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ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)
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また冷え込んできました(2月)。
2004年2月25日
昨日はなぜか床につこうと思った深夜2時過ぎから急にエッセイのことを考え始め、約一時間かけてエッセイタイトルを決めた。
IPS: Can there be a 'just' nuclear deterrent? Evaluate arguments for
and against.
CCCLA: To what extent can we talk about the consolidation of democracy
in Latin America by the beginning of the twenty first century? Discuss
this in relation to the theoretical literature and take one or more case
studies of your choice to explore that literature within a context.
ACP: Are Nuclear Weapons legal?
引き続きHuman RightsとDemocracyに関するトピックを選んだが、それに近いものがない場合はTruth Commissionsについて書いたときに興味を持ったJustice等に絡めることにした。Human
Rights and Democracyのエッセイタイトルに関してはまだ決めかねている。
昼前に起き、エッセイに関する本を何冊かアマゾンで注文した。その他、資料集めをしようと思ったが、結局勉強そっちのけでストックホルムに関することを調べてみた。ノーベル賞の晩餐会が行われる市庁舎と王宮が見所とのことだった。ストックホルム国際平和研究機関は郊外にあるようだ。魔女の宅急便の舞台である、とも書かれていた。
午後、エッセイとは関係ないが読んでみたいと思っていたTiziano
Terzaniの"Letters against the war"をプリントアウトしに学校の図書館へ行った。Terzaniはイタリア人ジャーナリストで普段はヒマラヤに住んでいる平和活動家である。この"Letters
against the war"は日本語を含めさまざまな言語に翻訳され、各地で出版されているようだが、英米では発売されていないそうだ。旅行中に読みたいと思っている。感想はまた後ほどサイトに載せようと思う。
夕方、冷蔵庫に残ったものでマッシュルームと海老とトマトのスープを作った。調理中、ナイジェリア人の友達が台所にやってきたのだが、ドイツ人のステファンが調理中の鍋をどけて自分のヌードルを作ろうとしていた。ナイジェリア人の友人たちはときに夜中に叫ぶし、台所の使い方は汚いし、人のものを使っても洗わずに放置するし、それ以外でも数々の素行不良が目立つので、現行犯ならとっちめてやろうと思っていた。僕は思いつく限り丁寧な言葉で「ジコチュウですね」(You
are so selfish)と言ったら、彼女は激昂した。真っ赤なアフロヘアーで恰幅のいい彼女が怒るさまはそれはそれは怖ろしかった。彼女の言い分を聞く気にもならなかったのでごちゃごちゃ言ってるのを無視していたのだが、「私はさっと調理して食べたいのよ。鍋を動かして何が悪いの」などとかなり可笑しなことを言うので、丁寧に説明してあげた。「いないからって人の調理中の鍋を勝手にコンロから外したらいけませんよ。そういうことするあなたはジコチュウなんですよ」と。彼女に対する文句の言葉はいくらでも思いついたけれども、くだらない争いをしたくなかったので、感情を含めた言葉は一切吐かないことにした。人に感情や意見をおしつけることは紛争の解決にはならないから。
さて、それでは、これからストックホルムに行ってきます。20時55分、ブラッドフォードインターチェンジ発、スタンステッド空港行き。
2004年2月24日
今日からストライキで学校が休み。そのままリーディングウィークが始まるので3月7日まで休みである。
