2006年8月19日

人道支援から平和を考える

盆の前後はニュースが少ない。大規模停電と“ヤスクニ”はあったが、週の後半はニュースセンターのメンバーの半分以上が常に在席しているという状況だった。一般的にこの時期はニュースが少ないと言われる。高校野球をわざわざ一番暑い時期にやるのは、夏のネタ作りのためだという噂もある。

僕自身も少しまとまった時間が取れたので、8月初旬に行ったインタビューと6-7月に取材したネタをまとめて、「人道支援から平和を考える」という特集記事を書いた。テーマを大きく設定したのでまとめるのに苦労したが、こういうのはやりがいがある。“事件”後、いくつかのニュースメディアがライブドア(サイト)へのニュース配信を停止したりということがあったが、最近提供元がまた増えてきた。ストレートニュースなどは提供元に任せ、人数の少ない僕らは「他が取り上げないニュース」「他とは違う視点」を提供するという本来の目的に集中できるのではないか。

今回の特集記事を書くにあたって、デスクからは「説明的に過ぎる」と何度か言われた。複数の異なるソースから得たものを分かりやすく伝えようと思って書いのだが、言葉を足しすぎたようだ。記事を書いていると、取材をしたことをできるだけたくさん盛り込みたいと思ってしまう。デスクから「ここは不要」と言われるのは悔しいが、すごく勉強になる。人に伝えるためには、取材した内容を“もったいない”と未練がましく残すべきではないのだな・・・。

コメント[3]

kyoさん、「人道支援から平和を考える」興味深く拝読致しました。多くの取材によって裏打ちされた議論のサポートによって、この分野に詳しくない方にもわかりやい内容に敬服します。

1点人道支援の現場で働いている身からコメントさせて頂きたくこちらに足を運びました。援助関係者の間でしばしば議論になる「公的資金」と「民間資金」の関係です。

人道支援の動機を「個人レベル」で考えてみると、記事にあったような医者としての原点に立ち返ることができる満足感、地球市民としての連帯感などを挙げることができると思います。活動の財源が「民間資金」であるかぎり、こうした人道支援は純粋に人間の「善意」として見て大きな誤りはないと思います。

しかし、「国家レベル」で考えて見ると、「公的資金」が投入されている場合というのは、人道支援の目的というのは「善意」のみではなく「国策」に沿った活動と言わざるをえません。つまり、日本のシンパを増やす、日本の国連常任理事国入りを目指すなど、日本政府としての目標と無関係でいられないと言えます。極端に言えば、「善意」では政府の多額の拠出金は動かずODA資金も動きません。

このように考えて見ると、「公的資金」と「民間資金」の人道支援財源における割合によって、純然たる「人道目的」であるのかどうかかなり疑わしくなるという感想を持っています。

ケンタ
(その2へ)

(その2)
僭越ながら私の団体のことを申し上げますと、弊団体では人道目的の地雷除去活動を行っています。商業目的ではない人道目的の地雷除去です。しかし財源は日本政府のODA資金(「NGO支援無償資金協力」と呼ばれるスキーム)です。財源が政府資金であるという事実を考えると、本来非政府組織であるべきNGOの政治的中立性はかなり危ういものになります。ODAの1道具であるという厳しい批判も甘んじて受け入れなくてはなりません。

反対に、記事に出てきた「難民を助ける会」は民間資金が多いことで業界では有名な団体です。民間資金の多くは会員からの寄付金やコンサートによる収益などだと思います。活動資金のほとんどがこうした民間資金から出ている団体は、NGOとしての理念を貫き通していると言えますし、その活動も人道支援であると言い切れるのではないかと思います。

日本のNGOが公的資金を取り入れる背景には、日本のNGOの財政的な弱さがあります。欧米のNGOと異なり、一部を除いて日本のNGOは資金集めが弱く、自己財源のみでは食べていく事ができません。

長々と書き綴り申し訳ありません。活動の財源から見る「人道支援の純粋性」についての批判という側面をお伝えしたくコメントさせて頂きました。ご参考までに読んで頂ければ幸いです。

お体にはお気をつけて。

ケンタ

(了)

民間資金と公的資金についての話も聞いたのですが、今回の特集では触れませんでした。今回はまとめきれなかったけれど、興味深いテーマなので引き続き情報収集します。

いろいろありがとう。アンド、よろしく!

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