
上海旅行
by みやっち


8年ぶりに上海に行ける!
留学時代の同級生と一緒に3泊4日42800円の格安上海ツアーに行くことになった。
旅行が決定されてからというもの、ネットや友人から上海事情を仕入れていく。
留学したのは96年。その当時上海の観光名所と言えば、豫園、外灘、静安寺、動物園、博物館ぐらいで、2日あれば十分だった。その上海が今ではすごいことになっている!友人、ネットからの情報で益々高まる興奮を抑え、出発当日を迎えたのであった。

関空から一路上海浦東国際空港へ。どこか懐かしい「これぞ中国!」という石炭臭さを嗅ぐと、私の顔は自然に笑みがこぼれていた。近代的な空港、日本語べらべらの若い男性ガイド。着ている洋服もすけすけではなく、しっかりとした生地に今どきのデザイン。シャネルやヴィトンのブランドカバンをさげ、さっそうと国際空港に降り立つ中国人!
「ひゃあー、なんやこれ!むちゃくちゃ変わったなぁ!!」
全く予想を越えた8年ぶりの上海!
「どうなってるんやろう!全く違うで!」。
その後、この印象ががらりと変っていくことになるのだが、到着早々の私たちの驚きようは、まるで浦島太郎状態であった。
税関手続きを終えホテルに向かったのは17時過ぎ。ちょうど退社ラッシュで道は渋滞!こんなに車あったかぁ〜!?しかも車体がぴかぴかできれいな車ばかり!車の窓からは高層ビル群。ここが本当にあの浦東!?一面野原だったあの浦東!(**!)
留学時代、上海浦東国際空港建設の基本設計をしていた会社にアルバイトしていたことがあり、その会社の人たちと空港ができる前の浦東に同行視察していたことがあった。この国際空港は日本の公金、つまり私たちの税金を使用し基本設計されている。しかも無償で。その後建設に至っても日本の低金利ローンを利用して建てられたものなのに、日本語べらべらのツアーガイドの説明は、日本の「に」の字も入ってなかった。あんなに頑張ったプロジェクトだけに市民の反応のなさに愕然!中国政府は日本の政府開発援助(ODA)によって空港が建てられたという情報は、市民には何も話していないのだ。今回は、このことを議論するつもりもないけど、少し悔しい気持ちになった。
本当にあの浦東地区!と目を疑わんばかりに夕日でかすんだ浦東の景色に驚きを隠せなかった。香港のように至るところにビル!ビル!ビル!道路には会社帰りの車で渋滞。そんな光景が宿泊場所である上海駅近くの「良安大飯店」に着くまでずっと続いた。

「さあ!着きましたよ!」
ホテルは一応3つ星。安いツアーの割には、建物は大きく、パンフレットによるとプールやフィットネスも完備でかなりのお得感。ホテルに着くなり、夕飯を一緒にする上海在住の友人から電話がかかってきた。待ち合わせは「新天地」。「???」大阪にも確か似たような名前の飲み屋街があるけど??
「好!19点半見面!(OK!19時半に!)」と電話を切り、ホテルの部屋へ。部屋の価格表が張られていたのを見てみると、10Fのツイン部屋は560元。約8000円。日本のビジネスホテルといった感じだろうか。部屋に着くなり、お茶でも一杯。
「えっ!?コンセントが入っているのにポットの電源が入らない。あっ、テレビもつかない。しかも冷蔵庫も冷えてないで!」
こんなことだろうと、初めから期待はしていなかったのだが、なんだかあの上海の高層ビルに感激していたことが遠い昔のように思えた。
「まっ、ホテルには寝に帰るようなもの。別にいいよね!」気持ちを切り換え、さっそくタクシーで友人の待つ「新天地へ!」

