。図を描くことの重要性やメリットがいろいろあるのだということをさらに教えてくれた。この本に書かれたことを実践してみようと思う。

森達也『日本国憲法』(大田出版、2007)
タブーって、確認せずになんとなくごまかしてしまうもの。それを検証することが、本当は必要なんだと思う。森さんの素直な視点は天皇や憲法へ。“怖い”と感じることがあっても、スタンスが変わらないところはさすがだと思う。憲法はなぜ修正じゃなくて、改正されようとしているのか。言葉の意味も含めて考え直そう。

⇒過去の記録:
 07年1月

子どもの視点

僕の両親が4番目の孫:慧に会うため、広島に来た。
赤飯や鯛のほか、“ハチの人”が送ってくれた鹿児島焼酎「丹田」などで、慧の誕生を祝った。本人はすやすや寝ていた。

祖父母と

一瞬、みんなが出かけているタイミングがあり、慧が揺り籠で寝ている横で、炬燵の傍で親父と黙ってそれぞれ本を読んでいた。32年ほど前、同じような光景があったのだろうかと思うと不思議だ。

子どもの視点に立つと、一世代(30年)飛ばしてものごとを考える必要に迫られる。僕が父で、親父が爺。なんとも不思議な感覚だ。僕が“爺”になるとき、慧は何を思うのか。“爺”を目の前に、人事のようにそれを考えた。

2007年2月27日

初めての…

驚異的な回復力により、1日早く退院した。

病院ではいろいろ指導&ヘルプしてくれるので、とくに父親は楽。会いに行くのがすべてといった感じだった。しかし、連れて帰った今日から約20年(?)は、すべてを2人で世話をする。

初めて慧を沐浴させた。両親学級で沐浴の練習をしたときは「沐浴っていうと、どうしてもガンジス河を思い出すんだよね」なんて言いながら余裕をかましていたが、実際やってみると大変。服を脱がせると大声で泣くし…。まぁ、初回にしてはよくできたかな。お湯につけると気持ちいいのか、すごく大人しくなる。
(というわけで、今日の沐浴中は全くガンジス河のことを思い出さなかった)

沐浴

では、これから、初めての“川の字”してきます。おやすみ。

2007年2月26日

抱き方

母:美紀は、「2人目ですか」などと、赤ちゃんの扱いに慣れない新米母親仲間から言われるらしい。抱き方が随分さまになってきており、慣れている人と思われるようだ。

父:恭も、いろいろなあやし方を覚えている。教科書通りの抱き方ではどうもしっくりこないのだが、慧の表情を見ながら、どうすればいいか自然に分かってきた気がする。

抱き方

2007年2月25日

命名: 慧(けい)

生まれたばかり、初めて対面したとき、
大きく見開いた目が印象的だった。
情報が氾濫する時代、些細な物事に心を奪われず、
その目で真理を見極めてほしい。
本質を見通せる立派な男になれ。

慧

“真理を見通す心のはたらき”という意味を持つを、美紀と恭の間に生まれた新しい命の名前に選んだ。

2人の最初の子として男子が生まれたら、父:恭の名に含まれる「心」を含んだ漢字を選びたいと思っていた。「慧」という字は、名前の検討を始めた最初のころに候補に挙がった字だった。常用漢字、人名漢字のリストを何度も見て、その度に漢字の少なさに驚き、中国の昔の偉人は意味などから漢字を作ったというエピソードを羨んだりした。最初のころに出会った「慧」という字は、ずっと心に残っていた。

生まれてすぐに、慣れない手つきで赤子を抱き上げたとき、しっかりとしたまなざしで父を見つめる子の姿があった。「慧」を直感的に候補とし気にかけていたことが、正しかったと確信した。

慧

妊娠が分かってしばらくした頃から、この子のことを「くるみ」と呼んでいた。「お腹の子」という呼びかけ方をずっと続けるのもおかしいね、という話しをした頃に、エコーで見たときの大きさが胡桃ぐらいの大きさだったこと、そして母:美紀が胡桃が好物で、愛着がわく名前であることからこう呼び始めたのだ。いつの間にかすっかり自然に「くるみ」と呼びかけるようになった。

