プロローグ
1997年4月1日、ぼくはサラリーマンになった。正真正銘のにっぽんのさらりーまんだ。大学生になったばかりにあった「自分の強い思い」(たいしたことはないのだが...)と比べると、なんとなく、そして、なるべくしてさらりーまんになったような気がする。
確かに、大学院へ行く道・そしてずっと夢であった海外留学(生活)という選択肢もあった。ただ、ここで言えるのは、最後には自分で『さらりーまんになる』という選択肢を選んだことだ。
入社式は、「ホテルニューオータニ」で厳かに行われた。慣れないスーツに場違いのぼくではあったが、この立派な入社式には正直言って驚いた。会社役員が総ででぼくたち新入社員を迎えいれてくれる。会長、社長、と一人一人握手して、「これからよろしく」と力強い言葉などもいただいた。だだ、今思うと、「社長って給料いくらかなぁー?」とか「あの役員、くさそう」、「ほんとに、あの人も楽しんで仕事をしてるんかなぁー」そして「たくさん休めるのかなぁー?」となんだかくだらないことを頭に浮かべていた。
そして、豪華な入社式が終わると否やそのまま強制送還の形で東京のはずれにある研修所に貸切バスで移動した。とうとうはじまったのだ、さらりーまん生活が...。
そして、3ヶ月。
ぼくは、知らず知らずに「インド往復」のチケットを予約していた。慣れない社会人生活から余裕ががでてきた時だった。この時点でいまだ研修生活だったことが大きい。三度の飯と宿がついている完全なモルモット生活に耐え切れなかったんだろう。
「さらりーまんになったら海外旅行は新婚旅行までない」
などと思っていたぼくとって、予想以上に早い決心だった。
実は、卒業旅行に「イエメンとエチオピア」を選んでいた。卒論を提出してすぐ出発し、卒業式の前日に帰国した。この時ほど、いろんな思いを胸に抱き出発した旅はなかった。
・最初で最後の卒業旅行なんだなぁ。
・さらりーまんではできない旅をしたいんだ!。
・初めてのアフリカだぁー。
・想像もつかない魅惑のアラビア半島だぁー。
・大好きなコーヒーの原点をを訪れる旅。
・一人旅、これからの人生を考えるぞ!。
・フルーツを食いまくるぞー。
・学生時代をゆっくり振り返ってみよっと。
・気にいった町でゆっくりすごすぞー!
・感動の出会いがあるのかなぁー。 等等...
書いて並べてみると、なんだレベルの低いことしか考えてねぇーなぁーと思えてならないが、その時は必死で旅の目的をみつけようとしていたのは間違いない。
とにかく、さらりーまんとして初めていく海外旅行にインドを選んだ。理由は、「インドで世界観が変わった」という周囲の言葉を自分でも感じたかったからだ。また、インドは汚い、インドはくそ暑い、インドは人人牛人、などいう「インドは....」というフレーズを自分でも言ってみたかった。そして、なによりも「なんとなくなったさらりーまんの自分」に率直な自分の気持ちをぶつけたかった。(ぼくの旅の原動力は、純粋に何でもみてやろう、何でもたべてやろう、何でもふれてやろうという思いだと強く思っている)
期間は8/7〜15の9日間。定番のエアーインディア。ただ、予約を入れたものの実際に席がとれたのは10日前だった。しかも、チケット代が15万円近くもするのにだ。
「さすがっ!にっぽんのさらりーまん!」
横並びの決まった休みに、皆同じことを考え、同じ行動にうつすんだなぁーと思った。そして『Time is Money』という言葉を身をもって感じた瞬間だった。と同時に、さらりーまんになったんだという実感が湧いてきた。
こうしてぼくは、さらりーまん(研修の身であるが)パッカーとしてインドに旅立つことになった。(続く)
インドへの旅(1)
「おーっ、AI309便が定刻通りのフライトだぁー!」
成田空港に着くやいなや思わず感動してしまった。1度、学生時代に安さに惹かれ日本⇔バンコク間にエアーインディアを選んだことがある。しかし、あまりの遅れっぷりとめしのまずさにかなり懲りていた。ただ、今回はサラリーマンの旅。「絶対飛んでくれよー」と胸中では祈る思いで案内板をみた結果が先の言葉になったのだった。
