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ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, Bradford University)
<<Diary>>
日記です。 ついに渡英しました。ロンドン滞在中の記録です。
2003年9月13日
眠い目をこすりながら9時半にMileEnd駅前のバス停へ。今日はSocialProgramの一環としてCambridgeに行く。バス代は学校が払ってくれるので(というか授業料に含まれてるのか・・・)行かなきゃソンだ。今日はほとんど遅刻する人はいなかった・・・一人を除いて。学生の世話役のナターシャはどこだ!?彼女はいつも遅れる。どこからともなくいつも現れる彼女の恋人も、心配そうな顔をしていた。
ケンブリッジまではバスで約一時間半。眠っていたらあっという間だった。今日もよく晴れていて気持ちがいい。ガイドはなく、一日フリータイムなので友人たちと気ままに歩くことにした。
街の雰囲気は穏やかでとてもいい。マイルエンドとはもちろん違うし、ロンドンにような忙しい雰囲気もない。町全体にケンブリッジ大学を構成する数十のカレッジが広がっており、街の西側にはケム(Cam)川が流れている。そうか、ケンブリッジとはケム側にかかる橋という意味だったのか!
いくつかのカレッジの前で記念撮影をした後、ケム川のボートツアーに行った。僕らは6人で、イギリス人の年寄り6人と同乗することになった。ケンブリッジの大学生と思しき人がボートを漕いでくれ、いろいろと説明をしてくれる。耳をすませてないとよく理解できない僕らは、たまに笑いについていけない・・・。ボートの後ろのほうだけで笑いがおこったりする。僕らは苦笑い・・・。
川沿いには暖かな陽気の中で寛ぐ家族やカップルの姿が見られた。イギリスって感じだなぁ。ガイドの案内でケンブリッジの寮を見たが、夢のような建物だった。僕らがいるところとは雲泥の差・・・。たくさんの橋をくぐり、いくつものボートと接触し、船は進んだ。きれいに整備された芝生、庭園の花々、水の上を滑る鴨たち・・・。イギリスの田舎はよすぎるぞ!僕らはこの素晴らしい雰囲気を存分に味わった。
夕方、小一時間ほど一人で公園をぶらぶらした。青い芝生の上でサッカーやクリケットをしたり、読書をしたり、ただ寝ころがったり。論文を書いている人もいたな。さすがケンブリッジ!
7時半ごろバスでロンドンに戻った。いろいろ不便の多いところだけど、明日でこことお別れだと思うと少し寂しいもんだな。さぁ荷物をパッキングしよう。
2003年9月12日
ついにPre-sessional Courseを去る日が来た。朝の授業でAlanが休みだったので、代わりにDirectorのAlanEvison氏の授業を受けることになった。二組に分かれて「The
rich get richer, the poor get poorer」という議題についてのディベートをした。僕は「反対(against)」についた。議題がわかりやすかったので、それぞれがきちんと意見を出すことができ、なかなか盛り上がった。最終パートのフリーディスカッションでは「賛成(for)」側のそれぞれの意見に反駁をし、「説得力のある」ものだったと評価を受けた。やったね。
その後、WritingのクラスとSpokenSkillsのクラスでいつものように授業を受け、みんなに一足先に卒業すると挨拶をした。3週間という短い期間だったけど、楽しかったし、なかなか充実していたと思う。高い授業料を払った甲斐もあったというものだ。
夕方、10人ほどでサッカーをし、その後寮でフェアウェルパーティをした。中華やタイ料理を堪能した。みんな料理うまいなぁ!!二次会でPubに行ったが、水曜日に発見した雰囲気がよく割安な店は11時で閉店だった。変わりに行ったところは少し高かった。深夜営業の店はやはり高いのだろうか・・・。その店も1時で閉店。残ったギネスビールをグラスごと持ったまま、店から追い出された。イギリスに来てからグラスを持って夜の街を歩いている人を何度か見かけたが、こういうことだったのか。このグラスは、返さなくていいのか?とりあえず、寮に寄付をすることに。・・・と、よく見たら寮の食器棚にパイントグラスがいくつかあるな。これはもしや・・・?
2003年9月11日
今日は中秋の名月。ここでは中国人がマジョリティなので中秋の名月がけっこうな話題になっている。二年前のテロについて話す人は・・・ほとんどいない。
今日はチュートリアルでエッセイをもう一度見てもらい、最終稿を提出した。明日でQMULでの授業を一足早く終えるので、特別に早めてもらったのだ。第一稿でけっこう評価されていたので、修正にはほとんど苦労しなかった。内容はそのままで、いわゆる「AcademicStyle」にあわせるために、授業で習った通りに体裁を整えただけで済んだ。リファレンスやビブリオグラフィー(bibliography、参照書目録)の作成はほとんど経験がないため、少し苦労したが、今後のためにいい経験になった。提出が終わると肩の荷が下りたぞ!
夕方、ブラッドフォードまでの費用と時刻表を調べる。列車で行くと約3時間15分。コストは片道で£49!学割のようなものを適用すれば30%オフになるというのだが、それでも7000円ぐらいか。結構高いな。しかも、その学割を適用するためには、(1)国際学生証を申し込み(£7)、その上で(2)列車の学割カードみたいなものを購入する必要がある(£18)らしい。これから一年使うことを考えると申し込むべきだけど、初期の費用としてけっこうお金かかるなぁ。今日はとりあえず国際学生証だけ申し込んだ。ブラッドフォード行きのバスについても聞いてみると、5時間弱かかるものの、£18で行けるらしい。バスにすべきかな・・・?明日までに考えよう。
夜はQMULのSocialProgramに参加をし、The
Phantom of the Opera(オペラ座の怪人)を見に行った。Her
Majesty's Theatre(女王陛下の劇場)というたいそうな名前のついた劇場に行ったのだが、これまたものすごいところだった。壁や天井の装飾や壁画が見事。内容も非常に分かりやすく、ほとんど理解できたので3日前のレ・ミゼラブルよりももっと楽しめた。巨大なシャンデリアが天井から落ちてきたり、舞台の上に巨大な階段や河が表現されたりで、驚きの連続だった。俳優たちの声もなんて美しいのだろう!完全にミュージカルにはまった感じ。ブラッドフォードでは劇場はどうなんだろう・・・?あるのかな?
