カルカッタ→イスタンブール(灼熱の60日間)

あ・つ・い

【デリー26日=恭同】7月26日未明、パキスタンのラホール空港で大規模なテロが発生。同国のテロの拠点カラチから流れ込んだ反政府テロリストの犯行と見られている。滑走路付近には直径45メートルの大穴があき、乗客と空港職員以外は立ち入り禁止となっている。第二、第三の爆破事件を警戒して同空港は緊張状態。政府は今年4・5月に発生した連続バス爆破事件との関連を調べている。

7月下旬、僕は急き立てられるようにしてラホールを離れた。2ヶ月強でイスタンブールへ着かなければならなかったことがその理由の一つであったが、それ以上の大きな理由もあった。「渡航自粛」「空港爆破」という二つの言葉が、デリー以来僕の頭の中をずっと支配していた。世の中には危険地帯と聞くとどうしても行こうとする類の人がいるが、僕は絶対に危険な目には遭わないように気を付けている。カンボジアにいたときもそうだ。いろいろな人にコンポンソムやタイとの国境などに誘われたが、「まず安全」と言われたアンコールワットとプノンペン中心部以外は訪れようともしなかった。危険地帯に行くのが「勇敢」だというのなら僕は完全に「臆病者」だ。だけど、わざわざ危ないところに行ってどうする。死んでからじゃ、後悔することすらできない。

パキスタンは北部も南部も遺跡も、何もかもが「危ない」と噂されていた。そんなわけで僕は、一気にクエッタまで行ってしまうことにした。「安全になったら」また来ればいい。

ラホールの切符売場でパキスタンで初のチケット購入に挑んだ。見かけはインドと大した差はないので、気合いを入れて割り込まれないように頑張ってみた。しかしその気合いは空回りした。気合いを入れる必要はなかったのだ。誰も僕の前には割り込もうとしなかったし、僕の発する質問に皆が親切に答えてくれるのだ。ある意味で拍子抜けしながら、僕はあっという間に切符売場の前までたどり着いた。

「クエッタまでスリーパー、一枚下さい」これから始まる30時間以上の長い列車の旅に少しの期待と不安を抱きながら、僕はそう言った。たった一泊とはいえ、灼熱の中での移動だけに、自分の体調を考えて寝台を選んだのだった。しかし、僕に選択の余地はないようだった。切符売りのオッチャンはひとこと「ナヒーン」と言ったのだ。残っているのは2等の座席だけ。座席ということは足を伸ばして眠れないということを意味しているし、自分のスペースが確保されないぶん、酷暑の中他の人々と肌をぶつけ合わすことになるかもしれない。この列車に乗ったら随分きついだろうな。2、3日待って、のんびりと行くのが賢明だ。時間はいっぱいある。無理して急ぐ必要はまったくないんだ。

列車は11時発だった。おいしいマンゴークッキーと水を1.5gほど買い込み、いそいそと乗り込んでいく。結局、僕は2等座席のチケットを手に入れて、クエッタまで行くことに決めてしまった。「行くと決めたら行く」という生来の頑固さと、きつい移動をしたいという変な欲望が、僕にこれ以上のラホール滞在を許さなかったのである。「こんなところで頑固になっても仕方がないのに…」そんなことを考えているうちに列車は砂漠に向かって走りはじめていた。

列車の中は猛烈に暑い。気温は53℃。しかも列車の中であるため湿度も高い。蒸し暑く、苦しい。窓にはガラスなんてないのになぜか風は吹き込んでこない。出発して10分ほどで、すでにダウン寸前だった。時々まだ冷えているミネラルウォーターをのどに流し込む。ひやりとした水の感触が喉から食道に伝わるとき、少し頭がスキッとする。脳みそが溶けるのをやめ、思考力が取り戻される。ぼぉーっとしていたら、そのまま死んでしまっても、狂ってしまっても気付かないだろうなぁ。ペットボトルの中にある水は、まさしく命の水だった。

一人で暑さに苦しんでいると、時間が経つのがとても遅かった。調子が悪いせいか、駅でもなんでもないところで列車はしょっちゅう停車するのだが、そのときに時の流れもいっしょに止まっているのではないかと真剣に考えたぐらいだ。そこで僕はいつもの作戦を実行することにした。つまり、周囲の人と話して楽しむことにより辛さをごまかすのだ。

周りにいたパキスタン人は男性が2人、女性が4人、そして子供が2人だった。子供は暑さなど関係なくじゃれあっている。女性たちは汗をぬぐいながら、一生懸命にしゃべっている。男2人はお互い言葉を交わすこともなく、不機嫌そうに遠くを見つめている。僕は打ち解けた様子の女性たちに話しかけたかったが、ムスリムの女性に気安く話しかけていいものかどうか迷ったので、誰に対するというわけでもなくつぶやいた。「あっさらーむ、あれいくむ」。女性たちが反応してくれることを期待していたのだが、予想通り、さっきまでぶすっとしていた男たちが「待ってました」と言わんばかりに答えてくれた。それからはインドと同じ。質問攻めだ。「ジャパニか?」「学生か?」「パキスタンはグッドか?」「お父さんの名前は?職業は?」などなど。いつもいつも答えていることなのでちょっとうんざり気味になるが、僕の答えに女性たちも興味を示しているようなのではりきって答えてみる。ときどき女性のほうに僕は微笑みを投げかける。しばらくたつと、女性たちもたまらずに質問をしてくるようになった。このころようやく、僕は苦しさを忘れて会話ができるようになったと思う。彼女たちの質問はほとんど服装や装飾品についてのものだった。腕に巻いているのは何だ(ミサンガ)、日本人はみんな時計を右手にするのか…。そしてひとつひとつ、装飾品などの質問が終わるたびに、男がこう言うのだ。「それを俺にくれないか?」

