その男とはデリーの日本大使館で会った。
歳が同じであり、聞いてみると、大学も同じであった。日本での居住地は、歩いて5分とかからないところだった。
しかし、出会いはデリーであった。
これを偶然の出会いと言うのであろうか。
思うに、これは全く偶然ではない。必然なのだと思う。インドには個人の人生を一万年以上前から予言した「アガスティアの葉」というものがあり、その葉にはその人に関する過去・現在・未来に関して詳細に書かれているという。僕自身は実際に確かめたことがないので、アガスティアの葉というものの信憑性については肯定も否定もできない。しかし、自分が旅先で会った人々の中に「会うべくして会った」んだなと感じられる人がいる。ミスタルはそのうちの一人だ。
インドを訪れた者は2種類に大別できる。一方はインドが大好きになり、インドにハマリ、繰り返し訪問する。他方は、人、動物、食べ物、におい、風景などの全てに嫌悪感を抱き、拒絶反応を起こす。そして、二度とインドを訪れないことを誓うばかりか、インドに来たことまでも強く後悔するのである。
このことは何度も耳にしたし、同じフレーズを、僕は何度も引用している。インドを訪れる者の定めなのであろうか。誰もがこの二分法に従って、自らを「好き派」か「嫌い派」のどちらかに位置付けようとする。いろいろな気持ちが混在していても、両極端のどちらかを選ぼうとする。
僕自身の感想としては、どちらの派閥に属する人も、極めて愛すべき人たちであると思う。「それはお前が『好き派』だからだ」と言われれば、確かにそうなのかも知れない。しかし、インドにいる人を、この二分法で分けて考えたとき、それぞれの人にその人の特徴や「いいところ」を発見できることに気づいた。立場を明確化することで、それぞれの主張がよく見えるからであろう。
初めてこのことに気づいたのは、デリーでしばらくミスタルと過ごしているときだった。旅の達人、旅慣れない弱気な人、生粋のインド人、パキスタン人、ヒンズー教徒、ムスリム・・・。いろいろな人に会い、いろいろな人を観察し、ミスタルと二人で好き勝手に批評した。こうした過程を経て、あるときふと自分の立場がはっきりした。「こんな人たちが集まるインドが好きだ」
インド各地にあるダルでうまいものが見つからないとき、自ら材料を買い、本当のダルを追求した男。どうみてもアヤシソウな輩ばかりに果敢に話し掛け、その人の持つ長所を聞き出し、「あいつは面白い、いいやつだ」と必ず言う男。
その男ミスタルは、僕が不思議な運命でインドにずぶずぶとハマリ込みつつあるとき、後ろから手を差し伸べるふりをしながら、インドの中に押し込んだ男でもある。
何らかのきっかけで、僕自身がインド「嫌い派」になるチャンスはあったのだろうか。あったとすればそれは偶然だろう。その偶然は起こらなかったようであるが。インドに初入国して以来、自分の意思を働かせる暇もなく、どんどんとインドのコアに引き寄せられて行った。
それはまるで、何万年も前から決められているルールであるかのようだった。
注)ダル=ポピュラーな緑豆のスープ。インドの「みそ汁」と言う人もいる。