そして、今回のエアーインディアは機内食までいい意味で期待を裏切ってくれた。なんと配られたメニューに「鰻丼」とある。定番のアルミ容器に覆われたカレーが出てくることを予想して、すでに昼食として空港のマックで食事を済ませてきたのだが、まともな機内食がでてきたのだった。なにげにうまい。マックで食事したことを悔やんだ。
さらに、運んできたのは日本人女性のフライトアテンダント。おまけに、ツアー客のおばちゃんたちが右も左も座っている。どうやら、インドのヨガツアーの団体さんらしい。
気合を入れていたぼくは、あっけなく拍子抜けを食らってしまった。
機内では、ガイドブックをを貪るように読みこんだ。インド行きが確定したのが出発間際になったこともあり、あまり情報収集をしていなかったからだ。確か、初めて旅をしたときは事前に関連書物を読んだり、目的地の数字くらいは覚えていった。最近の旅はその努力がだんだんなくってきた。うーむ、それも考えもんだなぁーとも思うが。
と、バンコクを経由し日本をでてから9時間45分後、あこがれの地インド、カルカッタのダム・ダム空港に降り立った。
みるみるうちに、じとぉーとした暑さが体全身に伝わってきた。
すでに外は日が沈んでいるのにもかかわらず、汗だけは次々と噴出してくる。
空港内の天井に並んでいるさびしげなプロペラ扇風機は、本当に役に立っているのだろうか。
やはりインドは暑かった。両替に1時間以上もかかり、空港をでるころには暑さに加えイライラまでがのしかかってきた。「インドだから」と思うのが精一杯だった。
普段なら無理をしてでもローカルバスで市内に向うところ、迷わず他の日本人とタクシーをシェアして安宿街のサダル・ストリートにむかうことにした。時間がもったいないという思いを抑えられなかった。
それにしても、サラリーマンになってから極端に時間的な余裕を失ったような気がする。この旅の前半も、そんな気持ちが半分くらい埋まっていた。(今でもサラリーマンもいいなとは思うんだけど、その時はこんな思いが強かった。)
空港からタクシーを乗って間もなく、牛の出迎えがあった。続いて、インド人がぞろぞろと道路を埋め尽くしていく。中には、顔を向けて微笑んでくれるインド人もいる。ついにインドにきたんだなぁーという思いがじわじわと沸きあがり、町についたころにようやくイライラが収まっていた。
初日の宿は、安宿「パラゴン」に決めた。サダル・ストリートも汚いが、宿にとまっていた長期旅行者も汚かったのが印象に残った。長髪の人が多いのも特徴だったのだが、話してみるとみな個性的で楽しい人ばかりだった。旅の初日にして、話は盛り上がり、思いっきり夜更かししてしまった。これこそ、旅の醍醐味なんだろう。日常から離れて、何の気兼ねなくいろいろな話をするのは本当に久しぶりだった。
次の日、早速ぼくはバラナシの行きの列車のチケットを買いにいった。そう、たった1週間しかない旅に分厚い「地球の歩き方Bインド編」を持っていったのだが、機内で何度読見返してみても行けるのはせいぜい2,3ヶ所が限界。モデルコースですら、2週間、1ヶ月とある。悲しい思いを抑え、結局、ぼくはガンジス川のある聖地バラナシと菩提樹の下でブッタが覚りを得たブッタガヤだけはいくんだと心に決めていた。
そこで、日程を考えた上、まずバラナシまで一気にむかうことにした。インドではたった一枚の列車チケットの購入するにも半日仕事になってしまう。要領がわからずあっちこっちとインド人に引き回され、あげくの果てに購入できたチケットがキャンセル待ちのチケットだけだった。最終的には、出発間際にいす席がころがりこんできたのだが、背筋をのばしたまま何時間も列車に乗りつづけるのはさすがにつらかった。
