クエッタ駅に到着すると、すぐ近くにあると聞いていたムスリム ホテルを目指したが、地図も何も持っていない僕は、宿の位置どころか、 沈む太陽の方向を見てかろうじて方角がわかるのみであった。33時間と いう長い鉄道での移動で疲れきっていた僕は、ケチるのをやめて近くに あったリクシャーに歩み寄る。「ムスリムホテルまで頼む」「どこから 来たんだ、ジャパンか」「いいからムスリムホテルだ」「中国人だろう、 お前は」…こいつ聞いていないな、まったく…。こっちは疲れている というのに…。
「Rs40だ」
なんだ聞いていたのか。もう、疲れているんだから勘弁してくれよ。 えっ、Rs40だって?やけに高いな、遠いんだろうか。駅から近いって 聞いたような気がするけどなぁ。宿の位置もまったく分からないし、 頼りはこいつしかいない。でも、高すぎる。間違いなくボろうと している。ボっていなくてもリクシャーでRs40かかるような距離だったら もう行きたくはない。「もう、いいよ。駅前で探すから」うるさい リクシャーワーラーをおいて僕は歩きはじめると、「ノー、ミスタル、 ヴェリーファール。ノー、ディスウェイ」 遠いって? 方向が 違うって? ムスリムホテルはもういい。ホテルなんかどこだって いいんだ。こいつに付き合ったら精神的にも参りそうだ。そう思って 歩き出すと交差点の向こうにムスリムホテルが見えた。あらまぁ、 遠いこと。さすがにRs40かかるはずだ。まったくおかしな奴だった。 絶対にRs40以下にはしようとしなかったな、やつは。Rs20に値下げ してくれていたらまんまとひっかかったかもしれないのに…。
宿に荷物を置くと空腹を満たすために食堂を探した。ラホールでは ずっとパンジャブ大学の寮で他人任せの生活を送っていたので、パキスタン での単独徘徊はこれが初めてだ。実を言うとこの国の入国以来、 飯代を自分で払ったこともなかったので、物価の見当もつかない。 インドとさほど変わらないとは思うけれど、実際はどうなんだろう。 そんなことを考えつつ歩いていると、近くの大学の学生が話し掛けてきた。 「ようこそ、パキスタンへ。わたしはこの町にある大学の学生で法律を専攻 しており父は町外れの工場で…兄は、弟は…。」よくしゃべるやつだ。 疲れた身には長々とした話は苦痛の種としかならないが、宿も見付かり ほっとしていたし、ひとりでご飯を食べるのも味気ないので、 少しだけ彼に付き合ってみることにした。彼は僕が疲労困憊の状態に あることなんかお構い無しにしゃべり続ける。何を食べたいんだなんて聞き、 僕が答えるすきも与えずに聞いてもわからないような料理の名前を 際限無しに並べる。何も考えたくないのにイスラム教の話を滔滔とする。 ご飯をごちそうしてくれるのはいいんだけど、何なんだよ。 「うるせぇよ」もう少しで叫びそうになった時にぼくは はっ と気づいた。
まただ。自分勝手にものごとを解釈してせっかく人が施してくれる親切を無にしようとしている。自分では何でも見てやろうと好奇心を剥き出しにしているくせに、人から自分のことを覗かれそうになるとすぐに腹を立ててしまう。情けないなぁ。自分の感情をコントロールできないことをすぐに人のせいにして、相手も、自分も、不愉快な思いをしてしまう。マイナス感情の悪循環だ。疲労を増幅させているのは自分自身じゃないか。少し反省しよう。
そう思い返して、彼の話も聞いてみることにした。いくら反省してもやはり、うるさいなぁ、しつこいなぁ、と感じたことは正直言って否めない。なんで僕としゃべっているのに、僕の名前よりも「父親の名前」を先に聞きたがるんだ。近くを友達が通ったからといって僕の話の途中でなんでどっかに行っちゃうんだ。ささいなことではあるけれども、彼らの習慣には、僕らの文化では失礼にあたるようなことが多々あり、ときどき嫌な気分になる。それでも、ときどきムカっとくるけれども、ちょっとした反省がぼくの頭を冷やしていたため、「文化の違い」を受け止める余裕が多少は生まれていて、その「場」を楽しむことは十分にできた。食事が終わると、休息を取るためにすぐに宿に帰ろうと考えていたが、もっといろいろこいつともしゃべってみたいとも思っていた。すると別れ際、彼は僕の心を察するように「明日、この町を案内してあげるから…」と言い、翌朝10時に待ち合わせをすることにした。「インシャラー」彼はそう言い残して夕日のほうへ帰っていった。僕はちょっぴり明日を楽しみにしながら、宿に戻って死んだように眠った。
気付くともう、朝だった。ほぼ一週間ぶりにベッドで寝たためか、体の調子もとても良い。「すがすがしい朝」というのは今日みたいな日をさしていうのであろう。ふらっと宿を出て、散歩に出かける。1680mの高地にあるこの町は今が一番過ごしやすい季節である。微かな砂のにおいを感じながら、ひっそりと静まり返った路地裏を歩く。雲ひとつない空と乾いた地面は僕の心をうきうきさせる。俺はいまパキスタンにいるんだなぁ。なんともエキゾチックだ。今日も、屋台で買った冷たいきゅうりがとてもおいしい。 約束の時間になる。宿の庭先で芝生の上に寝転びながら、彼を待つ。乾燥したそよ風が優しく僕をつつみ、時間がゆっくりと流れている。周りには同じ宿に泊まるパキスタン人家族などがくつろいでいる。子供の甲高い声が、ホテルの壁にこだまする。本当に静かで、穏やかな時間。距離はそれほど離れていないものの、通りの喧騒とは見事に対照的で、その中に自分がいることが不思議な気がする。本当に幸せ。 …でも彼は、約束の時間から1時間半が経過しても現れなかった。
