ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)

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帰国しました(7月)


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2004年7月31日

美紀のフラメンコライブを観に行った。約一年ぶりだ。予約した席が舞台の目の前だったのできれのある踊りを間近でみることができた。僕の両親と美紀の父親と4人で観賞した。イタリアの新婚旅行先から直接来るはずだったこやじ・ハラクミは少し遅れて、ちょうど終わったところでやってきた。残念だったね。
ライブ終了後、イスファハン組のnsmとあこちゃんを加え、恵比寿ガーデンプレイスでビールを飲んだ。39Fの展望スペースからは隅田川と豊島園(?)の花火大会が見れた。親と友人が同席するという今までにない酒席だったが、楽しかった。さすが僕と美紀の親、そして友人たち。ロカ岬・ウェディングツアーもきっとものすごく面白くなるだろうな。

 

2004年7月30日

昨日手に入れた文献を朝から読んだ。面白い。漠然と考えている論文の構成に(予想通り)使いやすいものだ。久しぶりに頭がフル回転しているような感覚を覚えた。そういう時というのは文献を読んでそれをどんどん理解できるだけでなく、将来したいこととかを含めていろいろなものが頭の中に浮かんでくる。文献を読みつつも論文以外のことも考えているので、人に言わせると集中できてないという見方をする人もいるだろうけど、こういう感覚を持つときは理解も早いし得ている知識を自分の生き方にうまく当てはめることができている結果だと思う。
夕方、実家への道を歩いていると中学時代の友人に遭遇。15年ぶりに話をした。彼は全く変わっておらず、一目見て判別できた。30分ほど話したと思うが、懐かしい名前がいくつも出てきた。15年前は同じことをしてたのに、今ではそれぞれが独自の道を進んでいる。面白いものだなぁ。また会ってゆっくり話したいと思う。

 

2004年7月29日

立教大学の志木キャンパスに行った。遠かった・・・。
キャンパス内に入り地図を見ていると、警備員がにこやかに話しかけてきた。図書館について尋ねると親切に行き方を教えてくれた。ここの図書館は一般開放されているので紹介状なしでも入ることができる(頼んでから一ヶ月以上経っているのにUofBからは未だに紹介状が送られてこない)。しばらく館内を閲覧した。
僕が欲しかったジャーナルの類は書庫に入っていることが分かった。カウンターにいる職員に話しかけると「試験中なので一般の人は明日までお断りしてるんですよ」と言われた。しかし、次の瞬間には後ろを向いて「でも、ちょっとぐらいならいいですよね、○○さん・・・」。話しかけられた職員も快諾して資料を見せてくれることになった。融通の利くいい対応をするところだなと思った。イギリスでの職員の対応と雲泥の差である。
資料をコピーした後、花月志木店でにんにくげんこつラーメンを食べた。背油を大量に使ってごまかしているだけで、あまり美味しくない。名前にげんこつなんて入っているくせにパンチが効いていないし、量も少ないなぁ。日本に帰国してからラーメン屋に行くのは3度目だが、まだ一度も満足していない。京都にいた頃はおいしい店が多かった気がする。大学を卒業してから東京に来たけど、東京でお気に入りのラーメン屋はまだ見つかっていない(というほど僕はラーメン屋に行く人でもないんだけど)。
その後、立教大学の池袋キャンパスに行き、さらに資料をコピーした。ブラッドフォードの友人慎子とマリコムに紹介してもらった後輩IさんとSくんと正門で落ち合い、2人に案内してもらった。2人とも感じのよい学生だった。図書館員と学生を見て立教大学はなかなかの大学だなぁと感じた。

 

2004年7月27日

あと2ヵ月後にはロカ岬にいる。そのときには論文が仕上がっているのだろうか・・・。
白紙のMicrosoftWordの画面を見ながら、しばし呆然とした。久しぶりに10時間以上机に向かった。朝からずっと書こうと思っていたが、なかなか始めることができず、夜9時を過ぎてようやく1単語目を打ち込んだ。初日は200語強。まずますの出だしだということにしておこう。

 