だんだん気分がハイになってきて頂点に達した段階で、隣のインド人といっしょになってイス席の下にもぐりこむことした。インド人の足と荷物に囲まれているが、なにげにスペシャルシートだった。
ようやくゆっくりと眠りにつくことができた。
そして、聖地バラナシをゆっくりと目指した。
注:AIはエアーインディアのフライトコードです。
インドへの旅(2)
ガンジス川を越えるとバラナシ駅だ。
駅前に観光客目当てのリキシャがたっぷりと並んでいる。ただ、やっとついたという余韻にあまり浸ることなく、とにかく帰りの列車のチケットを購入することにした。
実は、3日目のカルカッタからの出発の際、5分遅れて駅に到着し、半日以上出発が延びてしまったからだ。正直言って、この遅刻のショックは大きかった。できるだけ長くいたかったバラナシの滞在時間を自分で縮めてしまった。ただでさえ2日いるかどうかの日程だったのに。
インドでは列車・飛行機ともに遅れるのが日常茶飯事だという周知の事実がある。その5分くらい大丈夫だろうという甘い考えが貴重な一日をあっさりと奪っていった。駅までタクシーでに向ったにもかかわらず、渋滞で遅れてしまったというのはもうはや小さな理由に過ぎなかった。そんなことを思いながらバラナシ駅前に立ったぼくは、ひと呼吸置いて、ようやくリキシャマンの中へ飛び込んでいった。
期待通りの声があちらこちらからかかった。
「どこへいくんだぁー」
「いいホテルっしてるでぇ〜」
「乗らんかいぃ〜」
と、ちょっと有名な俳優気分にすらなってしまう。
しかし、大きく手だけ振って愛想を振舞いつつ、そのリキシャマンたちの中を素通りしていった。駅前からちょっと離れたところでまじめに働いていそうなリキシャマンをつかまえるためだ。特に駅前や空港ではできるだけ離れた場所で相場を確認したり、ローカルプライスで乗せてもらうことがすでに体にしみついていた。
それから、友人からあらかじめ聞いていたお勧めの宿「ビシュヌ」を目指した。
ゴードウリヤー交差点までくると、ひとまずリクシャーから降りて歩いてホテルに向う。途中、腹ごしらえにチャパティーとカレー、そしてリムカ(インドでどこでも見る炭酸ジュース)をかきこんだ。暑さの中での辛いカレーは、さらにいっそうの汗を引き出した。それから、ガンジス川手前の小さな通りを抜け、安宿「ビシュヌ」に無事たどり着くことができた。
早速、主人とベッドの交渉にはいった。
「ベッドの空きはありますかー?」
「ちょうど今日ベッドが空いたばかりだ。」
「ラッキー。ちょっと、見せてください。」
「いいよ、手前から2番目のベッドね。」
「うん、よしよし。で、いくら?」
「35ルピー。ちょうど、昨日まで寝ていた旅行者がマラリヤにかかってそのまま入院することになったんだよ。」
「...」
と、思いがけない言葉にぼくは唖然としてしまった。他にはベッドがひとつも空いてない。さすがに、マラリヤにかかった病人のベッドにそのまま寝るのは抵抗があった。もちろん、ふとんは変わらないし、カバーを取り替えることもない。この不吉なベッドにするか、別の宿にいくかの選択になってしまった。
このホテルのロケーションは間違いなく最高だった。それしても、この悪条件は悩みの種だった。
10分くらいは悩んでいたように思う。すると、気をきかせて問題のベッドの横に滞在している旅行者が、
「マラリヤは空気感染しないから大丈夫だよ」
と言葉をかけてくれた。
「そ、そうですか。」
とぼくは答えた。
その瞬間、やっとふっきれることができた。
そうしてチェックインを済ませると、バラナシのディープな町を思う存分楽しもうと再び歩き出した。
インドへの旅(3)
バラナシの入り組んだ道を歩きはじめた。
すると、早速子供たちが近づいてきた。ポストカードやヒンドゥーの神々の人形を矢継ぎ早に見せてくる。
「これっていくら?」
という一言を引き金に3、4人の子供たちが一斉にありったけの売り物を押し付けくる。続けて「ヴィシュヌ、シヴァ、ウマー、クリシュナ、ガネーシャー、、、」