2003年9月10日 !!!
朝は晴れていたが、昼頃からどんよりとし、雲が多く雨が降ったりやんだりした天気だった。これがイギリスで有名な天候かな?ようやくイギリスらしい天候にめぐり合えた!
次の日曜日にブラッドフォードへ旅立つことを決めた僕にとって、英語コースも残りわずかとなった。SpokenSkillsGroupのクラスでも、AcademicWriting&Readingのクラスでも、先生に恵まれたと思う。どちらもQueenMarryで教えるのは今シーズンが初めてらしいが、SSGのAlanは学生のスキルに即して授業を柔軟に組み立ててくれるし、AW&RのJaniceはWritingに必要なエッセンスを実に効果的に教えてくれる。数週間でMAコースに必要なスキルが全て身につくとは思えないが、これからMAコースに進むに当たって不安な点を解消するに十分なものを二人は与えてくれている気がする。英語コースの受講料はものすごく高いが(!)、来た価値はあったと思う。
課題のエッセイを夕方に仕上げた後、台湾からの留学生でPublicPolicyを専攻する予定のHelenと一緒にPubに行った。彼女はLiberal
Timesという台湾の三大新聞のうちの一つのジャーナリストで、僕より一つ年上。社会人としての経験も豊富で、いわゆるMatureStudentの典型的な例のように見えるのだが、今後の大学院での勉強にかなり不安を感じていたので驚いた。英語力をとくに不安に感じているようだけど、流暢とは言えないもののイイタイコトを的確に話そうと積極的な彼女でもそれなりの不安があるのだなぁ。気がつくといつの間にか彼女を励ましていた。最初の数日は不安だった僕も、いまでは再び期待感が大きくなっているし、プレゼンとエッセイの評価でいつのまにか自信をつけたのだと思う。
あらゆる英語スキルにおいて、かなり課題が多い現状は変わらないけど、これから一年自分の経験をアピールし、課題を克服しながら楽しく過ごして行くんだろうな!わくわくしてる。
2003年9月9日
朝一のSpokenSkillsGroupで「平和学」についてのプレゼンテーションをした。自分の理解をもとにその歴史とこれからのあるべき姿を説明し、自分自身がこれから平和学を専攻する理由について説明した。英語でプレゼンテーションをした経験はほとんどないし、20〜30分という日本語で何かをプレゼンするにしても長い時間を与えられていたので少し緊張したが、なんとかこなした気がする。今日はブリティッシュカウンシルのインスペクションがQMULを訪れる日だったのだが、運悪く(よく?)プレゼンの途中から気難しそうな女性がプレゼンを監視したのでかなり緊張が増した。
プレゼンテーションで求められるものの基本としてsignpostingというのがあり、自分がこれから何についてどう話すかということを説明する。これはAcademicEssayを書くときも同様で、自分の意図や目的をはじめに宣言して、それから詳細の話をするという、聴衆(または読み手)に対して分かりやすく配慮することがAcademicに自分を表現することの第一歩である。今日はこの方法に従ってプレゼンをしたのだが、方向性を明示することは聞き手だけでなく自分にも有用だということに改めて気づいた。とういうのは、いつもよりも緊張していたため、途中で話すべき内容を忘れそうになった。しかし、「流れ」を予め宣言しているため、話がそれてしまってもこの方法なら流れに戻るのが容易であるのだ。終わった後、「構成がわかりやすくてよい」とか「平和学が何であるか、そしてKyoがどうして平和学を学ぼうとしているかがよくわかった」という評価を先生やほかの生徒からもらうことができ、自信になった。プレゼンはすごいプレッシャーだが、終わってみると気持ちいいんだよなぁ。
ほっとしたあと、「Artificial Inteligence(人工知能)」についてのレクチャーを聴くと、なんだかいつもよりよく理解できた気がした。気分が落ち着いているからかな?
その後、同じコースに途中から参加している日本人の千鶴さんとランチを食べに行った。高校卒業後中国に渡って中国語を身につけ、そこで会った恋人が住むロンドンに引越したため、ロンドンにて勉強を始めるという彼女はやっぱりヘンな人だった(いい意味で)。「私は小さい頃から自分でビジネスをしたいと思っているし、自分で会社を作って人を雇いたい」という彼女が、「ビジネス経験もないのにそんなことできるの?」と疑う日本人よりも「会社に勤めなくても自分で生きるすべを見つけられればそれでいい」と考える中国人とのほうが話がしやすいというのはよくわかった。そういう発想を持てるというのは貴重だ。同じぐらいの年の学生を3000人ぐらい採用の仕事で見たことがあるが、なかなかこういう人には出会えない。「会社にいることのリスク」と「会社を辞めることのリスク」。どちらを選ぶかは個人の判断だが、この二つの考えを持ち続けることは大切だと思う。日本にいるときも、ロンドンに来た後も、自分がしていること(仕事)について疑問を持っている日本人があまりに多すぎる!どういうことだ!?疑問があるなら行動すべし!
