2005年11月30日

ジャーナリスト

大学生の知り合いと話していて、将来の夢を聞いたら、「新聞記者」と答えた。「雑誌とか、ネットの記者は?」とさらに聞くと、少し嫌そうな顔をしていた。最近でも、日経新聞は東京ビッグサイト、朝日新聞は大学の校舎を借り切って試験をするほど、人気があるとその人は言っていた。

僕自身について言うと、新聞記者には特になりたいと思わない。同じ記事が新聞に載った方が、読む人も影響力も増えると思うが、文章を書くことを仕事または仕事の一部にしようと10年以上思いながら、新聞記者になろうと思ったことはない。

ふと、どうしてだろうと考えてみた。すると、大きな違いが見えてきた。それぞれの人に配られる紙に記事を書くのが新聞記者。それぞれの人が集まるサーバーの上に記事を書くのがネット記者。新聞で気になる記事はスクラップされ、簡単なメモとともに個人の手元に残る。ネットで気になる記事はコメントやトラックバックで一カ所にまとまる。多くの新聞社が現在、記事をネットに載せているが、根本的な発想が違うのかなと思う。

僕は、人を集めることが趣味の1つだから、分散系の新聞にひかれなかったのに、集中系のネットにはひかれたのかもしれない。ややこじつけかもしれないが。

最近久しぶりに連絡があった人に「どうしてジャーナリストになったの?」と聞かれた。ネット上で何かを伝える作業を始めてから10年ちょっとが経過したが、その作業をしながら報酬をもらえるというのが現在の仕事に応募した大きな理由。「ジャーナリズムを変える」と書かれた募集要項に、イギリスで考えたことがかなりの程度マッチしたのもある。

しかし、ライブドア・ニュースでの生活を始めた1年前が、ジャーナリストとしてのスタートではないと思っている。1995年8月に慶応SFCに通う友人にインターネットの存在を教えてもらい、何を書くべきかを考えた時から、それは始まっていた。

僕は旅の面白さ、すばらしさを伝えることを10年続けてきた。パブで見聞や情報を伝えたのがジャーナリズムの始まりと聞いたことがあるが、旅(ジャーニー)で得たものを伝えてきた僕は、まさにジャーナリストだったんじゃないか。サイトに残した文章だけではなく、飲み屋で語ったあのストーリーも、その活動のひとつだ。

そう考えると、ジャーナリズムの中立性という言葉が、どういう意味なのかわからなくなる。読む(聞く)方からすると、1つの統制された情報を得られるよりは、多くの情報・視点を得て自分で判断できるほうがいいということは言うまでもなく、伝える方は、独りよがりにならない程度に、その人の視点を伝えるのが本当ではないか。

(追記:12月1日)
こんな記事を発見。

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