どこへ行ってもこのようなことを言われる。もちろん、僕自身は必要なもののみを持って旅をしているし、ちょっと前に会ったばかりの奴に物をあげる義理はないので何を言われても断ることにしているが、スムーズに断れるように多少の嘘を付くことにしている。一喝してもいいのだが、悪気のない彼らを怒鳴りつけるのは、やはり良心が咎める。嘘というのはこういうものだ。「この時計はお母さんが大学の入学祝いにくれたんだ」「これはおじいちゃんの形見だ」「ガールフレンドからのプレゼントだから」…。 嘘を付くのは良いことだと思わないが、こういう話をしているうちに自分の身の回り品にストーリーが出来上がっていくのがとても面白い。僕の旅道具は、ほとんどがこうしてできた「思い出」を持っている。

夕方になっても蒸し暑さはあいかわらずだった。暗くなりかけた頃、長い時間しゃべっていた仲間たちが列車を降りて行った。クエッタまで一気に行ってしまう人は少ないのだろうか。彼らでさえも、こんなに長くつらい旅はしないのかもしれない。 いよいよ暗くなると、もうすることはなかった。僕が乗っていたパキスタンの列車は電気がつかなかったのだ。本が読めないのは当然として、向かいに座っている人の顔すら見えない。ごくたまに誰かが煙草を吸うときのマッチの光が車内を照らすのみであった。仕方がないので眠ることにした。僕は頭上の荷物置き場に陣取り、寝転がった。疲れていたため、僕はそのまま深い眠りに落ちた。 …んだったらよかったが、異常ともいえる暑さに加えて、背骨が折れそうなほど揺れる列車の衝撃をもろに受けていたため、起きているか眠っているかも分からないような状態のまま、長いながい夜を過ごした。

翌朝、目を覚まして下に降りると意外に涼しかった。どうやら荷物棚の方は熱がこもっていたらしい。元気に「あっさらーむ、あれいくむ」と叫び、人々に混じってチャイを飲む。うーん、よく晴れて素晴らしい朝だ。心地よい風に吹かれながら、列車はどんどん進んでいく。

しかし、その涼しさも長続きしなかった。しばらくすると列車は砂漠へと突入した。初めて見る砂漠とそこにすむラクダに感動したのも束の間、気温はどんどん上がっていく。あっという間に前日より暑くなっていた。僕はミネラルウォーターを少しずつ飲み、パキスタン人たちは駅の水道でくんだ水をペースを考えずにがぶ飲みする。彼らとしたら「なくなったら汲み直せばいい」のである。暑さが増すにつれて彼らの水がなくなるペースがはやくなっていった。次の駅まで水が持たないのである。僕はちょっと心配になってきた、次は僕の水を欲しがるのではないかと。

「ぱに、ぱに(みず)」予想通り、彼らは僕の水を求めてきた。彼らは本当にのどが渇いたという顔をしている。だけど、僕の3倍以上の水を消費しているのは確かだ。悪いけど君たちにあげることはできないよ。これがなくなったら僕だってクエッタまで到着できるか分からない。ごめんな、この水は僕の「命の水」なんだよ。

自分の水がなくなると他人の水を求めてさまよっていたパキスタン人たちも、やがておとなしくなった。彼らもさすがに疲れてきたのだろう。もう誰も歩こうとしない。そして、しゃべろうともしなくなった。ただひたすら、列車のガタゴトという音だけが乾いた空気に響いている。口にできるのは「暑い」という言葉だけであり、しかもその「暑い」という言葉を発することがまるで禁じられているかのようだった。時折、列車は駅でもないのに停まる。ただひとつ音を立てていた列車の音が消えるため、あたりには完全な沈黙が訪れる。静かすぎて耳が痛い。そんな時、ひとびとは沈黙を嫌い、一番最初に耐え切れなくなった誰かが、意味もなく大きな声で何かを叫ぶ。しかし、その声は沈黙の中にぽっかりと浮き、全ての人々に今ある沈黙が本当に重々しいものであることを再確認させる助けとなるにすぎない。声が砂漠のかなたにかき消されると、沈黙は、そして暑さは、いっそう重みを増す。列車が動き出すと、目的地に近づきつつあることと沈黙が消えたこととで、人々は安堵の表情を浮かべる。

到着予定時間まであと3時間足らずとなると、冷えたきゅうりを売る売り子が乗り込んできた。人々はそれを競ったように買い求め、また競ったように僕にも与えてくれる。さっき僕に水を断られたおじさんも、にっこり笑って「食え」という。どうしてそんなに優しくできるの? どうしてそんなに優しくなれるの? 全部できゅうりを5本分以上は食べただろう。空腹とのどの渇きは癒され、車内は再び、活気に満ちてきた。優しさに対する感動は僕にエネルギーを与えてくれた。

あと30時間、あと22時間、14時間…。出発からこれまで、残り時間ばかりを考えて過ごしてきたが、目的地に近づき、力を取り戻してくるとこれからたどり着く町クエッタはどんな町だろうと想像がふくらみ、楽しくなってくる。 6時20分、列車はほぼ予定通りに終着駅のホームに滑り込んだ。ホームにたむろするクエッタの人々が疲れた僕を優しく迎えてくれた。

「クエッタ」 へつづく
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