2003年9月8日
第3週が始まった。僕にとっては最終週となるかな?
AcademicReading&Writingクラスの授業は相変わらず厳しい。ペースが早いんだなぁ。エジプト人のおっさん一人が超積極的についていっている感じ。後はみんな苦労している模様。
先週の金曜日に出したエッセイが添削されて戻ってきた。少々以外ではあったが、よく書けているとの評価を得た。構成がしっかりしていてオリジナリティがあるとのこと。少ない文献を読んで書いたエッセイなのでみんな同じようなものができるんじゃないかと思っていたが、僕のエッセイだけはみんなのと視点が違っていたらしい。みんなどんなこと書いてんだろう?
評価されるというのは自信になる。ロンドンに着いてから15日経っているし、日本にいるときも意識して英語の勉強をするようにはしていたが、どの程度上達しているのかは見えないから他人の評価というのはとても参考になる。この調子で頑張るか!
夕方、大学のコンピューターの中にすこしはましなものを見つけたので日本とチャットを試みた・・・。が、さすがにチャットプログラムは動かないようになっているらしい。残念。仕方がないのでチャットのようにメールを送りあった。明日のプレゼンの用意もした。テーマはアカデミックな内容なら何でもいいということなので、「平和学」をみんなに説明しようと思う。限りない領域を対象とする学問でもあると思うので、なかなか説明が難しいけれども、うまくまとめられるかな?
その後、ロンドンの中心部にあるPalaceTheatreに行き、「レ・ミゼラブル」を観た。安い席だったので劇場の後ろのほうだったが、それでもなかなか楽しめた。劇場はものすごい傾斜になっており、僕の席は暗幕の上部よりさらに上だったので、ほとんど真上からミュージカルを観る感じだった。大規模で回転する舞台セットは役者の動きを大きく見せる働きをしていた。戦闘のシーンでは3階の僕がいる客席の真横で何度も爆竹が燃やされ、迫力がある・・・というよりみんなビビっていた。当たり前なのだろうがみんな歌がうまくて、心に染み入る感じだった。今まで小規模な演劇やミュージカルを観たことはあり、それでも存分に楽しめるが、さすがにロンドンのロングセラーはレベルが、次元が違いすぎる。また観に行きたいな。
帰宅すると、もう11時を過ぎているではないか!プレゼンの準備しなきゃ!!
2003年9月7日
QMULの英語コースが主催するSocialProgrammeでグリニッジ天文台に行った。
時間通りに集合場所に集まった人は一人もいなかった。10人ほどがキャンセルし、参加者は約15名だった。主催のナターシャはかなりいらいらしていた模様。BowChurchまで約15分ほど歩き、DLR(DocklandsLightRailway)でCuttySark
for MaritimeGreenwich駅へ。ツアーガイドが来るまで30分ほど待たされ、正午過ぎにツアーが開始。カティサークやグリニッジについて詳しすぎる説明を受けた。
ツアーが始まったときにはすでにみんなお腹が空いていたのだが、各ポイントでガイドが10〜15分も話をしてくれるので、一部の真面目な学生を除いて、みんな集中力を欠いていた。遠足気分で参加したのだが、まるでレクチャーみたいだった。14時に解放されると、一目散に天文台近くのカフェテリアに駆け込んだ。サンドイッチとビールの小瓶で£6.5。ボッたくりだ!
東経・西経0°地点やグリニッジ標準時を示す24時間時計の前で記念撮影などをした。その後、カティーサーク号を見学し、テムズ川の下を通過するトンネルを通ってIslandGarden駅からDLRで寮に戻った。今日も天気がよかったのでまぁのんびりした日曜日を過ごせた。
夕食はツアーを一緒に回った中国人たちに招かれ、またしても美味しい食事を堪能。最近食生活に恵まれているぞ!
2003年9月6日
朝起きて、コインランドリーに行く。一回あたり£2(約380円)。高い!クリーニングも安いところでワイシャツ1枚£2.5〜ということを知り、さらに驚く。
昼過ぎにウィンザーに住む先輩とビックベン前で待ち合わせ。またしてもどこかへ連れて行ってもらうことにした。正午過ぎに国会付近を通過する大規模なピースウォークに遭遇。写真とビデオを撮り、ほんの少しだけ参加してみる。
日本ではイラク戦争後なんどか同様のイベントがあったが、最近はすっかり聞かなくなった。しかしイラク情勢は悪くなる一方。その状況をきちんとウォッチし、こうした活動を続けている人がいるというのはすごいことだなと関心する。外国でこういう状況があることはメディアを通じてなんとなくしってはいたが、実際にその場面に遭遇すると大いに感じ入るものがあった。
デモ行進が通り過ぎた頃、先輩がやって来た。セント・ジェームスパークとグリーンパークを通り、バッキンガム宮殿へと向かう。その後、ピカデリー・サーカスとオックスフォード・サーカス周辺を歩いた。どこも「イメージ通りの」イギリスの風景だった。この辺りがパトカーが行きかうEastEndと同じ都市であるとは俄かには信じがたい。やりすぎだと言いたくなるぐらい素晴らしい歴史的な建物をたくさん残したまま、ロンドンの町並みは現代的な雰囲気を醸し出している。歩くだけでわくわくしてくる。不思議な魅力のある街だ。
その後、昼食を食べに「さくら」という日本食レストランに行った。JALツアー御用達のレストランらしい。僕は今まで旅をしていて日本食が恋しくなったことはほとんどない。今回も渡英後2週間も経ってないので「別に日本食なんて食べなくても・・・」と思っていた。が、日本食は美味しすぎた。天ぷら盛り合わせ定食を食べたのだが、感動して涙が出るほど美味しかった。日本食の繊細な味わいは僕らが誇るべき文化だ!なんだかやみつきになりそうだぞ。