小さな神様を持ち替えながら、機関銃のような説明が始まった。この姿がかわいらしくて、5回6回と聞いただろうか。結局、子供たちからポストカードを買うことにした。
この瞬間、子供たちは必死だった形相から澄み渡った瞳を輝かせはじめた。
それから、大好きなチャイ屋に立ち寄った。
インドを旅してから、何度かチャイを飲んできたが、たまたま立ち寄ったバラナシのチャイ屋の親父は今までと比べ物にならないほど芸術的だった。
小さな素焼きの入れ物にお砂糖をひとさじいれると、熱いお湯の入ったやかんを高々とかかげ、アルミの取っ手に布切れをつけた濾し器を使って紅茶をだす。そして、熱いミルクをいっきに注ぐ。
ぼくはこの単純な作業の繰り返しを1時間以上も見ていた。
その後、チャイ屋で知り合った大学生にお願いして、このチャイ屋の親父が持っていた道具一式、同じ紅茶の葉・スパイスの購入をすべて手伝ってもらった。
ガンガーのほとりに並んでいるお店を何件も回ってくれて、すべて丈夫でかつ安いものを選んでくれた。特に、紅茶の葉はお店の手前に並んでいた値段付の紅茶の山ではなく、奥にあった業務用の大きな袋からごそっと出してくれた。値段が手前に並んでいるものと比べ半額以下だった。
地元の人が使っている紅茶の葉をありがたく購入させてもらった。
続けて、日本からの飛行機でヨガツアーのおばちゃまのことを思い出し、ヨガ道場に立ち寄ってみることにした。地元に人に何度か聞きながら、やっとのことで道場を見つけた。やっぱり外国人相手なんだろうかとやや不安になりながらも、好奇心だけでチャレンジすることにした。
たまたま入ったヨガ道場には、午後の一番暑い時で誰も人がいなかった。それでも、大声で先生を呼ぶと奥の部屋に案内してくれた。英語は通じなかった。
早速、先生といっしょに広い部屋の中で横になり、見よう見真似で呼吸の動作をはじめた。
「延ばしてー、息をすってー、吐いてー」
「今度はこっちを、延ばしてー、息をすってー、吐いてー」
「次に、延ばしてー、息をすってー、吐いてー」
この間隔は徐々に開いていった。
途中からあまりにも気持ちよくなったぼくは、そのまま寝てしまっていた。
ただ、ようやく目を覚まして隣を見てみると、すやすや眠る先生の姿があった。
「ヨガって神秘的だ。」
ぼくは先生が気持ちよく寝ているところを無理に起こさないようにと「神の心」をもってそのまま出ていくことにした。不思議な体験だった。
その直後、マニカルニカー・ガードで火葬場を見た。太陽の熱さと、炎の中につつまれる死体で、顔中汗がしみわたった。カメラのシャッターを押すことなど怖くてできなかった。
呆然と立ち尽くしたといったほうが早いかもしれない。先ほどのヨガの体験がもう遠い過去の出来事に思えてくる。
自然とガンジス川に目がいった。
目を凝らすと、他にも死体らしきものがぷかぷかと流れているようだった。
ガンジス川にもっと近づきたくなった。
それから、インド人観光客の中に混じって、ガンガーの短い船旅を楽しむことにした。
有名な久美子ハウス、泊まっているビシュヌレストハウスが見えてくる。雨季だったこともありポストカードなどでよくみる風景とは違い、ずいぶんと水位があがっていた。
途中から、ぼくは船長と成り代わり、力強く漕ぎながらガンジス川の上流に向った。
ゆっくりした流れに見えたが、思ったより流れがきつくすぐ息切れしてしまった。頼りない船長だった。
それでも、明るいインド人たちに大きな声援を励みになんとか体力の限界まで頑張った。
ガンジス川の船旅を終えると、宿に戻った。
まだまだ、燦燦と輝く太陽と青い空。宿の中庭でのんびりと日が沈むのを待った。
ある時を境に、青色の空が徐々に色を失いはじめた。
間もなくして、今度は赤みを帯びはじめてきた。
いつしか、ガンガーはオレンジ色に変わり、空は、赤く炎のように燃えあがった。
ガンジス川一面には神聖な輝きが宿っているように思えた。
本当に美しかった。
と同時に、空は輝きを一瞬にして失った。
なんだか「じ〜ん」ときた。