「くるみ」がこの世に生を受けたその日から、「慧、ケイ、けい」と呼び始めた。最初はその名をかみしめるように、そして7日目の今日には、この名がすっかり定着している。

「慧」という字は、以上のような理由で選んだのだが、名づけた後で面白いことに気づいた。

その漢字の中に、母:美紀の名が存在していた。

慧

お七夜

朝から墨をすって、十何年ぶりに書道の真似事をした。

子どもが生まれてから7日目なので、名前を筆で書いてみようと思ったため。友人ボブが強く「筆で書け」と勧めてきたので、いっちょやってやろうかと。

命名

筆で字を書くのは難しい。ただでさえキーボードをたたいてばかりいて、ボールペンで書く字も崩壊しつつあるので、なおさらであった。しかし、綺麗に書きたいという願望は強い。先日、薬剤師の友人宅で、元厚労相の方の毛筆によるひどい署名を見て、悪筆は恥ずかしいと強く思った。これを機に練習するか…それとも子どもが少し大きくなったら一緒に学ぶか…。

半紙に書いたこの作品は3日間の期間限定版(だからぼかして撮った)。月末、僕の両親が初めて子どもに会いに来てお祝いしてくれるのだが、そのときに母(婆ちゃんになるのか)が色紙に書いて持ってきてくれる。

2007年2月24日

今日もいい笑顔

我が子は午後3時から4時ぐらいまでは、いつもパッチリ目が覚めている。昨日は大人しく両親を見つめていたが、今日は朝から母乳飲みまくりの末、この時間大騒ぎだった。

まず、よく泣いた。そして、オムツ替えをしようとしたら、開放感に誘われておしっこを…。自らの肌着をたっぷり濡らした。

昨日から本当によく笑う。意識してるかどうかは別として、やっぱり嬉しい。

笑顔

さて、今日で丸一週間病院に通ったことになる。平日は母子と看護婦以外はほとんどいないので、「旦那さんは赤ちゃんにベタ惚れですね」ということになっているらしい。母:美紀が個室に滞在していることもあり、僕自身も非常に居心地がいい。

今日は子どもと添い寝をしてみた。新生児の小ささが、この写真で良く分かるでしょう?

父子~サイズの違い

2007年2月23日

百面相

新生児は1日の2/3を眠って過ごすという。

寝ている間も含めて、いろいろな表情をする。昨日ほとんど一緒にいなかったこともあってか、今日は激写しまくった。100枚も写真を撮ってしまったよ…。

百面相

ものの本によると、赤ちゃんは“意味のない微笑み”をするという。楽しくて、というわけではなく、寝ている間に笑顔と同じ表情になったりするということらしい。

“意味のない”と名づけたのは誰だろう。理由がどうであれ、いや、理由などなくても、微笑を浮かべる子どもの顔は親にとって嬉しい。僕の顔を見つめた後に、浮かべた笑顔に、意味がないことなんてあるだろうか。

幸せな気分のまま、今夜は高校時代からの友人と久しぶりに酒を飲んだ。子どもの名前、ぽろっと言ってしまうつもりだったんだけど、「まだ発表しないんだっけ、早く言っちゃえよ」みたいなことを言われ、もう少し黙っていようかなと思った。

2007年2月22日

母子の絆

朝と夜だけ、子どもの顔を見に行った。

授乳など、苦労は絶えない。父親としては、残念ながらできないことも多いが、泣いているときに「よしよし」と抱いて、寝かしつけられただけでも嬉しい。

母:美紀の体調もかなり回復してきたので、父:恭は母子をおいて、神辺(福山の先)に出かけた。美紀は高校時代から、僕も2001年の花見で知り合ってからの親友であるコヤクミの実家を訪れるため。ポーランドからコヤジも帰ってきている。彼女もまもなく出産を控えている。無事に元気な子が生まれますように!