その「さくら」でものすごい出来事があった。注文をとり終わった頃、先輩が横の席に座る人のことをやけに気にしていたので聞いてみると、「大学時代の知り合いに似ている」ということだった。気になるから聞いてみようということで、話をするとまさにその人だった。大学以来約8年ぶりの出会いということだった。しかも日本から遠く離れたロンドンの地で!そんな偶然もあるんだなぁ。
昼食後、 先輩の買い物ついでにHMVと超高級デパートのSelfridgesに行った。すごくゴージャスな気分になった。店員らが鼻高々なのがよく分かった。今の僕にはあまり関係のない場所だな。
その後、車で少し遠出をしようという話になった。オックスフォード・ケンブリッジ・ストラットフォードアポンエイボンの3都市が候補に上がったのだが、結局ストラットフォードアポンエイボンに行くことにした。「そんなに遠くない」と先輩は思い込んでいたが、実は160kmもあった。高速では160〜200km/hで走っていた。さすがBMW。道の広さと車の安定感もあり、160km/hぐらいならそれほどのスピードとは感じない。しかし、さすがに200km/hとなると少し怖かった。
ストラットフォードアポンエイボンはシェークスピアが生まれ、また、晩年を過ごした地である。ロンドンを出たのが17時を過ぎていたので到着したのは19時少し前だった。シェークスピアの生家やミュージアムは全て閉まっていたが、外見を見ることはできた。古い家がきれいに保存されている。街の雰囲気は静かでのんびりしている。平和な風景だ。
陽が落ちるまでまだ時間があったので公園をふらふらしていると運河があった。イングランドには至るところに運河が張り巡らされており、移動の手段(現在はもっぱら究極のノンビリ旅行用かな)として使われている。水門を開閉することで水の高さを変え、運河をすすんでいくという。船の速度はかなりスローで(歩くスピードぐらい?)、しかも水門を通るたびにかなりの時間を要するので、本当に時間に余裕のある人しかこの旅を楽しむことはできないだろう。案内板によると「ロンドン、132マイル、85時間」と書かれていた。車の50倍ぐらいの時間をかけることになる。優雅な旅だろうな。
陽が落ちるとChespian'sというインド料理レストランに入った。インド料理と言えばその先輩と大阪で仕事をしていたときに週に3回ぐらい通ってたことがある。どこへ行ってもインド料理屋にはほとんどハズレがない。素晴らしい料理だと思う。またしてもご馳走になった。ありがとうございます。今日も一日一緒に過ごして、先輩が全然日本のサラリーマンっぽくないという気がした。この人みたいのがジェントルマンかもな、と思った。
2003年9月5日
第2週が終わった。時間が経つのが早い! 今日は金曜日ということで、英語コースの同級生らとサッカーをした。ここに来ている中国人は背の高い人が多い。9人でサッカーを一緒にやったのだが、メンバーの中に190cm以上ある人が3人もいる。走るだけですごい迫力だ。しかも、運動神経がかなりいい。昨年「もう一つのワールドカップ」で何度も中国人とサッカーをしたが、そのときはボールをまっすぐ蹴れる中国人は一人も見なかったのに!
その後、同じ寮に住む日本人の女の子がとんかつパーティをすると聞いていたのでビールとジン、トニックウォーター(シュウェルツ)を持って会場へ向かった。とんかつの他、コロッケもあった。ぐれいと!また、台湾人と中国人がピラフや豚肉スープ・メロン・葡萄などをふるまってくれ、美味しすぎる夕食を楽しんだ。
久しぶりにビールもたくさん飲み、盛り上がったところでパブに初挑戦。相変わらずQMULの付近は怖ろしい雰囲気が漂っていた。8人ぐらいで12時過ぎまで語り、その後多勢は帰ったので、台湾人のエドワードとお金が尽きるまでさし飲みする。ギネスやっぱりうまいよ〜。帰るときには財布には30ペンスしか残っていなかった・・・。
2003年9月4日
今日も快晴だった。イギリスってすごく天気がいい国なんだな?
Academic Reading&Writingの講義の内容が難しい。短時間で文章を読み、いろいろな問題を解かされるのだが、文法用語を英語の単語として知らないのもあって、ついていくのが精一杯だ。終わると頭がいっぱいになる。落ちこぼれる寸前だな・・・。復習しておこう。
レクチャーも同様。とくに始まって10分ぐらいはほとんど理解できない。徐々に慣れるのか、しばらくするとほとんどの文章を聞き取ることができるが、内容があまり頭に入ってこない。したがって、質問することは非常に困難である。
Spoken Skills Groupは気楽でいい。ディスカッションにも普通についていける。今は留学生だけでやっているからかな?イギリス人が入ってきたらより厳しくなるだろうけど。
昨日、部屋の蛍光灯が切れたので今日はそれを取り替えてもらった。高いところにあるので、やって来た黒人の女性に部屋にある椅子を貸したのだが、土足のまま上がられて少しむかっとした。でも、電車とかバスとかでみんな平気で靴を履いたままクッションに足乗せるんだよな、ヨーロッパでは。知ってはいても理解し難いことである。
2003年9月3日
今日は1時で講義が終わりだったので、ロンドンの中心部をふらつくことにした。
地下鉄でピカデリーサーカスへ行き、あたりをぶらぶらする。建物の感じや劇場の多さには驚かされた。しかし、、ロンドンは東京といっしょだな。目的もなく歩くのはよくない。ガイドぐらい持ってくるべきだったかな?水曜日だというのに昼間からパブが満員なのはさすがだ!