2004年7月24日〜26日

週末、伊勢原→秦野→御殿場→立科へと避暑(?)旅行。
伊勢原ではフード・クリエイターの植松氏の新しいキッチンアトリエを訪問。ニシモデザインによるしゃれた設計のキッチンを見学し、パスタ打ちを体験した。クミンの入った植松氏特製ドレッシングと鰯のトマト煮が印象的!素敵な空間と料理を堪能した。その後、大急ぎで実家に戻り、広島風お好み焼き大会。渡英中も3〜4回自分で作って自分の腕はなかなかだと思っていたが、広島っ子の美紀が作るお好み焼きは格別にうまい。美味しいものはいくらでも入る。結局、昼から夜中まで休みなく飲み食べ続けた。
翌日、御殿場のアウトレットモール経由で長野県にある立科白樺高原ユースホステルへ。マネージャーの寺島さんに忙しさの合間を縫って10月にここで行う結婚式の打ち合わせに付き合ってもらった。昨年渡英前にもここを訪れたが、今回はイメージが具体的になってきているため当日の進行などを考えながら部屋の広さや設備の確認などをした。とは言え、まだまだたくさんつめていかなければいけないことがあることを実感。自分たちはもちろん、来てくれる友人や親族がゆっくりと楽しめる会にするために、決めるべきことが山ほどある。
長野から車を返しに実家に戻り、大急ぎでご飯を食べた後、奥沢にあるD&Departmentへ。またまた植松氏に会い、美紀と3人でゆっくり話をした。もともとは2日前に伊勢原で話をするつもりだったのだが、キッチンアトリエに15人ほど来ておりゆっくり話ができなかったのでまた会うことにしたのである。ポルトガル・ロカ岬へのウェディングツアーについて話した後、今までしてきた旅の話などもして盛り上がった。2日前に初めて会った人とは思えないぐらい。まぁ、面白い人と出会うといつもそうではあるが。ツアー中、リスボンでの食事を植松氏チョイスのものにできるかもしれない。ますます楽しくなりそうだ。
移動・食事・会話であっという間に3日間が過ぎた。かなり充実した週末だった。

 

2004年7月23日

今日も資料を読んだ。そろそろまとめていかないとと思いつつ、まだ1語も書いていない。とりあえず書いてみる方がいいのだろうかと思いつつも、まだ手がつけられずにいる。膨大な量の文献から得たヒントと僕に頭の中にあるアイデアが、どのようにして論文になっていくのかは全く不明。
If it were not for the last minute, nothing would get done. (Anonymous)
またギリギリになるまで書けないのだろうか・・・。

 

2004年7月22日

弟の家を訪問。中華晩餐会をした。
この晩餐会は昨年10月に、イギリスにいた弟の友達がブラッドフォードの僕を訪ねたときに(勝手に)開催が決まったもの。水餃子をつまんだ後、麻婆茄子、春巻、紅西柿鶏蛋、酢豚をごちそうになる。どれもこれもかなり美味しかった。弟は以前から料理がうまかったが、さらに腕を上げていた。ぜひすぐに第二回も開催したい。弟の友人たちも――今までに何度も会っているが――個性的で面白すぎる。いい友達を持っているなと思う。
成果主義富士通時代の同期入社の友人から本を出版したという連絡が入った。富士通は成果主義を早くから導入した会社だが、その分早くからも弊害も発生し、問題がおきながらも改善がなかなかできないでいた。僕は退職後の事情はよく知らないが、オープンな形での評価をされなかった管理職がいきなり制度の導入で部下を評価させられ困惑している様子をよく見ていた。差をつけてください(成果を評価してください)という人事の要請に、結局年功序列で成績をつける人やみんなに同じ評価をつける人も多かった。目標管理制度というものがあり、目標をどれだけ達成したかで成績が決まるのだが、目標を低く設定すれば評価が上がるという状況もあった。その後数年が経つが同期入社の友人がより成果主義制度のコアの部分に現在は入っているが、話を聞くと4年前と変わっていないようだと感じた。
その『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』 という本はその制度を批判し、問題を暴露する内部告発的な本らしい。本人曰く「過激な内容」とのことだ。この本に関して同期の中で久しぶりにメールのやり取りがあった。「やり方が汚い」と批判する側は退社する前に発言し改善せよと訴える。それに対してその反論は「組織の論理」だと主張する著者。どこまで「暴露」しているのかはまだ読んでいないので分からないが、彼なりのひとつのやり方だったのだろう。自分の思いを退職後カタチにした彼の行動力には敬服する。アマゾンのランキングで一瞬だが5位まで上がったぐらいだから期待値も高そうだ。読んでまた感想を書きたいと思う。明日、発売。

 