そのストというのは教授陣と学生のジョイントストライキらしい。教授陣は給料を上げて欲しいからストをし、学生は授業料を上げて欲しくないからストをする。学校の収入支出という観点からみると両立しえない主張だと思うのだが、その二つが一緒にストをやってしまうところがこの国の不思議なところである。
留学生はイギリス人の3倍程度の授業料を払っている。どこの大学でも、財務状況を少しでも良くするため、数年前から留学生を多く入学させようと躍起になっているらしい。ここ2〜3年、中国から大量の留学生が押し寄せているため、イギリス中の大学では留学生の割合が大幅に増加し、収入も増えているはずなのだが、財政状況は厳しいという。大学の中に無駄な人材が多く、仕事をしているような顔をしながら人の邪魔をしているような人も多い。大学側はそれを経営努力でなく、授業料の値上げで対応しようとしている。教授陣と学生はそれに対して大学側に反対を述べているが、経営方法の改善など建設的な意見は出ていないようだ。学内で出回っているメールを見ると「授業はボイコットしよう。みんなで集まろう」ということぐらいしか書かれていない。
すでに授業料を払っていて今年一年で卒業する留学生から言わせてもらうと、ストというのは迷惑な話である。こちらが払った分はきちんと授業をしてもらいたい。きちんと振り替え授業をしてくれる先生もいるが、どさくさに紛れて授業を一回分カットしてしまう人も結構いるようだ。来年以降も学費を払っていくイギリス人学生にとっては授業料の値上げは重要な問題なのであろうが、すでに大金を払っている僕からすると、イギリス人ももっと払うべきだと主張したい。ブラッドフォード大学に入学することが決まって初めてもらった書類が、大学の「イコールポリシー」について書かれたものだった。「私たちは、国籍や出身地、肌の色などで差別は致しません」という旨のことがつらつら書かれていたように記憶しているが、前提として授業料が違っていることについての説明はなかった。
そんなわけで、今日は基本的に家に留まっていた。大量にたまっているメールマガジンを順番に読んでいるとあっという間に時間が過ぎた。夜になり、今日中に返すべき本があることに気づき、雪の降る中を図書館へと向かった。
2004年2月23日
一週間前に届いているはずのEMSを受け取るため、郵便局へ行く。しかし、そこから送った荷物しか追跡できないということで、ロイヤルメールのEMS担当電話番号を教えてもらった。
公衆電話からもらった番号に電話してみたのだが、自動応答サービスだった。日本の郵便局も同様のサービスがあるが、サービスというより単なる手抜きだし、使う客からすると不便極まりない。応答サービスの問題点は自分の目的のサービスを探すために、自動で流れる音声をきちんと聞いてから番号を押さなければならないこと。「○○の方は1を、△△の方は2を・・・」なんて言ってくれるが、聞き逃すことだってあるし、言葉の言い回しが難しく自分がどの番号を押すべきか分からないときもある。言いたいことをこちらから伝えれば一言で済むはずなのに、機械相手に時間を取られる。提供する側はコスト削減のメリットがあるのかもしれないが、使う側からすると最悪のサービスだと思う。しかも、機械相手にイライラしてみても、仕方がないし。
電話をかけて自動応答サービスだと分かった瞬間イヤだと思ったが、自分の受け取るべき荷物のためには止むを得ない。無機質な機械音を一生懸命に聞いてみた。驚いたことにはその音声がものすごく早口だった。聞き取れないこともないが、聞き終わったあと、自分の解釈が正しいかどうかかなり不安であった。しかも、選択肢(つまりサービス内容)が7つぐらいあった・・・。プッシュホンをおしてもうまく反応しないこともあり、5分ほど格闘してようやく「Parcel
numberを・・・」というアナウンスまで辿り着いた。しかし、そこで問題発生!その番号というのがアルファベットのEから始まっているのである。プッシュホンには1から9までの数字と#・*しかないので、どうすればいいか途方に暮れる。そこで注意深く自動音声を聞いてみると「Parcel