少し歩くとチャイナタウンに着いた。ここで国際電話用のテレフォンカードが安く売られていると聞いていたので、いくつかの店をあたった。日本にかけるのが安くてクリアーなのはSwiftCallという電話会社だと聞いていたので探し回った。安いカードを扱っている店はたくさんあったが、SwiftCallのカードを見つけるには時間がかかった。中国人店主たちは「日本にかけるならこれ」といろいろなカードを勧めてきたが、今回はSwiftCallにこだわった。前回、安さに負けて買ったカードでは、通話が困難なほど接続が悪かったから。
結局£25分のカードを£13.5で買うことができた。早速、東京にかけてみると音がクリアー!!!東京同士でかけているみたいだった。話しているうちに45分が過ぎていた。Time
flies like an arrow.
2003年9月2日
いつもと同じようにクラスを受ける。今日はノルマン・コンクエストについての講義を聴いた。教授の言ってることはほとんど聞き取れる。しかし、内容的に頭に残るのは半分ぐらいだろうか・・・。ノートを取っていると聞き逃してしまうし、今後どのようにするべきなのだろうか。いろいろ試行錯誤が必要そうだ。
ライティングのクラスでは、エッセイの第一稿の期限を言い渡された。今週の金曜日の昼までとのこと。突然言うんだなぁ。先週言ってくれればもっと準備してたのに・・・などとつぶやいてはみるが、限られた時間で課題をこなすいい練習になると思うのでしっかりやろう。来週のSpoken
Skills Groupのプレゼンも用意しなきゃならないな。週末と月曜の夜はしっかり遊ぼうと思っているので、明日と明後日で一気に仕上げたい。
マスターコースが始まったらもっと忙しいだろうから、限られた時間で課題をこなしながらリラックスする練習をしとかなきゃ。
2003年9月1日
9月になった。寒さの程度は日本の10月下旬並み。長袖を着てても寒い!もうサンダルとはお別れかな・・・。天気がいいことだけが幸い。ロンドンに来てからまだ一度しか雨にあたっていない。Hou
lucky I am!
今日から第2週目が始まった。いろいろなタスクをこなしていくが、リスニング等はどの程度上達しているのだろう?本当に上達しているのだろうか?一方でWritingのクラスなどでは学ぶことが多い。「調べ物の手順」みたいのを学んだのだが、なかなか新鮮で面白い。
来週の火曜日にSpokenSkillsGroupでプレゼンをすることに決まった。これも少しずつ準備しなきゃな。
夜は外食した。Kebab&Chipsを食べる。学食よりはだいぶおいしかった。が、こんなもの毎日食べてたら、早死にするだろう。しかもファーストフードなのにやっぱり異常に高い。£5.5也。そして出てくるのが遅い。どうして15分もかかるんだろう?
この辺り(EastEnd)は噂に聞いたとおり、治安が悪いようだ。陽が落ちると雰囲気がますます悪くなるし、15分に一度はパトカーがフルスピードで走っているのを見かける。
2003年8月31日
今日はQMULの周辺で一日を過ごす。午前中は、Writingクラスの課題をこなし、日本の自分の両親と彼女の両親にメールを書いた。無事にロンドンに着いたことを報告した。ちと遅かったかな?まぁネットワークの環境が悪いので仕方がない。
昼食を買いに近くのスーパーに行くと、なんとチェコのBudweiserが売られていた。瓶ビールの最高峰である(主観です)Pilsner
Urquellもあった。チェコで友人のJanと飲んだときのことを思い出した。これは買うしかないでしょう。
昼からはコンピュータールームに行き、オンラインのチケットショップでミュージカルのチケットを探した。マンマ・ミーアかライオンキングでも見ようかと思ったが思ったように席がとれず、結局Les
Miserablesを選んだ。この話は小学校3〜4年のときに担任の先生から何回も聞かされたのでよく知っている。まさかそれから約20年経って、ロンドンでそのミュージカルを観ることになるとは想像すらしなかったが。席料や発券チャージを含めて£15.60だった。3000円ぐらいでミュージカルが観られるというのは気軽でいい。ネット上の手続きも分かりやすかった。チケアルもこのぐらいできるようにならないかな?
夕方Pinに誘われVictoria
Parkまでジョギングに行った。彼は毎日のようにジョギングをしているので付いていけるかどうか心配だったが、走り始めて2分ぐらいでそれが杞憂に過ぎないことがわかった。彼はものすごく遅かった。僕のことを「アスリートか?」なんて聞いてきたが、アスリートどころか10年ぐらい走ってなかったと思う。タイ人って遅いのかな?とにかく、僕がすごくゆっくり走っても、彼はその半分ぐらいのスピードで走るので、ジグザグに走ったり、後ろ向きに走ったり、リスを追いかけたり、飛び跳ねたりして時間を潰した。Victoria
Parkまでの往復(約2km)と公園一周(2kmぐらい?)で、4kmほど走った。久しぶりにいい運動だった。気分がいい。今後も軽い運動を心がけよう。
2003年8月30日
朝起きると、ウィンザー城の周辺に車で行き、朝食にパニーニを食べた。またご馳走になった。ありがとうございます!