2004年7月21日

内閣府「第二回討議セッション」のランチ・レセプションへ行った。1年ぶりに何人かのスタッフと会い、2週間ぶりに英語を話した。まだ午後の評価会が終わっていないからという理由で(?)アルコールは一切抜き。参加者からは「フェアウェルなら飲ませろ」という声が密かに上がっていた。同感。それに僕は熱い中歩いてきてようやく到着したのだから一杯でもあればと思った。
その後渋谷で美紀と待ち合わせ、結婚式の招待状用の用紙や封筒を買った。いつも行かないようなところに行くのは楽しい。フェアウェルがフォーマル・パーティーだったのでスーツでずっと歩いたのは辛かったが・・・。
帰りに土用丑の日らしく鰻を購入し、これからの暑い日々のためにスタミナをつけることにした。ここ数日、外を歩いているだけで頭がぼぉっとしてくる怖ろしい暑さである。何かをするには厳しすぎる気候だが、何か以上のことをしなければいけないから・・・。

 

2004年7月19日

海の日。そろそろ論文に真剣に取り組もうと思い、集めた資料に溺れる。
最近外出が多くてあまり読む時間を取っておらず、進行していなかったが、時間をとってもなかなか進行しないものだ。しかも長い時間かけて読んだ文献があまり今回の論文には役立ちそうになかったり・・・ま、今後の人生でいつか役に立つときが来ればいいか。
東京は今日も暑い。昨年の真夏日の日数を、今年はすでに越えたとのニュースを聞いた。同じ夏でもこれだけ気候が違うのはどうしたことだろう。新潟や福井で大洪水が起こっているが、その惨状は現在の気候や日本のシステムに限界が来ていることを示しているのかもしれない。この洪水は天災か人災か、この洪水は温暖化の影響かそうでないかなどということがしきりに議論されている。被災地を訪れた首相は「思ったよりも大変ですね」とだけ述べ、その地域の助けになることは言えなかったしできなかった。何をしに行ったのだろう。
2年前にシルクロードを横断する際、西安の近くで大雨が降っていた。橋が決壊し、僕が乗ったひとつかふたつ前の列車が転落し多数の死者が出た。その数ヵ月後、チェコから友人が来日している際にチェコでは大洪水が起こり、ブルタバ川は溢れ、水がカレル橋を沈め、友人宅もものすごい被害を受けた。人間の手で抑えきれない事故が増えている。自分のすぐ近くまでそうした事象が来ている。

 

2004年7月17日

太極拳の全国大会を見に東京体育館へ。太極拳は中国の公園で早朝に何度も見かけたことがあるけれど、きちんと見るのは去年の同じ大会に次いで二度目だ。太極拳と言えばとてもゆっくりと身体を動かしているイメージが強い。美紀のお母さんもそういうタイプの団体戦に出場していた。動きがしなやかでスムーズで格好いい。しかし、それだけではなく、太極拳には酔拳や猿拳、激しく棒を振り回すものなどとてもたくさんの種類がある。
夕方、久しぶりにEsfahan2002のメンバーと日暮里のイラン料理店「ざくろ」へ行った。去年よりさらに店舗が拡大していて、それでも客はいつものごとく満員だった。相変わらずみんな多様で楽しそうな生活を送っている。店長のアリさんが来年カナダへ移住するとかで、その後の店長を探しているそうだ。いつの間にか僕が次の店長になれとすっかりネタにされたが(笑)、彼のキャラクターなしではあの店は難しいだろう。どうなるのだろうか。
結局、閉店までそこに居座り、その後も明け方近くまでみんなで語った。

 

2004年7月16日

ICUに行った。武蔵境駅からだいたいの見当をつけて向かったが、予想以上に遠く、しかも途中でどしゃぶりの夕立にあい、迷った。バスで行くべきだったな。最終的にグラウンドの横の林のようなところに出た。図書館の中でも迷った。慣れない場所だと資料を探すのも一苦労である。
夕方、恵比寿へ行き、美紀と彼女のお母さんと豆腐料理を食べた。まぐろ節という珍しいもので出来立ての豆腐を頂く。ごちそうさまでした。

 

2004年7月15日

修論のために少しずつ文献を読んでいる。関係がありそうでネットからダウンロードできるジャーナルなどはだいたい目を通した。あとはAmazon経由で注文した本が来週の頭には来るのでそれを読み、ICU立教大学で手に入るジャーナルを読みたいと思う。しかし、まだブラッドフォードの事務所から図書館への紹介状が来ておらず、本が借りられない!締切まであと一ヶ月を切っているのだから、大変だぞ・・・(かな?・・・まだ実感なし)。しかもまだ見ぬ文献は必ずしも僕が求めているものと同じかどうか分からない。
先日、僕の論文にとても参考になりそうなことを昨年PhD論文で書いた学者を発見。メールをしてみた。その人の論文はロンドンのブリティッシュライブラリーに行かないと読めないらしい・・・。惜しいことしたな。なんとかして読みたいものだ。