「新天地」
タクシーに乗りこみ、ホテルの門を出るとこれまでのきらびやかさとはうって変っていた。小さな個人食堂、理髪店に果物屋。外に机を並べ夕飯をほおばる人々。路上に椅子を並べ友人との会話を楽しんでいる人。たらいで髪を洗う女性。路面に干している洗濯物たち。老若男女、至る所に人人。
「ホテルからは夜はけっして出歩かないでくださいよぉ〜。上海駅近くは地方から職を求めて出てきた人で溢れかえっていますから。」ガイドさんの言葉を思い出した。でも私にとってはこれが上海だ!あの8年前の町の様子が次々に脳裏をよぎった。
タクシーが上海駅を横目に新天地へ急ぐ。車車、人人。赤や青、黄色のネオンが輝く中で、タクシーのむちゃくちゃな運転!「これも8年前と同じだ!」恐怖の中にいながら、少しホッとした。
「新天地、着いたよ。」
目の前に広がる上海版六本木ヒルズ。これから何が始まるのだろうかと言わんばかりの人人。外国人にお金持ちの中国人。ビジネスマンや観光客。香港資本で建てた新天地は、今や上海を
代表する観光名所になっている。久しぶりに会った同級生と「夜上海」という中華料理のレストランに入った。
店内には外国人ばかり。時々ジャズの生演奏も行っているそうだ。味付けはもちろん、盛り付け、食器類、家具、建物に至るまで、なんら日本のおしゃれなレストランと変わりなかった。しかもサービスが最高なのだ。お皿を取替えたり、料理を出すタイミング、笑顔。あの中国とは思えない変貌ぶり!友人のおかげで、料理も雰囲気も最高に満足できた時間を1日目から過ごすことができ、感謝感激!その後、生バンドの演奏を聞きながらお酒を飲めるバーに行き夜の上海を堪能したのだ。そこには、若い中国人もたくさんいた。一杯日本円で1000円もするお酒を中国人の若者は飲めるようになったのだ。
最後の極めつけは、マッサージだ!ネットで調べた日本人観光客に人気のお店「日東指圧」。市内からタクシーで15分ほど。天国にいるようなとても心地よいマッサージは、何もかもに驚き、喜び、歩き回った旅行の疲れをやさしく解きほぐしてくれたのだった。1時間、1400円也。
閉店12時ぎりぎりに来店してしまったので、終了は夜中1時すぎ。ロビーでお茶を頂き、タクシーを待っていると、カジュアル姿に着替えた先ほどマッサージをしてくれた店員たちがやってきて、ばたばたと私たちの横を通り過ぎていった。もしかして私たちのために残業してくれたのだろうか。日本のように遠慮はいらない。勤務時間が過ぎたらさっさと帰っていく彼女たちを横目になぜか恐縮する私であった。

「我ら青春の町」
今日の予定は、留学していた「復旦大学」に行き、その後、盧人公園近くの骨董街でランチ。夜は8年ぶりに再会する友人とそのご両親と一緒に夕飯をともにする。
まずは、大学のある五角場へ。タクシーが私たちを降ろしてくれた場所は確かに「復旦大学」と書かれた校門も前。でもまったく見覚えがないのだ。8年前ではあるけれど留学時代を過ごした思い出の場所を忘れるはずがない。
「ここどこやろう。。。」ひたすら見覚えのある道を探して友人と2人歩いていく。
途中、ヤキイモを2元で購入。自転車にヤキイモの機械を乗せて売り歩く様子は、8年前にタイムスリップしたようだ。写真を写そうとすると、「こんな汚れた顔、写さんといてぇ〜。」といい顔を覆ったその女性の焼いた芋は、中がオレンジ色でとてもおいしかった。
・・・・それは突然の再会だった!?
「あれ、正門じゃない!?」
復旦大学と書かれた見覚えのあるその門が対面遠くに見えた。辺り一面砂ぼこり。爆竹のような音。トラックがひっきりなしに通る。道路が整備されているのか、道の真中は白い壁で囲われ、ちょうど正門の一番上に書かれた文字を浮かび上がらせたのだ。校門に向かう歩行者通路があったので、渡ることにした。
門をくぐるとあの懐かしい校内が目の前に広がった。
8年前の記憶を呼び起こしながら、かつての教室、中国人と一緒に入った学生食堂、寮、毛沢東の像。鮮明な記憶がよみがえってくる。ここをぼろぼろのMy自転車で通学していたよなぁ〜。懐かしすぎる!!
「国定路」を渡り、「政通路」沿いの留学生楼。かつて通学した道路を今こうして歩いていることに喜びを感じ、そしてまたこの風景に再会できることにとても感謝した。
留学生楼は、1年間という短い期間ではあったが、さまざまな国境を越えた友人とともに過ごした大切な場所。女性棟の2号館、男性棟の1号館と3号館。クリスマス会をした食堂、中国語を教えてもらった購買部。みんな何もかも同じだ!ただ今は新しくなった留学生楼が建ったため私たちのほかには数人の人しかいなかったけど、それでも、数々の思い出が今もそこにある。
「国定路」沿いにかつてのクラスメートが住んでいた「同舟ホテル」が建っていた。懐かしくなって、ホテルに入った。
「96年にここにクラスメートが住んでいました。名前は○○。日本人.覚えてますか?」
受付のおばちゃんは8年前もそこで働いていたようだ。
「毎年とてもたくさんの日本人がうちに泊まっているけど、顔をみたら絶対に分かるわ。今彼は何をしているの?」
「その当時クラスメートだった女性と結婚し、今はシンガポールに駐在してるよ」。
「それはすごいねぇ。きっと顔を見ればわかるよ」
おばちゃんは名前を見て友人を思い出そうと一生懸命だった。建物も、受付のおばちゃんもすべて変っていなかった。このホテルで写したおばちゃんとのツーショット写真を見て友人はきっと喜んでくれるだろう。