先輩はバーミンガムへゴルフをしに出かけるというので、一人でウィンザー城を訪れることにした。入場料は学割で£9.5!高いなぁ・・・。でも、せっかくなので入ることにした。
「衛兵の交代(Changing of the Guards」が一つの見ものらしいが、今の時期は毎日やっているわけではなく、次は来週の火曜日だった。残念・・・。Queen
Marry Doll's Houseは全然たいしたことがなかったが、State Appartmentは驚くべき展示品の宝庫だった。ワルシャワのNational
Museum(だっけな?)で二日酔いと睡眠不足を一気に吹き飛ばすような感動を覚えた時のことを思い出した。今日はそのどちらでもないので、建物の内装や装飾、展示物を存分に楽しむことができた。こういうところの晩餐会って、一体どんなだろう。興味あるな。イギリスに来たんだから一度ぐらいチャンスがないかな・・・ないか?!
その後、美しすぎるテムズ川を渡り、 イートン校を見に行った。すごく敷居の高そうな場所だった。それからロンドンに戻ることにした。列車でLondon
Padingtongまで所要30分、£8.5。高いなぁ。それから地下鉄でMileEndに戻ろうとするも、複数のラインがストップしていて、聞いたり迷ったり間違ったりしているうちに1時間半も過ぎてしまった。地下鉄が不通になるなんて信じられない・・・が聞いてみるとロンドンではけっこうよくあることらしい。
寮に戻るとタイ人のルームメートPinが他のタイ人との夕食に誘ってくれた(他のタイ人二人の名前忘れた・・・長かったのは覚えてる!)。そこに行く前にタイ風オムレツをPinが調理たのだが、焦がして火災報知器をならしてしまった。消防自動車まで来て大騒ぎだったが、話を聞くと8月の初めからですでに4回目だとのこと。報知器に問題ありだな。タイ人の3人のほか、台湾のマックスと日本のみどりさんと六人で食事をした。美味しかった。ラッキー!食後、Pinに僕の今までの旅行の話をしてあげた。トルクメニスタンのニヤゾフ大統領の話をすると腰を抜かしていた。彼のことは知らない人が多いが、話をするとみんな興味を持つ。さすが偉大なる大統領様だ(笑)。
今日は昨日購入したテレホンカードで東京に電話が通じた!久しぶりに美紀の声を聞き、しびれた!
2003年8月29日
今日はSpoken Skillsのクラスが2つと、Academic Reading & Writingのクラスが1つあった。一週目が終わったが、今週はかなりゆっくりとしたペースだったと思う。慣れるためにはこんなものなのかな?「3週目と4週目は忙しいから覚悟しとけよ」みたいなことを全ての先生が言うのだが、もっと早くからいろいろやればいいのにとも思う。
ただ、ゆっくりとした時間の中で自分がもう少しやっておくべきことも見えたので、空いている時間に自分なりに知識を吸収する必要性を強く感じた。となると、やっぱり時間がいくらあっても足りないのかな?
夕方、富士通時代の先輩でロンドンに出向している人がいるので、連絡を取った。・・・すると地下鉄で二つか三つ向こうの駅にいることが判明。ご飯を一緒に食べることにした。車でロンドンの中心部に連れて行ってもらい、シンガポール料理をごちそうになった。とても美味しかった。ごちそうさま。ありがとうございました。ロンドンに来て初めてビールを飲んだ。ただし、タイガービール。
ロンドンの中心部は僕が今滞在しているEastEndとは全く異なっていた。歩いている人の目つきや周りの雰囲気が違いすぎる。ロンドンに着いてEastEndに直行して、この辺りのことをロンドンと信じ意外な印象を受けていたが、やっぱりそんなことはなかった。街の中心はテレビで見たロンドンと同じだった。いやぁすごい街だなぁ。さすが。ちなみに、僕が今いるEastEndはニューデリーみたい。
食事をご馳走になった先輩は富士通時代に一緒に関西で新卒採用をした人で、二週間ぐらい寮生活をともにした人でもある。海外とは全く関係のない仕事をしていたのだが、海外関連の仕事をしている人よりも鋭く幅広い視点を持っており、ときにシニカルで、余裕のある感じの面白い人だ。仕事を一緒にしたのは一度きりだが、一緒に旅行したり、鍋をしたりして親しくさせていただいていた。2年半ほど前に配置転換で突然ロンドンに赴任が決まり、それ以来は会っていなかった。
久しぶりに会っても全然変わらない様子だったが、車を運転し(免許はイギリスで取得)、英語を喋っている(英語はイギリスで習得)のは始めて見たので、かなり違和感があった。しかし、運転ではイギリス人を煽り、英語でもイギリス人に屈しないその姿はとても勇ましかった。イギリスでの生活やイギリス人との付き合いをずいぶん楽しんでいるようで、さすがこの人は違うなと思った。いろいろな駐在員を見たことがあるけど、彼みたいな性格じゃないと外国できちんと仕事できないだろうなぁ。いろいろな話をして、先輩と会ってよかったなと強く感じた。「お前も楽しめよ」と言われた一言が、妙に嬉しかった。
食後、 彼のアパートがあるバークシャーのウインザーへ。へぇぇぇ、いいところ住んでるんですね!
2003年8月28日
午前中はライティングのクラス。文章の中からトピックを見つけ出す練習で、内容的にそれほど難しくはないが、今までに経験したことのないような形の問題を理解するのと答えをすぐに英語で説明するのに少し戸惑う。練習あるのみ。
その後、Myths&Legends in the East Endというタイトルのレクチャーを受ける。East EndとはロンドンのなかのQMULがあるこのあたりのことをさす単語なのだという。かつてはユダヤ人居住地であり、現在はインド・パキスタン系の住民が多い。昔から共通しているのはここが貧民街であることらしい。それにしても、この地にゆかりのある偉人も多く、トーマスジェファーソンやらレーニンやらの名前が挙げられていた。レクチャーの内容はそれほど難しくはないしペースもゆっくりなので今日はよかったが、これ以上早くなるときっと聞くのも厳しいのだろうな。聞くことができてもノートをとるのが厳しいかもしれない。慣れなくては・・・。練習あるのみ。
その後、周囲を歩いた。また、コンピュータールームに行ったのだが、今日も建物内で迷ってしまった・・・。ロンドンに到着してから3日目だが、建物の構造が理解できない。外から見るとすごくいい感じなのに、内側は複雑だし、場合によっては狭すぎる通路や低すぎる天井に遭遇することがある。ちゃんと設計してるのか?