 

2004年7月13日

富士通時代の同期のFとUと飲みに行った。7年前に採用面接の途中で知り合って以来、僕が会社を辞めた後も半年〜1年に一度は飲むいい仲間だ。向上心や野心はこういう仲間がいるからこそ、維持できるだけでなく、どんどん大きくなっていく。最高に楽しい時間を過ごせる。退社時刻は17時半なのに、自由が丘で17時半に待ち合わせをした。2人ともさすがスーパー・サラリーマンだ。このメンバーで飲むときはいつも日が暮れる前に集まる。みな忙しいときはものすごい忙しいが、飲むときはしっかり飲む。
自由が丘に詳しいFの紹介で和食居酒屋葱や 平吉へ行った。焼酎の種類が豊富で、しかも値段も手ごろで、料理もうまかった。とくに蓮根やゴーヤの天ぷらと角煮は絶品。雰囲気も落ち着いているしまた近いうちに行って見たい店だ。二件目はこれまたFの紹介で食ばたけという和食の店へ。ここもこだわりの焼酎をおいているし、料理も内装も細部までこだわっている。刺身がうまかった!大根の燻製など少し変わったものも食べた。

 

2004年7月12日

たびそらの三井氏の写真展を見に新宿御苑近くのフォトギャラリーシリウスへ。この人のメールマガジンを一年半ほど購読しており、人の表情を豊かに写す彼の写真に魅かれていた。
ギャラリーを訪れると今までメルマガで見たことのある写真だったが、デジカメとプリンターでここまできれいにできるんだなぁと驚いた。しかし、それはやっぱりデジタルカメラの域を出ていないとも思った。銀塩カメラで撮られた写真に比べるとやっぱり平らな感じがするし、微妙な光の加減がうまく表現できないようだ。メルマガを読んでいたときと同じように、構図や人の表情のとらえ方はさすがだと思ったが、まだまだデジタルには限界があるのかなぁ。
それから写真家本人の素顔にますます驚いた。これだけ人を上手に撮っているのでさぞかし社交的な人だと思い込んでいたのだが・・・。ギャラリーでも誰にも挨拶しないし、僕が話しかけても目を合わせて話さないし・・・。コミュニケーションがうまくなければあんなにいい表情は取れないと思うのだけどなぁ。一体どうしたことだろう。
夜、就職活動や夏休みで帰国しているブラッドフォードの友人(maricom雅文まいこ)と飲んだ。日本酒を頼もうとするとなぜかブラッドフォードでも買える白鶴しかおいていなかった・・・。モリソンズの味がした。

 

2004年7月11日

Alan Atokissonエコ・ネットワーキングの会というのに参加した。以前NPOマネジメントの講座を受けたときの知り合いが事務局のボランティアをしているために知った会合だったのだが、講演者のAlan Atokissonという人が「環境コンサルタント兼シンガーソングライター」という肩書きを持っていると聞いて申し込んだ。主催の有限会社イーズを経営している枝廣淳子さんという方は『朝2時起きで、なんでもできる! 』という本の著者で、29才から英語の勉強を始め、フリーランスの同時通訳者・翻訳者・環境ジャーナリストとなった人。
第一部はAlan Atokisson氏が彼の著書『Believing Cassandra』の内容に準じた講演をし、その後枝廣さんと対談、第二部は2人のサイン会と参加者同士の交流会だった。Atokisson氏はプレゼンの間にテーマに関連した歌を歌い、聴衆をいろいろな方法で参加させた。プレゼンテーターとして人に聞かせる力はすごいと思った。
持続可能な環境は現在の危機的状況にもかかわらず構築できる、というのがその主旨であったが、この一年平和学や開発学を学ぶ友人たちと常に議論してきたことをまとめてくれたような内容だったので、分かりやすく、そして共感できた。この種の問題に取り組んでいると目に見える成果が得にくいため、そのために活動を続けていくことは難しい。しかし、それを進め、人に伝え、大きなムーブメントにしていくことがいかに大切か、そしてその困難な作業を続けることによって必ず世界を動かせるのだというメッセージだった。終了後『Believing Cassandra』を購入し、サインをもらった。

 

Ayur2004年7月10日

昨日は弟夫妻が、今日は兄夫妻が実家を訪れたので、久しぶりに兄弟と会った。
昨年9月に僕がイギリスに行った直後に生まれた姪と初めてご対面。もうすぐ10ヶ月なのだが赤ちゃんというより子どもという感じだ。10ヶ月でけっこう成長するものだと驚いた。初めて会ったら人見知りするし、泣かれるよと言われちょっとドキドキしてたが、初めの数分固まっていただけですぐになついてくれ嬉しい。やっぱりどこか顔に共通点があるのかな?