「インシャラー」。ふとそんなことばが頭に浮かんだ。まだ聞きなれないことばだが、イスラム圏に入ってから何度か耳にしたことがある。字義通りに解釈すると「神の思し召し」なんて意味になるのだが、僕らの文脈ではその意味ではしっくりこない。「さよなら」と挨拶をするような文脈でよく使われるように思う。 そして…、彼はいつまで経っても来なかった。僕が約束を押し付けたわけではない。むしろ彼のほうが積極的にこの日の約束を持ちかけてきたのである。彼は僕を案内することに随分乗り気であるように見えた。しかし、神の意志はそうではなかったらしい。「神」は、僕たちの再会を許してはくれなかった。

クエッタはイラン・パキスタン・アフガニスタンの交通の要衝であり、国際的な貿易都市としてかなり重要な位置を占めている。しかし特に目立った見所はないため、移動を続ける旅人たちにとってはそれほど魅力的な町ではない。旅人たちはみな、通過するだけだ。6日間の滞在中、いろいろな旅人がここを通っていったが、彼らはすぐにこの町を離れようとしない僕を見て、「どうしてここに留まるんだ」と尋ねる。何も答えられない。ここにとどまる積極的な理由はなかった。ただ、「カルカッタからイスタンブールは遠い」ということをあまりに意識しすぎて、また、危険な地域を避けようとして、そして、しばらく行動を共にした友がマラリアにかかったのを見て焦ってしまった結果、あまりに早くここまでたどり着いてしまったのだった。僕も訪れる前はクエッタについて「通過点」としか考えていなかったのだが、まだイランへ行くには早すぎると思ったので、不思議な運命を感じながらこの町でのんびり過ごすことにしていた。
クエッタは気候が穏やかで、とても過ごしやすいところだった。毎日公園へ行って木陰でチャイをのみ、身体と心を休める。公園にいるととても落ち着く。砂漠の中にあるのに、園内には樹木が茂り、芝生が生えている。ベンチに腰掛けるとリラックスタイムの始まりだ。頭の中に旅の経験・思い出がよみがえる。ハイな気分で思慮もなく体感したことをじっくり解釈し、自分の血や肉にできるのがこの時間だ。旅をしている途中にこうした時間がとれると、ひたすら体験するだけよりもはるかに自分を見つめ直し向上させることができるような気がする。また、公園には素晴らしい出会いが待っている。同じ旅人同士でも、そこらの路上ですれちがってもお互いに見向きもしないことが多いが、公園のベンチに座っていると少し変わってくる。安らぎを求めた公園では、目が合うと思わずニッコリ微笑んで会話が始まる。会話は「その国のイメージ」のようなものから始まる。木陰にいるために頭が冷やされ、頭上に太陽があった時の経験を冷静に分析できる。話は多方面に及び、お互いの見方を共有したりぶつけ合っているうちに、その国や相手に対しての「自分なりのイメージ」ができあがる。もちろん、一人の相手だけからひとつの国のイメージを作り上げることは危険であるし、偏見も多いことであろう。しかし、そこには小さいながらも確実に友好関係が生まれる。公園へ通うことは僕に、こうした「場」とそこで生じるコミュニケーションの重要性を教えてくれた。
バザールにも毎日通った。闇両替市場の規模はすさまじい。ある通りに入ると、道路の両側に闇市場が存在する。陽光の明るさと開放的な雰囲気は、ブラックマーケットということばの響きから来るイメージとは完全にかけ離れていた。どこの店にも札束がドンと積まれている。店のおやじは電卓でちゃっちゃとレートを計算してくれるが、日によって、店によってレートの違うブラックマーケットはどうやって交換率が変わるのであろうか。興味深いところだが、誰も教えてくれない。
映画館も面白いところだ。残念ながらパキスタンで作られた映画は見ることができなかったが、映画館の雰囲気を見られただけでも行った価値はあった。まずは国歌の斉唱である。館内が暗くなるとはためくパキスタンの国旗の映像とともに国歌らしきものがきこえる。皆起立し、大きな声で歌う。横の大きな男は僕に向って「お前も歌え」というが、歌えるはずもない。だけど、だんだんうきうきして楽しくなってきた。映画の内容ははっきり言って最低であった。雰囲気からすると香港か中国の映画であると思われるが、暴力ものでストーリーはないに等しい。ウルドゥ語の字幕はなく、なぜか英語に吹き替えをしてあった。彼らは理解しているのだろうか。パキスタン人たちの反応はわかりやすくて良い。ヒーローが登場すると立ち上がって口笛を吹き、悪者が出てくるとみんなでブーイング。最後は拍手でヒーローの勝利を祝うのだ。全然面白くない映画だったのに、終わったあとは気持ちよかった。彼らはどんなにつまらないものでも楽しむことができる天才だ、といっては少し失礼かもしれないが、つまらないものはつまらないと冷めてしまう人よりも、なにごとでも楽しんでしまう彼らの方が幸せだろうと思う。見習いたいところである。
見所のない町クエッタで、僕はなにかを得た。何かを見た。「なにもない」ことはつまらないことではない。「なにもない」から通り過ぎる。それはもっともなことだ。しかし、「なにもない」からこそ見えるものもあるのではないか。
僕が見たのは砂漠のなかに浮かぶ蜃気楼にすぎなかったのかもしれない。ないものは見えない。そう言われれば反論のしようがないが、僕が見た幻影は、例えそれが幻影にすぎないとしても、僕の心に深く影響を与えている。クエッタにおいて、僕は確かに楽しみを感じ、そして。 … 少しではあるが楽しみ方を知った。
「イランへの道」へつづく