うまく言葉に表せないが普段全く使わない五感以外の何かがぼくを揺らした。
その日の夜、宿を共にする仲間たちと、ガンジス川を背に中庭の椅子に腰掛けて、思う存分会話を楽しんだ。蒸し暑い中、たまに吹く風がみょーに気持ちよかった。
たった一泊だけのガンジスの夜が終わった。
インドへの旅(4)
朝一番、ぼくは神聖なガンジス川へと向った。
格好は海水パンツいっちょ。持ち物はタオルとカメラのみ。目的は「沐浴」
だ。ここバラナシに着いた時から「ガンジス川=沐浴」という構図が頭から離
れず、どうしてもバラナシを離れる前に沐浴を体験しておきたかった。そして、
そんな自分の姿を被写体とした写真を、思い出として残しておきたかった。
単なるミーハーだけなんだが、、、
宿で仲良くなったおじさんを無理やりつれてきたのは、そんなぼくのわがま
まを聞いてもらうためだった。
ガンジス川の水辺までくると、大きな傘の下で説法行なうバラモンたちの姿
がちらほらと見えた。信心深いヒンズー教徒の人々は皆、そんなバラモンたち
からの説法を聞きいた後、沐浴をはじめているようだった。
もちろん、ぼくもその人々たちの後に続いた。
最初に頭を清めると、説法がはじまる。しばらくして、赤い祝福の印を頭に
べったりとぬりたぐられ、バラモンから小さな花篭を渡された。この花篭は聖
なるガンガーに流すことでさらなる祝福が得られるものであるという。
ぼくはたくさんの願い事をこめてこの花篭をガンジス川にゆっくりと浮かべ
た。
その後、再びバラモンの元へ戻ってきてこのありがたいお清めの一連の流れ
が終わりとなる。それから、お布施をしなくてはと思いつつも、適正価格が知
りたくて、こっそりと他の人々の様子を観察してみた。
すると、かなり人が高額紙幣をあげている。一泊35ルピーで泊まっていただ
けに、このお布施の額に多さにびっくりした。もともと1Rsでいいやと思って
用意しておいたコインはさりげなく引っ込め、50Rs札をお布施としてバラモン
に渡すことにした。
まだまだ貧乏性が抜けず、神聖なお清めのお布施にすら躊躇した自分がやや
惨めにも思えた。
さて、いよいよ沐浴である。
濁った水の聖なるガンジス川に一歩ずつ入っていった。水は、思った以上に
ひんやりとしていた。徐々に徐々に体をガンジス川に浸していき、首まで達す
ると、一気に全身をガンジス川に預けた。
朝の水浴びは本当に気持ちよかった。
ただの水浴び、されど水浴び。
「本当にガンジス川にきたんだなぁー」という充実感を得た瞬間だった。
うれしくて、そのまま対岸にむかって泳ぎ出してみた。しかし、思ったより
流れがきつくすぐに引き返してきてしまった。そんな、馬鹿な独り善がりも交
えながら、水辺で沐浴をし、インド人たちの狭間でガンジズ川を思う存分楽し
んだ。
このシーンは、一緒についてきてもらったおじさんにたっぷりととカメラの
中に収めてもらった。
こうして、ひと仕事終えたという満足感にひたりながら、意気揚揚と宿に戻
ることができた。
そして、そのまま再びガンジス川を背に、家族・友人に葉書を書いたり、宿
の旅人たちとのおしゃべりをゆっくり楽しんだ。
優雅なバラナシ生活だった。
実は、出会った旅人の中に、偶然にも会社の先輩にあたる人がいた。まだま
だ研修中の身だったぼくとは、ここバラナシでの出会いが初対面となるのだが、
先輩の話はとても魅力的で、仕事の話を始め、人生観、夢など、夢中で話を聞
いた。
その中で、その先輩が3週間の旅できているという事実を知ってさらに刺激
を受けた。「さらりーまんだから旅行できない」という常識を見事に覆してく
れたのはこの先輩だった。
今後、ぼくがさらりーまん的海外旅行をしていくのに、この時の出会いが大
きなターニングポイントとなった。
お昼過ぎ、次の目的地「ブッタガヤ」に向って再び一人で歩きはじめた。
駅に向う途中で飲んだ素焼きのラッシーは、ここバラナシとの別れの杯だった。
本当にうまかった、、、。
|