 

2004年7月7日

パ・リーグの球団合併やプロ野球の一リーグ化の話の展開の早さに驚く。オーナー側の意向や経営事情があるのは分かるが、それを観るファンと当事者である選手たちに対する説明がないどころか、それを求められても「お前らの知ったことか」という態度をしているのを見ると不快感すら感じる。野球協約に反していないからなんでもいいのだと(こちらには見える)その態度は傲慢だ。だいたい、日本プロ野球の野球協約なんぞ、球団買収にはオーナーの4分の3の承認が必要だとか、新規球団の加盟は60億円払えとか、どこかの独裁国家の大統領が自らの権力を高めるために一生懸命作っているようなルールをすべて持ち合わせているひどい協約だ。
ライブドアの堀江氏が近鉄の買収を申し入れたのは素晴らしいニュースだ。お金がないチームを現金で買う。どうしてこれを阻止するのか。潰れる危険のあるところに大枚をはたこうと言うのに。現オーナーどもは「買収の申し入れがありましたが、プロ野球にふさわしくない方からの申し入れでした」などと言っていたが、もちろん根拠など示さない。なあなあの傲慢経営者のステータス自慢の場に若い経営者が入ってくるのが気に食わないだけだ。
プロ野球協約のような暗黙の(そして最近徐々に明示的な)ルールが日本の社会にはたくさんあると思う。政治の手法もこれと同じで、小泉首相が今までと同じ方法を性急にやろうとし過ぎたためそのことに気づいた人は多い(しかし、まだ彼を止められるには至っていない)。これだけボロが出てもやっぱりほとんどの学生が大企業や(準)公務員を就職の第一志望に挙げるし、ベンチャー企業がいくらブームとは言え、それを見る目はまだまだ冷ややかである(チャレンジする人はいるが、それと自分とは関係ないという気分で日々を過ごしている人の方が多い)。しかし、こうした今まで見えにくかった秘密のルールが明らかになっており、その結果いろいろなところでボロが出ているのは確かである。我慢して大きな流れに流される人が(失敗しないという意味で)成功を収めていた時代から、一部の傲慢な人の特別ルールを暴いて純粋に多くの人の共感を得られる人が成功を収める時代に変わりつつあるのである。

 

2004年7月6日

修論を本格的に始めることにした。一日10時間をとりあえずの目標にすることにした。
3月には「一日10時間計画」などとわざわざネーミングをつけたものだったが、5月などはエッセイに切羽詰って一日15〜17時間勉強せざるを得ない状態にあった。しかし、それで勉強慣れしたのもあるようで、10時間ぐらい修論に取り組むのはなんともないと感じた。適度な休憩もできて、しかもそれなりの充実感もあり、なかなかGoodな一日だった。

 

2004年7月5日

半年ぶりに感動の再会!お待たせしました。
そして約10ヶ月ぶりに日本のスーパーなどを歩いてみた。モリソンズの一週間たっても全く傷まない野菜も気味が悪いと思っていたが、サミットのキレイ過ぎる野菜に背筋がゾッとしてしまった。野菜をパッケージで包みすぎだとも思う。その他、エレベーターのスムーズな動きに感動。機械のきしむ音やいつ止まるかもしれない恐怖にずっとさいなまれていたけど、日本のエレベーターはよく管理されたできのいいものだと思う。

 