numberを正確に発音してみてください」というようなことを言っていた。音声自動認識?そんなものが精確に機能しているのか?と半信半疑ながら番号を発音していく。一度目は失敗したが、二度目で成功。その後、いつ送りましたかのような質問が続く。そこでふと疑問に思った。いろいろ発音に癖がある人もいるのに、それを有効に聞き取れるような機械があるだろうか。このイギリスなんてところにそんなものがあるとは考えられない。そう思うとアホらしくなってきて、いつまでも訳の分からない機械と格闘せざるをえない自分の気持ちを晴らすかのように「おい!そこにいるんだろう?出て来い」みたいなことをつぶやいてみると・・・。
「もしもし。どうかしましたか」人間の声だ・・・。やっぱり人間がいるんじゃないか。だったら初めから出ろ、と一言言ってから要件を伝えた。番号を口頭で伝え(すぐに通じた。やっぱり人間がやるべきなんだよ)、「日本からの荷物なんだけど」と言うと「オーマイガッ」とか何とか言って、この番号は違うと言われた。その後、ものすごい早口でちょっと待てだとか何とかつぶやかれたので、内容を聞き返そうとしたが、また自動音声に切り替えられてしまった。その後、受話器に向かって「こら〜、聞いてるんだろう、出て来い〜」と言ってみるも、応答無し。機械音がいつまでもParcel
number求めてきた・・・。
どうしようもないので一旦家に帰ることに。インターネットでロイヤルメールのウェブサイトを見てみた。するとあるじゃないか。Parcel numberを入力して質問ができるフォームが準備されていた。配達日を指定するようなものではなかったが、質問を記入する欄があったので荷物を受け取りたい旨を書いて送信した。しかし、意外と楽に問題が解決してホッとしたのも束の間、一通のメールを受け取った。MAILER-DAEMONからだ・・・。Invalid
recipient, invalid mailboxだと。ウェブ上のフォーム使ってんのに、なんで届かないんだ!結局、時間も5時半を過ぎており、なんの進展もないまま、今日の捜索は終わった。
日本の郵政公社の追跡記録によるとこの荷物は14日にはリーズの郵便局に届いていた。しかし、僕の住むWardleyHouseの超怠慢レセプションが荷物到着の時間にいないことが原因でロイヤルメールはその荷物を持ち帰り、その後も何度か再配達をしてくれているはずであるが、一日に数時間もいないレセプションはそれを受け取ることができていないのだ。荷物について管理会社に問い合わせると「うちは関係ない」などと言う始末だし、相変わらず無責任なブリティッシュウェイに悩まされている。とにかく、自分で動いてなんとかしないとどうしようもなさそうだが、ストックホルムに出発する明後日までに受け取れるであろうか?
2004年2月22日
金曜日から最近恒例となっている週末国内旅行に出かけた。1泊2日(Bradford→Glasgow→Edinburgh→Bradford)の予定だったが、少し予定が延びて2泊3日になった。ブリットレイルの期限が切れたので、週末旅行もしばらくはお休み・・・になると思う。
金曜日は朝6:38の列車でGlasgowへ向かった。途中Prestonで乗り換えだったのだが、列車が大幅に遅れ、Prestonに2時間近くも滞在することになった。ノンビリと街を歩いてみたが、冷え込んだ平日の早朝であり、人々は急ぎ足で会社を目指していた。
結局Glasgowに着いたのは13時前だった。とりあえず中心部の方へ歩いてみたが、あまり面白くない予感を感じた。その予感は的中。あまりたいしたことのない市庁舎と大聖堂を一応見学し、大聖堂横の何でもありのミュージアムには行ったが、他のイギリスの町と比べて特徴的なものを見出すことはできなかった。暇だったので他の旅行者に話しかけてもみたが、信じられないぐらいアンフレンドリーな人で、それがますますグラスゴーの印象を悪くした。ショッピングセンターや本屋をのぞいた。パブでしばらく時間を潰し、Edinburghへ向かった。
Edingburghでは親戚のTurgayがトヨタのYarisで迎えに来てくれた。スーパーで夕食用の食材を買い込んで、彼の住むアパートへ。彼と会うのは結婚式以来7年ぶりぐらいだろうか。結婚式は京都であり、そのとき彼は羽織袴を着ていた。久しぶりに会った彼は髭をたっぷり生やしており、いかにもムスリムらしい風体だった。買い物の仕方や車の運転の仕方を見て、やっぱり彼はトルコ人なんだなぁと改めて感心してしまった。