その後、あの懐かしの五角場の市場に向かった。かつて、上海蟹をめぐり市場で大げんかをしたことがあった。知り合いの露店に蟹の重さを計ってもらったら、なんと支払った分の重さよりぜんぜん少ない!慌てて、ぼられたお金を取り戻しに言った。あの時は、私は既に中国人化しており、必ず取り返してやる!と息巻いていた。私はもともと勝気な性格だが、その時はそれにも増して、関西人としてはぼられたことに気づかないでいたことによけに腹を立てていた。その日習った
「いいかげんにしなさいよ!」という中国語のフレーズを連発。あっという間に人だかり。その中で大きな声を張り上げ、市場のお兄さんと戦ったのだ。苦戦を強いられ、買物途中のおじさんが「間をとって70元でいいだろう。後は目をつぶったらどうだろうお嬢さん」と仲裁に入ってくれ、なんとか半分の70元を取り戻したことがあった。そんな思い出の市場も跡形も無く取り壊され、今は新しくオープンするショッピングモールの建設の真っ只中であった。すっかり変ってしまった五角場。
あの時、けんかした蟹屋の主人は一体どこに行ってしまったんだろう。市場で外国人からがっぽり儲けたお金で、どこかで新しい商売でも始めてくれていたらいいが。

「必ず」
日本を出発する前、どうしも私にはしなければならないことがあった。それは留学時代にお世話になった友人とそのご両親に連絡をとることであった。友人は上海から来ていた留学生で、まだ私が留学する前、留学生と日本人が共同で住む学生マンションで仲良くなった。その彼女のご両親に私は留学時代大変お世話になった。が、しかし、何かの本で「中国人はお土産を持って行くという習慣はない」と書かれていたと勘違いし、おいしいお父さんの手料理をごちそうになりに週末ごとに家にお邪魔したときも、一度も手土産を持って行かなかった。お母さんの出張に同行したときも、「乾杯!乾杯!」と何度も交わされる酒盛りをぐいぐい飲み、遠慮を知らない日本人であった。私が国内旅行をしても「無事故でいいよ、おみやげは」という言葉通りに、全くお土産を買ってこなかった。もちろん、お父さんもお母さんも何も言わなかったが、今から思うとかなりずうずうしい礼儀知らずな子どもであった。そして私が帰国後、東京で就職したことをいい事に、当時京都でまだ留学していた友人には連絡さえしなかった。その後ろめたさからか、さらに連絡できないまま8年の月日が流れた。
「これではいけない!」そんな気持ちで一杯だったまさにその時、今回旅行を一緒にした留学時代の同級生から上海旅行のお誘いがかかった。「この上海旅行で再会しないと一生後悔する!」。思いのほか、彼女の連絡先を調べることは難しかったが、天は私に見方してくれのだ。ついに上海で彼女と、そのご両親、そして来年4月に結婚する彼女の旦那様と会う約束をかわすことができた。それはなんと上海旅行出発前夜のことであった。