神辺は思っていたよりだいぶ遠かった。新幹線では24分だが、バスなら2時間、電車でも100分ほどかかるのだ。「同じ県だし…」と、特に深く考えずに行くことを決め、出発してから遠さを認識した。

母子の絆

夜6時半過ぎに戻ると、子と格闘して美紀はやや疲れた様子。でも、新しい経験をいろいろし、母子の絆もどんどんできているみたい。写真は、母の指を握る子どもの手。お父さんもよろしくねぇ~(^へ^)/

2007年2月21日

思い出の布を使ったおくるみに包まれ…

泣くときは思いっきり。

赤子

今日は朝から長い時間を子どもと一緒に過ごすことができ、喜びを感じながらも、何度かオロオロしてしまった。何をどうしていいか、分からないことが多い。

昨日は控えめに泣いていることが多く、なかなか声を出さないなと思っていたら、今日は顔を真っ赤に染めて、大きな声で泣いた! 将来、人前で大きな声を出すこともあるだろうし、その調子で行けよぉ。

母も元気!

もちろん、母:美紀も元気。渋沢の両親が送ってくれた花束に喜んで、写真を撮った。子どもはすやすや寝ていた。今日から、美紀特製のおくるみにくるまれて幸せそう。

インド製の布を使ったおくるみにくるまれ、同じ病院にいる赤ちゃんたちの中で異彩を放っている(と両親は思い込んでいる)。この柄に見覚えのある人いますか? 長野・立科で行った結婚披露パーティーのときに、内装に使ったものです。

みなさま、メールや電話、書き込みなどどうもありがとう! 名前についての質問が多いですが、もったいぶっているわけで(笑)、お七夜の25日に発表します。すでにほぼ決まっており、その名前で呼んでるのですが…。

2007年2月20日

でこぽん兄弟

いやぁ、よく寝ている。

でこぽん兄弟

父、母どちらに似ているかはいろいろ意見があるし、顔立ちはこれからできていくのだろう。ただ、父母の共通点であるデコの広さはしっかり受け継いでいるようだ。それを記念して撮った一枚。デコポン兄弟。

2007年2月19日

長男誕生!

2007年2月19日(月) 午後8時ちょうど…

初の対面!

待望の長男誕生。今日から3人での日々が始まる。この湧き上がる喜びは、言葉では表現し難い。昨年6月から、この日が来ることを分かってはいたが、その瞬間から感じるものは想像をはるかに凌ぐものすごいものだった。心が熱く燃えた!

2007年2月 8日

一本締めでひとまず終了

連日、挨拶と飲み。日々こなすべき業務がなくなると、したいこと、会いたい人がどんどん出てきて、却って忙しくなることに気づいた。いろいろな人と話しをして、刺激を受けまくっている。

さて、7日に隣のリストラチームI君が企画した3チーム合同飲み会があり、そこで(あまり親しく仕事をしなかった人を含めて)大人数で最後の飲み会をした。そして翌8日、皆に声をかけてニュースセンター跡地(と呼ぶのは悔しいが!)に集まってもらった。

関連するメンバー・元メンバー全員に連絡したところ、一本締めをすることに、疑問を呈し、冷静さを欠いているという意見も頂いた。しかし、突然解散を宣告され、メンバーがそれぞれの思いを語ることなくバラバラになっている状況を思うと、とにかくなんらかの形でケジメをつける必要がある。僕のワガママではあるが、皆が幸先のいいスタートを切るために必要なプロセスだ。

メールでの遠隔参加3人を含め、一本締めの場にいたのは12人。僕が感想を述べた後、編集長に締めてもらった。六本木ヒルズの38階の乾いた空気に小さく響いた一拍。今後、このメンバーで仕事をすることはないだろうが、1万本に迫る数の記事をともに作った仲間との2年間は忘れない。ありがとう。