2004年7月4日

インド人の友人であるスシルとラディカが実家に遊びに来た。
平塚七夕祭り兄の仕事の関係で3年前にスシルとは知り合いになったが、それ以降僕の家の家族のように付き合いを続けている。どのぐらい「家族のように」かと言うと、弟の結婚式のときスシルが家族席に座り、僕が友人席に座ったほど(笑)。
ちょうど1年前に結婚してラディカも日本に来た。彼女は初めての外国旅行が結婚後の日本への居住ということになった。インドで彼らの結婚式に参加した僕は彼女が日本に馴染めるのだろうか、どのように馴染んでいくのだろうかと思っていたのだが、久しぶりに会って話を聞くと日本での生活を随分と楽しんでいるようで安心した。それどころか、彼女が日本に馴染むために始めた日本語の勉強がスシルにも波及したようで、去年まで2年間も滞在しながら単語レベルでしか日本語を話さなかったスシルが、すっかり日本語を話すようになっていた。
僕の希望で昼食に寿司を食べることになった。寿司を食べるのは約1年ぶり。やっぱり魚はおいしい。僕とスシルで寿司を握ったのだが、彼は寿司を握るのが上手だった。さすがスシル。インドでも豆を丸める料理があるとか言っていたが、それにしてもうますぎ!
僕がイギリスで撮った写真3000枚の一部を見せたあと、平塚の七夕祭りへ。注目の竹飾りはどれもプラスティックで過剰に飾られた風情の全くないもので、かなりがっかりした。七夕祭りの本来の意味と味わいをすっかり失った祭りになってしまっているようだ。

 

2004年7月3日

名門秦野高校時代の友人と飲んだ。
すでに 30歳、または今年度中に30歳になる僕らは、今までの人生の半分を一緒に過ごしてきた大切な仲間だ。それぞれ状況は違うけど、いつも刺激を与え合っている。高校のときに描いた30歳のイメージとは違う気がする。悪く言えばまだまだふらふらしているが、誰もまだ夢を失っていないどころか、いろいろなことを学び続けている結果、夢は大きくなっている。
そのうちの一人が今関わっている会社が「夢を見るから人間なんだ」という社是を昨日のマザーズ上場に伴い決めたらしいが、夢を見るだけではそのうちバクに食われてしまうかもしれないが、僕はこのメンバーは食われても食われても夢を見続けるだろうし、しかも、その一つひとつをさまざまな方法で実現すると思う。昨日より今日は知識も経験も増えているのだから、夢も大きくなるべきだと当然に思っている。それを怠るのを歳のせいにだけはしたくない。

 

2004年 7月1日〜2日

8時過ぎにGuildfordを出発、ヒースローへ向かった。寮の近くに車を停めて荷物を運び込んでいると中国語で「どこへ行きますか?」
こちらを中国人だと思いこんで話しかけてきたらしい。夏休みを利用して故郷大連に帰ろうとしている中国人女性。出発時間まで3時間しかないのに「空港まで列車で行くかバスで行くか考えていたけれども、大きな荷物を持っている人がいたから、もしかして」とヒッチハイクを試みたらしい。
面白い、と思った。 僕は今まで何度もヒッチハイクをしたことはあるけど、留学先から故郷へ帰るときにそんなことをしようとは思いもしなかった。でも、目の前にはそれをしようとしているひとがいる。「スペースあるし・・・乗せよう」僕らはほとんど迷いなく、彼女を空いた後部座席に乗せることを決めた。列車とかバスだったら彼女は飛行機にぎりぎり間に合うかもしれないが、かなりの確率で乗り遅れるだろう。こんなところで会えてよかったね。料金を支払いたいという彼女の申し出を断り、コーヒーをおごってもらうことにした。ラッキー。
雅文としばしの別れを惜しんだあと、正午に僕の乗った飛行機はクアラルンプールへ飛び立った。ビールを飲み、映画を観て、音楽を聴く。KLでのトランジット(4時間)を含めて計23時間。長時間飛行機に乗るのは退屈である。僕は飛行機の離陸と着陸が大好きで、飛行機に乗るのを留学前はずっと楽しみにしていたものだが、イギリスに来たときと帰るときのフライトの長さにはこたえた。マレーシア航空はエコノミークラスでも各席にスクリーンがついていて、映画が10本以上、ラジオは20局、そしてゲームさえついているけれども、そんなエンターテイメントも3時間もすれば飽きる。ヨーロッパは遠いなと改めて思った。
2日の19時過ぎ、ほぼ定刻通りに成田空港に到着。迎えてくれた父の運転で秦野へ戻った。久しぶりの日本。首都高を走っているときは少しロストイントランスレーション的なものを感じたが、懐かしいというより見飽きたという感想を持った。たったの10ヶ月、外にいただけだから日本での生活の感覚はすぐに取り戻せるだろう。しかし、外から見つめたからこそ見えたもの――それを忘れないように。

 

 

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