2003年8月27日
午前中はディスカッショングループでチャット。
その後、ライティングのクラスが始まるも、今後のトピックの希望調査をしただけですぐに終わってしまった。昼食は寮でトマトと卵の炒め物を自炊。イギリスの食べ物から遠ざかろうとしているみたいだ。
午後はComputer Inductionのコース。コンピューターのIDとパスワードをもらい、ようやく日本との連絡手段が一つできた。しかし、QMULのネットワーク環境が悪いのか、今日使ったコンピューターが悪いのか、コンピューターが全然動かない。止まっているのかと思ったぐらいだ。OSはWindows95。信じ難い。
夕方、今日もタイ人のルームメートと散歩に出かけ、安いスーパーを発見。昨日の半額ぐらいだ。極端だなぁ・・・。この辺りの人は不要な商品を適当に置き散らすようで、レジの周りの洗面用品売り場に、肉やら野菜やらが無造作に置かれていた。レジの流れにも唖然とした。帰ってタイ人に肉じゃがを作ってあげる。イギリスの食材にしてはよくできた。渡英後一番うまい食事だった!
2003年8月26日
7時過ぎに語学研修を受けるQueens
Marry, University of London(QMUL)に着いてしまった。しかし、当然の如く空いていない。早すぎた!学校側から送られて来た資料には「時間外に来たらこうしなさい」みたいなことが書いてあるが、実際に尋ねてみると、「9時までは何も始まらないからそこで待ってなさい」。やっぱり。せっかく急いで来てみたが、あまり意味はなかった。2時間余り、受付の横のソファーでうとうとした。
9時過ぎから寮の鍵を受け取り、寮に荷物を置き、集合場所に移動したが、少し迷ったのもあって5分ほど遅刻をした。まぁ何の問題もないだろうけど。ここQMULの建物は複雑怪奇だ。イギリスの建物はみんなこうなのだろうか。構造が全くつかめない。機能的だと言える所はまったくない。迷路に来たみたいだ。しかも、語学研修をやるところはメインビルディングとは言えしめっぽい地下で、天井も低く雰囲気が悪い。これからイギリスでの生活に期待を持つ人に居させる場所として全くふさわしくない。道を迷って少し外れると、粗大ごみ置き場とかむき出しのコンクリートが見える。
語学研修に来てるのは8割が中国系。中国語を学ぶには最適な環境だ。「発音に自信のある」中国人が多く、何を言っているか全然わからないことが多々ある。その他、パナマ・ロシア・タイ・イタリア・ノルウェー・パレスチナ人などがいた。日本人は5〜6人かな?まぁ、英語を練習するためのクラスだから、英語圏から遠い人が多いのは当たり前なのであろう。
初日は、文法とライティング、インタビューによるクラス分けテストがあった。すごく眠かったが、あまり難しい試験でもないのでさほど苦しまずに済んだ。その他、簡単なキャンパスツアーで図書館などに行き、最後はTea
Partyで一日を終えた。ジュースと紅茶があったが、飲み物の量がとても少なく、グラスやカップが異常にたくさん置いてあったのが印象的。
夜はタイ人のルームメートと買い物に。ご飯を作ろうと思ったが、だらだら過ごしているうちにいつの間にか寝てしまったようだ。夜中にパンをかじって就寝。
2003年8月25〜26日(3) ロンドン篇
飛行機は狭かった。予約が取れなかった通り空席は一つもないし、となりのイギリス人のおじいさんもマレーシア人学生もかなり恰幅がいい。超過料金を払ってもらいたいぐらいだった。
約13時間で飛行機はロンドン・ヒースロー空港に着陸した。初めてのイギリスである。日本を出てからおよそ24時間が経過している。これだけ飛行機に乗るとさすがに疲れるな。狭さもあって、シベリア鉄道の100時間とかに比べてもずいぶんきつい。
入国審査は意外とあっけなかった。大学からのオファーレターと財政証明書をちらっと見せるだけで、厳しい質問もなかった。時間にして2分ぐらいだろうか。いろいろとキツイ噂を聞いていたので却って拍子抜けした。税関のチェックも全くなかった。朝6時だからなのかもしれないが、職員が見当たらない。端のほうで居眠りをしている税関職員らしき人をみかけただけだ。
地下鉄の案内標識に従って暗くて長い道をひたすら進んだ。気分が滅入るぐらい長い道のりだった。この暗い雰囲気が、噂に聞いてたイギリスだという感じがしてきた。気候が悪く、食事がまずい。これからどんな一年が待っているのだろう。
銀座線よりも狭い印象の地下鉄を乗り継いでマイルエンドという駅で降りた。乗り換えのときや地上に出るとき、エスカレーターやエレベーターがないところがほとんどだった。30kg以上の荷物を持ち運ぶのは結構辛い。しかし、地上に出てみると、朝の空はよく晴れており、この空がこれからの先行きを暗示しているのだなと信じることにした。さぁ、頑張るよ!!
