ラオス

ヴェトナムの国境から歩くこと約20分で、ラオスのイミグレーションにたどり着いた。ラオスのイミ グレーションは高床式で、ヴェトナムとの違いを感じた。「ラオス人は正直だ」ということを、ラオ スに行ったことのある人は皆のようにいっていたのでかなりリラックスしていた。パスポートを渡す とすぐに入国のスタンプを押してくれ、「ああ、やはりもめることはないんだ」などと思っていた。 そしてパスポートを返してくれたとき、「入国税1500キップだ」といわれ、素直に払った。そのとき はスムーズに行けてよかったと思っていた。でもあとでサヴァナケットで会った日本人が言うには、 ラオスの入国税などないと言う。せっかくヴェトナムでボラれないように頑張ったのに、正直なはず のラオス人に騙された。まあ、これもいい思い出か。

まずはサヴァナケットを目指す。覚えたてのラオス語「ヤッパイ、サヴァナケット」(サヴァナケッ ト行きたい)をそこらじゅうの人に連発し、サヴァナケットに向かうバスまたはトラックを探す。し ばらく聞いていると、サヴァナケット行きのバスがまもなく出発することが分かった。乗ることにな ったバスは、トラックの荷台にイスを置いただけのトラックバスである。バスのうえには荷物が高く まで積まれ(もちろん僕のバックパックも屋根のうえである)、バスの中も荷物とラオス人であふれ ている。外国人は僕が一人だけ。みんなもの珍しそうにこっちを見ている。そんなラオス人の写真を とると「おー」という歓声(?)が聞こえた。

道路はどうかというと、穴だらけの舗装道もしくは未舗装の悪路である。特に穴だらけの舗装道はた ちが悪く、まだ未舗装の道のほうが揺れが少くてよい。途中の集落でときたま停車し、何人かの人が 乗ったり降りたりする。また、停車するとバスの横に人が群がり、いろいろなものを売りに来る。僕 が最も驚いたのは鼠を生きたまま売っていることだった。

バスに揺られているうちに、だんだんと夜になっていった。バスは昼の1時に出発したが、そのときは 暑いぐらいだったため、僕はTシャツ1枚でバスに乗っていた。だが日が落ちてくると、さすがに寒い 。トラックバスには当然窓などないし、荷物はトラックのうえにあるため上に何か着ることもできな い。体をうごかすスペースもないので温まらない。ひたすら耐えるしかなかった。眠ったら死にそう だったが、幸い(?)バスがめちゃくちゃ揺れるので、眠ることはできなかった。本当に辛かった。 その後トイレにも行きたくなって大変だった(僕は前のほうに座っており、入口は後ろに一つしかな かった。それに無理して出れたとしても、いつ出発するか分からないバスからはなれる度胸がなかっ た。)。この世の地獄のような気分を味わいながらも、バスはようやく、午後10時すぎにサヴァナケ ットに到着した。急いで宿を探し、丸太のように眠った。

翌日はゆっくりと市内をまわった。狭い都市である。マーケットも貧弱で、中心部でも人がほとんど いない。これがラオス第二の都市だというのは信じられなかった。

さらに次の日、この日はクリスマスイブだった。「去年のクリスマスイヴはソウルで迷ってひさんだ ったなあ」とおもっていたのでせめて少しでも華やかにと思い、首都のヴィエンチャンを目指すこと にした。ゲストハウスのおやじがヴィエンチャン行きのバスは朝4時すぎに一本しかないというので起 きるのが煩わしく、ヒッチハイクすることにした。バス停のそばに行って車を待つ。しかし車はほと んど通らないし、止まってくれる車は皆無に等しい。一台の車が止まってくれたが、「そこでしばら く待っていろ」というようなことを言った後、もう戻ってこなかった。2時間ほどしたとき嫌気がさし て、バス停で聞いてみた。すると何ということか、11時発のヴィエンチャン行きがあるではないか。 しかもたったの7時間で着くという。喜んでバスに乗り込んだ。

バスが出発した。道はそんなによくないが、出発して30分くらいしたときに、突然とてもきれいな舗 装道に変わった。このままなら本当に7時間で着くかもしれないという期待ができた。でもそんなに甘 いはずはない。10分も走ると、もうすぐできそうな舗装道の横を走るようになった。その道は工事中 の間だけ使われる仮の道であるため、まだ草木を切っただけのひどい道である。こんな道では立派に 日本の車検を通った車でも故障するだろうと思われた。

案の定バスはは壊れた。ギアが変わらないようだ。15分くらいで修理は完成し、また動き始めた。で も時速10kmもでないようになってしまった。200mほど進んで再び止まる。それから修理が始まる。午 後5次半だった。寒かったので焚火をし、同乗していたノルウェー人の女の子二人組と「最高のクリス マスだね」などと話していた。ラオス人たちは初めは陽気だったが、あまりの修理時間の長さによる 不安のためか、いつのまにかだまりこんでいた。結局バスは直らず、午後12時頃に近くを通ったバス に乗せてもらうことになった。バスの揺れは乗り換えても変わらないが、疲労のために少しは眠れた 。ヴィエンチャンに到着したのは、明け方5時すぎだった。バスターミナルの裏で朝9時まで眠った。 今年もいいクリスマスだった。

首都のヴィエンチャンも感じとしてはサヴァナケットと変わらなかった。マーケットの品数は少し豊 富だが、人は少かった。とても落ち着いている。

ヴィザや帰りの航空券の都合上、ヴィエンチャンには1日半しか入れなかった。国境のそばのブッダ パークというところに行き、よくわからない像を見たあと、オーストラリアの援助により施工された フレンドシップブリッジ(メコン友好橋)をわたり、タイに向けて出国した。


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