2007年2月 5日

チェコ料理店「カフェ・アノ」

東京で唯一というチェコ料理店「カフェ・アノ」に行った。渋谷から徒歩8分のところにある落ち着いたいいお店。たったの8分で、こんなに静かなところに行けるのか。渋谷嫌いが克服できそうだ。

特においしかったのはカマンベールチーズをオリーブオイルとハーブで漬け込んだ「チーズのマリネ」。こういうのを食べたかったんだよ。隠れ家的な存在として、今後も利用したい。ただ、ビールを含め、けっこうイイお値段なんだよねー。こういうところはガンガン飲んではいけないのだろう。(実はおごってもらいましたが…有難うございました)

会社を離れることになってから、自分の考えをまとめたり、チャンスを広げるため、ほぼ毎日いろいろな人と会っている。今日は約2年お世話になっている先輩が、仲間を紹介してくれた。自分の知らない世界を知っている人と会うのは面白い。そして、そういう人と何か一緒に仕事ができることは幸せだと思う。やりたいことが多すぎる。

2007年2月 4日

ベビーカーを押してみる

弟の家にベビーカーを取りに行った。1歳半の姪と5時間ほど遊んだ。これまで何度か会っているが、これだけ長い時間接したのは初めてだなぁ。随分慣れたし、そろそろ覚えてくれただろう。

約1時間電車に乗って、自宅まで帰った。ベビーカーを押して歩くのって結構大変だ。空のまま運んでいるから、なんか絵的にもヘンだった。

いよいよあと1週間だ。

2007年2月 3日

展覧会とライブな1日

前の晩、結構飲んだのに2日酔いにはならなかった。よかった。ただ、徹夜はやっぱりきつい…。バスや電車では、座った瞬間に爆睡してしまった。

午後、渋谷パルコの地下にあるギャラリーの「サラーム!イランの絵本とクラフト展」を観に行った。同展は、以前インタビューしたことのある、ペルシャ語翻訳家の愛甲恵子さんらが開いているもの。(14日まで)

愛甲さんは、昨年3月から5カ月でイランの絵本5冊を翻訳した人。イランに行ったときには絵本など見たことなかったが、彼女が訳した本を見て、そのシュールさにひかれた。日本のかわいらしい絵本もいいが、別の文化の絵本も、子どもには読ませてあげたい。(というわけで、すでにフィンランド、メキシコ、台湾などの絵本をうちにそろえてある。その他の地域のも募集中!)

愛甲さんと役者のまんたのりおさんという方が、訳本の1つ『ごきぶりねえさんどこいくの?』を朗読していた。愛甲さん、朗読もできるんだなぁ。個人的には、一節を愛甲さんがペルシャ語で読んでくれたところがよかった。久しぶりに懐かしい響きを聞いたよ。また、日本で制作をしているイラン人陶芸家の作品があわせて展示してあるが、これまで見たことのない焼き物のスタイルに感激してしまった。もう一度見に行くかも。

一旦、家に帰り、昼寝して東北沢へ。いつも通っている駅だが、降りたのは初めてと思う。メキシコの著名アルパ奏者チューチョ氏がプロデュースしているというミュージックカフェTepitoに行った。目的は、中国の二胡と中米のアルパの一風変わったユニット「ALPHA」のライブを聞くため。

この2つの組み合わせはすごくイイ。奏者のキャラもいいが、印象的な音色を持つ2つの楽器が融合していくさまが美しい。これからも多くの曲を聞かせてほしい。

最後の食事会

ライブドア・ニュースセンター最後の食事会から飲み続け、徹夜した。

記者・デスクのコミュニケーションの場の1つとして月1で食事会の開催を始めてから10カ月。思わぬ形で、打ち止めとなった。「閉鎖」が決まった週の金曜日に、たまたまこの会が予定されており、さよならパーティーとなったものだ。

残念ながらここ数回、「全員参加」が果たせないでいたのは、チーム力の弱さを表していたのだなと感じる。1月末で今回の一件とは無関係に退職した記者がいて、その記者の送別会とするつもりだったが、「忙しい」という理由で不参加。閉鎖を受けてさらに2人が欠席を表明し、不参加率は過去最高になった。