2003年8月25〜26日(2) マレーシア篇
成田からコタキナバルまでは、乗客が少ないこともあって、周りに乗客がいなかったため、誰とも話さずに過ごした。お酒も一滴も飲まなかった。こういうときに飲むべきじゃないと思ったのだ。結局、ロンドンまでの飛行中、全く飲まないことにした。
コタキナバルの空港で2時間も待たされたが、全くすることがなかった。飛行機を降りてトランジットエリアに行くことができるのだが、いくつかの土産屋と免税品店があるだけで、面白くはない。滑走路の向こうに見える海と沈む夕陽はなかなかだったが、日が沈むともう何も残らなかった。近くに東南アジア最高峰のキナバル山があるはずなのだが、トランジットエリアからは見えないようになっていた。
同じ飛行機に乗っていたスリランカ人と話をした。「コタキナバルってドコノ国ダ?」と聞かれた。彼はここにトランジットすることを知らなかったらしい。お互いの恋人のことを話した。彼は日本で勉強をしているが、スリランカに恋人を残しているため、休暇を利用して帰省するのだという。これから会うのかぁ。いいなぁ。他人と少し話をすることによって、僕は少しずつ平常心を取り戻したと思う。現実を受け止め、克服し、チャレンジすることこそが、彼女を思いやることなのだ。
クアラルンプール(KL)に着くと、戦いが始まった。僕が予約できている飛行機は、極めて乗り継ぎが悪く、KLに一泊して翌朝発つ事になっていた。ホテルがついているわけでもなくコストもかかるし、ロンドンへの到着も10時間近く遅れるので、Pre-sessional
English Courseの初日にも参加できないことになってしまう。打てる手は、キャンセル待ちが結局取れなかった23:40発のMH002便に無理矢理でも乗り込むこと。
トランジットエリアでまず交渉。相手にされない。その後手荷物を受け取り、マレーシア航空のカウンターへ・・・。しかし、「完全に満席」だと断られた。最後の手段で、MH002便のチェックインカウンターに行った。担当の人はまたしても「Full」だというので、髭をはやした偉そうな人を捕まえて頼みこんだ。すると、「保障はできないが」と言われ、スタンバイリストの8番目に載せてもらった。しかし、8番目じゃさすがにムリかなぁぁぁ・・・。
出発の30分前に再びカウンターへ。先ほどの担当の人は11時で仕事を終えたらしく、すでにいない。そこで髭にもう一度声をかけると、チケットを持って裏へ入っていった。5分後に「空席が一つだけある」ことが判明。無事希望通りの便に乗ることができた。スタンバイリストには8名がいたということだが、結局誰も来ていないようだった。何はともあれ、ロンドン行きの飛行機が決まった。英語のコースも休まなくて済むし、なかなか幸先がいいな!
2003年8月25〜26日(1) 出発篇
昨日、出発する成田空港には出発の3時間前に到着した。こんなに早く来たのは初めてかな・・・いつもはビジネスクラス狙いで航空会社の人に怒られるぐらいぎりぎりに行くことにしているので。
しかし、航空券代の振込みや保険への加入など、諸手続きをしているうちにあっと言う間に時間が過ぎてしまった。見送りに来てくれた僕の両親と彼女の母親、そして友人2名から頻繁に連絡が入っていた。もともとは彼女と二人でしんみりと別れを惜しむつもりであったが、彼女の母親が見送ってくれることになり、続いて僕の両親も空港まで来ることになった。友人二人からは朝突然電話をもらい、「これから行くから」というような感じであった。友人の一人は9年近く前にソウルで会った人。チケット会社の代表者で、一人でやっていたのだが最近一人社員を雇うことになり、その社員にオフィスを任せて来てくれた。もう一人は、3年半前に僕が富士通で新卒採用の仕事をしているときに会った後輩で、その後もいろいろな場面で付き合いのある楽しすぎるやつだ。富士通の社員らしく、ほとんど休みなんて取ったことがないのに、わざわざ成田まで来てくれた。
チェックインの際に預けた荷物は26kgもあった。今までの旅で最も重いことは間違いない(ほとんど預けたことないぐらいだから・・・)。6kgオーバー分の超過料金等は何も発生しなかった。よかった・・・。
その後、6人でスタバに行き、しばし歓談するも、気持ちが浮ついてしまっていた。徐々に渡英する実感が湧いてきたようだ。家族や友人、そして最も大切なフィアンセを日本に残して、僕はイギリスへと旅立つのだった。
出発の50分前にスタバを出て、搭乗口へ向かった。彼女の母親にお礼を言ったものの、すでに頭が真っ白でうまく話せなかった。その後、友人二人にも別れを告げたが、まともに目をみることができなかった。そして、ゲートの目の前で彼女としばしの別れを惜しんだ。すでに頭の中はパニック状態になりかけていたが、彼女が僕の28歳の誕生日のときにくれたメッセージのワンフレーズをふと思い出し、すこし落ち着きを取り戻した。「離れ離れになることがあっても、ふたりの前にある道はいつも一つだよ」。彼女は僕にとって完全に信頼のできる唯一の人。いつも一生懸命支えてあげようと思っているのだが、実はかなり支えられてるなぁと思うことも多い。まぁ信頼というものは双方向のものだから、それでいいのかもしれない。これから一年は数ヶ月に一度しか会えないけれども、同じ場所にいるような感じで感情のキャッチボールをしていけると思う。寂しいことも二人で乗り越えて行こうね!
ゲートをくぐり、見送りに来てくれたみんなの顔が完全に見えなくなると、こみ上げてくるものがあった。感情をコントロールすることができず、コタキナバルまでの約5時間、思い出しては目に涙をためてしまった。自分の経験上、まれなことであるので、ここに記しておく。
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