彼はムスリムなのでお酒は飲まなかった。友人や親戚と久しぶりに会うとどうしても酒盛りをイメージしてしまうが、この日はトルコ式でチャイを飲み続けた。彼のルームメートはヨルダン人(アフマド)とオマーン人(アフマド)で、アパートの中は完全に中東の雰囲気だった。たまたまどちらの国にも訪れたことがあったので、彼らと話をしながら当時の様子を思い出した。深夜12時過ぎまで、語った。
翌朝はTurgayの出身地(クルド地方)から持ってきたと言う塩漬けの肉と塩漬けのチーズなどをメインにした豪華な朝食を頂いた。Turgayの勤める大学に寄ってからエジンバラが一望できるホーリールッドの丘を登った。その後しばらくエジンバラの町を歩き、エジンバラ中央モスクに行った。観光地としてのモスクは何度も訪れたことがあるが、観光地になっていないモスクに入り込むのは初めてだと思う。地下には礼拝前に身を清めるための洗い場の他、図書館、勉強部屋、シャワー室などがあり、非常に充実していた。巨大な礼拝所でムスリムたちが祈りを捧げているのを見学し、同じ場所で開かれている子どものためのムスリムスクール(?)を眺めていた。昼食にチキン・ローガンジョーシュを食べ(ケバブ・マハールにて。★★★☆☆)、Turgayに別れを告げた。また夏にでもゆっくり訪れたいなと思う。
その後、列車でダーラムへ。先週に引き続きコヤジに会った。何杯か飲んだら帰ろうと思ったが、ビールのペースも話のペースも上がる一方だった。明日はなにをするんだという話になったとき、コヤジが「先輩と湖水地方に行く」と言った。前日、PrestonからGlasgowへの車窓から湖水地方の美しい風景を見たばかりでもあったので、同行することにした。5時間ぐらい飲み続けた後、ワシントンにあるコヤジのホテルに泊らせてもらった。
宿泊者用の朝食をちゃっかり頂き、コヤジの先輩二人らと車で湖水地方へ向かった。今朝は雪がちらついており、気温は結局2度以上にならなかったが、天気は頗るよく、快適なドライブを楽しんだ。ひたすら草を食み続ける羊たちを羨みながら、運転している先輩以外はみんな頭を揺らしていた。湖水地方の印象は「芦ノ湖のような」感じ。きれいで落ち着いているけれども、(この時期でさえも)混雑しすぎていてる。長い時間をかけてトレッキングなどすれば印象は変るかもしれないが、昨年11月に訪れたグレンダロッホのほうが僕好みではある。
Kendalあたりから列車で帰るつもりでいたが、コヤジの先輩たちは親切にもブラッドフォードまで車で連れて行ってくれた。今日は本当にお世話になりっぱなしである。週に1〜2度、PeterleeからCoventryへ出張しているとのことなので、近々寄ってもらうことにした。出張中でパブ料理ばかり食べているようなので、なにか美味い食事でもご馳走できればと思う。
2004年2月19日
Arms Controlの講義が二時間。ポールロジャースは相変わらず切れ目なく話を続ける。原稿も何もないのによくあれだけしゃべれるものだ。しかも、きちんと45分で自分の話を終え、質疑応答の時間を取る。スゴイ・・・。
授業の後、図書館に行っていろいろ調べるはずだったのだが、図書館の前で中央アジアの国家体制について友人から話を聞いているうちに何人かが加わり、日本の歴史やインドの持つキャパシティまでいろいろな話をした。特に盛り上がったのはインドにあるロータス寺院。無宗教の寺院として有名で不思議な雰囲気が漂っている(僕も4年前に行ったことがある)。世界広しと言えどもロータス寺院のようなところはないのではないだろうか。他の友人たちもそのコンセプトに感心して聞き入っていた。(帰って調べてみたら、どうも無宗教の寺院ではないらしい。全ての宗教に開かれているという感じか?バハイ教というところが作ったようだ。)
今日はニヤゾフ大統領の誕生日でもある。最近一部の人とよくトルクメン話をしていたので、ごく一部で話題になっていた。クラスのメンバーと誕生日会をした。・・・とは言ってももちろん「彼」のためではなく、クラスメートのフィリップ(英)とオラウ(丁抹)の誕生会だが、数人がオラウの誕生日がサパルムラトトルクメンバシと一緒だとヘンな盛り上がりを見せていた(フィリップは来週)。日本人3人とドイツ人1人で握りずしと巻きずしを作っていった。ロシアンルーレット風にいくつかにものすごい量のわさびを入れたのだが、誰も騒いでいなかった。どうしてだろう。