「ついに友人と8年ぶりの再会」
オープンして間もないが、大切なお客様をもてなすときは「名軒」で、と言われるほど上海租界時代の建物と素敵なお庭のあるレストランを予約した。
お店に着き、日本語スタッフと打ち合わせ。
「とても大切なお客様なので、どんな料理がいいか教えてください。」
「コースなら3種類。488元、688元。888元。」
ツバメの巣の入った888元のコースを清水の舞台から飛び降りる気持ちで予約した。
・・・旦那には値段は言わないでおこう。日本円でも考えないでおこう。そんなことを思いながら、再会する時間を待った。
「ニイハオ!」父であった。8年ぶりだが、見た目は全く変りがなかった。
「この8年間連絡しないでごめんなさい!」
父はにこにこ笑っていた。その後、友人と来年の4月に結婚する旦那様、お母さんとも再会!
とても開放された瞬間であった。
その時、「上海蟹はこれでよろしいですか?」サービスマンが生きた蟹を持ってきた。
お父さんと会ってすぐに「上海蟹は食べたか?」と聞かれたので、もしやそれは「上海蟹は頼みましたか?」ということかなと思い、早速388元の上海蟹を注文。コースを488元に変更した。
それがとても功を制した。母は、中華料理の中で上海蟹が一番好きらしい。
8年ぶりに涙の再会を果たした私たちは、みな上海蟹のおいしさに舌づづみし、必死に上海蟹をむさぼっていった。
「何も語らなくいい」。まるで私たちに8年前と変らぬ友情をかみ締めるように言ってくれているような、そんな温かい時間を上海蟹は提供してくれた。
ありがとう上海蟹!

「最終日上海」
今日は、父母が最近買ったマンションを「今度、紀子が上海に来たときに泊まりに来れるように」ということで、案内してくれることになった。待ち合わせの新天地にさっそうと車で迎えに来る友人と旦那様。日本で待つ私の旦那とお父さん、お母さへのお土産の上海蟹を買いに「そごう」に行き、その後、私たちは友人の父母が待つ北京西路へ向かった。そこは、日本でいう銀座のような場所だろうか。マンションの入口の門を入ると広い庭があった。まだ完成されていないマンションは、あちこちで工事中であった。地下に車を止めエレベーターで9階へ。扉を開けると同時に広いエントランスホール。大理石の床がかなりまぶしい。正面には素敵な絵が、そして至るニッチに高価な骨董品が飾られていた。そういえば、留学時代に遊びにいったマンションにもたくさんの骨董や絵画があって、休みのたびに遊びに行っていた私は、これはどこどこの硯、これはある有名画家が書いた絵などと数々の貴重なお宝を見せてもらっていた。当時は全く骨董というものに興味が無かったが、今少し興味を持ち始めていた私にとって、それはとても素敵であった。
リビング、キッチン、寝室、客間、家事室。お風呂はジャグジーでテレビがつけられるそうだ。友人はしきりに「父はやりすぎだ」といっていたけど、やりすぎでもできるからすごい!と思った。寝室から眺められる上海の夜景は、今の彼らの地位を象徴していた。
料理好きな父は「キッチンは前より大きくなって料理がしやすい!」とはしゃいでいた。母は投資会社、父は貿易会社。退職してもこんな大きなマンションを買えるのは、彼らが会社を経営しているからなのだろうか?今のバブリーな中国社会ではさらにすごいお金持ちがわんさかといるそうだ。
あの上海駅で職を探し求めて地方から家族でやってきた当てもなくさまよっている中国人も入れば、今こうして優雅にあれやこれやとマンションの内装にいろんなアイデアを出しながら楽しんでいる友人家族が入る。16億人の人口のほんの一握りに過ぎないだろうが、中国は一体どうなってしまったんだろう。内心どんなしかけがあるのだろうかと、父母にむしょうに聞きたくなった。