最後だからきちんと顔を合わせ、これまでの振り返りと今後の野望について語り合いたいという思いが僕にはあった。しかし、突然の宣告や説明不足に対する不満もあるのだろう。全員でコミュニケーションを取る機会は、失われてしまった。個別にコンタクトを取ることにはなると思うが、不完全燃焼だ。

名残惜しさもあったのだろうか。来た人は全員2次会に行くという、これまでにない面白い結果となった。電車が終わっても飲み続け、僕は3人を引き連れて家に帰った。眠い目をこすりながら朝まで話し、その後泥のように眠った。

2007年2月 1日

週4回も…

12年も付き合いが続いている友人K1と、今週は4回も飲んだ。周りからのイメージが、アヤシイ奴からカッコイイ青年実業家に変わって来た男だ。彼は本質的には何も変わっていないと思う。夢のような話をしながら、前からずっと現実を地道に追っている。夢と現実の区別がついていないからか、スゴイことを平然とやる。

1、2回目はMIFA国際交流フェスティバルの初日反省会と2日目の打ち上げで飲んだ。忙しそうだったので、もともと手伝いをしてくれるスタッフには入っていなかったが、準備に追われていた先週木曜日に連絡をくれ、手伝うことはないかと聞いてくれた。レシピや価格表のラミネート加工など、「あると便利なもの」をさっと作って持ってきてくれ、非常に助かった。

3回目は、イラン料理屋「ざくろ」での食事会。この店に行くという話が急に持ち上がったらしく、「イランといえば…」ということで僕を呼んでくれた。ちょうど解雇通知の翌日だったので、赤裸々な感想を話した(と思う)。

そして4回目は、別の友人KKと飲む約束に、K1がジョインしたという形で。2日前に聞いた僕の話を元に、参考になりそうな資料をたくさん持ってきてくれた。さすが自分で商売をやって7-8年になるだけのことはある。いろいろな情報を持っているんだな。

こういう時期に、偶然4回もK1と会うことになったことに、不思議な運命を感じる。そろそろ何か一緒にやれるかな。

曜日を気にしない生活

曜日を気にしなくてよい生活が始まった。月曜日、僕が所属しているニュースセンターの閉鎖を突然宣告され、その2日後、それは終了した。あっけない幕切れだった。

ライブドアでは異例の不採算部門。設立当初から会社には定期的に事件や問題が発生し、強制捜査と社長の逮捕があった。内側から会社を報じたりしたこともあり、ニュースセンターを「良心」「生命線」などと表現する人もいた。それから約1年。取締役会で「不要」との判断が出たようだ。

現在行われている裁判の結果が出るのが3月。そして社名にHDSがつくのが4月1日だから、そのテの判断はその頃だと思っていたが、予想は見事に外れた。自社でコンテンツを作るという、以前は「強み」として説明されていたことが、取締役会で「弱み」とみなされた。今後のニュース配信はすべてOEM(説明のまま)で、とのことだ。

関連3部門の約25人は解雇。「本人の同意に基づいた会社都合退職」などと言われた人もいるようだが、言葉の違いに特に意味があるとは思えない。解雇を通告される場面には初めて遭遇したが、率直な感想としてどうということもない。言葉尻を捉えて非難したり、やり方を追求したりする人も中にはいたが、僕は解雇の条件を冷静に確認するだけにした。冷めてるのかな?社長のネクタイは緩んだままだし、事業部長は私服だし、緊張感のある現場ではなかった。

来週以降は、会社に出てこなくてもよろしいという指示も受けた。退職日は3月31日だが、それまでは「次のための活動」をせよとのこと。決まった時間に会社に行かなくていい。曜日にしばられない生活は嬉しい。

しばらく余裕のある日々が続く。もうすぐ生まれてくる子どもとより長い時間を過ごすことができるし、考え事をする時間もこれまでよりたくさん取れるだろう。このチャンスをどういかすか、まぁ見ていてください。