「上海でのサービス事業」
旅行初日に入ったレストランがあまりにも素敵で、「すごい、中国は変った!」と思った。というのも、サービスの悪さで中国は有名だったからだ。初めて中国旅行をした86年。みなおつりを渡すときに、こともあろうかお金を手渡さず、ほっていたのだ。笑顔は全くなし、店も薄よごれ、全くもってサービス業とは程遠いものであった。その中国が、ここまで変ったか!とびっくり仰天。どの店でも「いらっしゃいませ〜」「ありがとうございます」と笑顔で応対。しかし、それは香港資本や、シンガポール資本といった外資系企業であった。私が宿泊したホテルは明らかに国営だった。朝食を食べに言っても、あいさつは全く無し!人がまだ食べているのに後片付け。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。コップが無くなって私が言うまで、持ってこない。テーブルクロスの食べカスはそのまま。どうなってしまうのだろう。中国国営企業。。。心配になり、最後の最後で帰国早朝、大量の荷物を持ちバスまで移動する私と友人の横でぶらぶら、ぶらぶら〜と何もしないでつったっているサービスマンたちを、
「あなたたちは、一体何をするためにそこにいるのですか!荷物が重くて困っています。バスまで運んでください!」と叱責。ついにやってしまった。やっぱり出てしまった。怒りの鉄拳!
私は初日、中国についたばかりの自分の驚きようを思い出していた。あれは何だったのか。8年前の中国人化した私が最後の最後に出ることになってしまうとは。。。怒るつもりはなかった。ただ、昨日、あれほど優雅で野心に燃えた彼らと比較すると、このホテルの、いや彼らの行く末がとても案じられたのだ。
そんな私の気持ちもむなしく、荷物をバスまで運んだサービスマンはまた何事もなかったようにホテルに帰っていった。6年後、2010年の上海万博でこのホテルで彼に会うことはできるのだろうか。

「上海の夜景」
とうとう、上海最後の夜。「この夜景を見て帰らぬと上海に来た意味がない」と言われるほどの夜景スポット、アルマーニビルの「3 on
the Bund」。父母と最後の晩餐を終え車で送ってもらった後、若い友人夫婦と一緒に来店。夜景が見えるということで、外のバルコニーに。
外灘にそびえたつ疎開時代の建物にネオンがともされ、黄浦江を挟み対岸に建つ東方之珠を見つめた。これが
まさに今の中国なのだろう。日本では中国のバブル崩
壊節が流れている中、この4日間で見た上海を振り返り、
決して今が最高の位置ではなく、これからも益々パワーを出し、我こそにと野心駆り立てる底力に何度も身震いがした。
特に若い人のエネルギッシュな様子といったら、目標を見失ってしまった今の多くの日本人の若者とは比較にならないくらい勢いを感じる。私の友人も10年間の日本での留学を途中で切り上げ、今上海で人材コンサルタント会社を経営している。かつて中国から外国に渡った中国人が大陸を目指し、ぞくぞくと戻ってきている。ようやく眠れる獅子が目を覚ましたというように、ビジネスチャンスに溢れた今の上海に、これまで押さえつけられてきた力が結集してきている。
日本と海を隔てて隣りにある国、中国。ぜひ一度この目で見てきてほしい。もし昔中国に行って、えらい目にあったという人はぜひ、今の上海を見てきてほしい。ただ、日本の生活に慣れきった人から見れば、「何てこと無いやんかぁ」、「最低ぇ」などと思うところはたくさんあるが、少なくとも私は今回、短い日程の中で明らかに今の日本には無いパワーを彼らから感じ取った。
今、「何もすることがな〜い」、「これから自分の人生どうしよう。。。」などと迷われている方。ぜひ今すぐ上海に行って肌で感じてきてほしい。たった42800円で、これまでと全く人生観の違う、ものすごいパワーを持った人々と出会い、そこから自分の可能性の大きさを知ることができるから。

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