「ロストイントランスレーション」を見た人が病院のシーンで出てくるおばあさんの話で盛り上がった。僕ら日本人から見るとどうみてもよくいるおばあちゃんなのだが、数人が「あれはおじいさん(男)だ」と言い張っていた。随分熱く議論していた。いろいろな見方があるのだな。
明日のグラスゴー行きに備えて、今日は早めに寝ることにする。
2004年2月18日
午前中、Research Methodsの授業に行く。話が散漫で面白くない。講師が単に趣味で話しているだけだ。個別にチュートリアルをしてディサテーションについて話を進めたほうがどんなに有意義か。しかも今日は使っていた教室のスピーカーから不快な異音が発生しており、気持ち悪くなった・・・。
授業後、韓国人のムニとマンチェスターの原爆展と戦争博物館に行った。詳しくはこちら。戦争博物館で平和学BA3年生のデビッド君にたまたま会ったので、原爆展へ行くことを強く勧めておいた。戦争博物館と原爆展は同様の事項を扱っているとは思えないほど志向が異なる。焦点の定め方によりいかに「事実」にいろいろな意味合いを持たせられるかということを学んだ。
第二次大戦中に西アフリカから十数万人もが東南アジアに連れて来られ、戦わされていたというのも今日知った。日本軍がビルマでアフリカ人と闘っていたとは・・・。
マンチェスターは都会だった。歴史ある建物も多いが、意味不明な形をした建物もたくさん立ち並んでいたので、思わずきょろきょろしてしまった。これだからブラッドフォード在住の田舎者は困る。
2004年2月17日
今日は眠かった。理由はよくわからない。いつもと同じように6時間睡眠だったのだが・・・。酒を飲むと疲れるのかも。
朝二コマの授業が眠すぎた。Democracyの授業は前期の初め頃のように分からなかった。眠くて集中できない。午後は準備をしてからセミナーにのぞむ予定だったが、やはりウトウトして、全然準備ができなかった。セミナー中も集中力維持できず、途中で分からなくなった上に、いきなりふられてよくわからんまま適当に発言をしてしまった。セミナーは早めに準備をし、授業が忙しい日は疲れを残さないようにしなくては・・・という基本中の基本を思い出す。最近、準備が前ほど苦労しなくなった気がするので気を抜いていたかも。やろうと思えばやることはいくらでもあるので、結果だけでなくこなす量も可能な限り引き上げたい。具体的な目標が見えないから難しいが。
夜、Cubby Broccoli Cinemaにて"S21, The Khmer Rouge Killing Machine"(邦題:S21
クメール・ルージュの虐殺者たち)を観た。上述の通り眠い日だったので映画が始まって間もなくうとうとしそうになったが、すぐに目が覚めた。舞台となっているS21(Toul
Sleng)はプノンペンの中心部から歩いていけるところにあり、ポルポト政権前は学校だったところである。僕は8年前に二度プノンペンを訪れているが、200万人大虐殺の象徴であるこのS(Security
office)21も二度訪れた。学校の教室に拷問器具や頭蓋骨、服の切れ端、処刑寸前の撮影写真が並べられており、事実を思い浮かべさせるそれらの遺品にショックを受けたことを思い出す。今日観たこの映画は、そのS21を舞台にして被害者と加害者を集め、証言させるだけでなく、当時の行為を再現させている。「指導者の命令に従っただけで自分に非はない」という発言を初めにした加害者が、自らの行為を証言し再現する過程を経て、自分が残虐行為に加担したことという思い出したくない過去を思い出す。また再現をしていくうちに加害者の動きに活力が見えてくるのだが、これは彼らが命令であるという言い訳の下に殺戮の機械人間がなりえたことを描いており、またその生き生きとした動きは、単に「命令に従っている」というよりは殺す側という「優位」に立ったときの人間のありうる姿を示しているのではないかと感じ、怖ろしく思った。
今までツールスレーンは「大量虐殺の跡地」として見学をしたことはあったしクメールルージュの大量虐殺についての知識も持っているつもりだったが、このドキュメンタリーフィルムにより自分の持っていた知識がより具体的なイメージに昇華したような気がした。
2004年2月16日
昼過ぎにハラクミがブラッドフォード訪問。
ブラッドフォード観光には外せないスカルプチャートレイルをほんの少しだけ回り、シティホール向かいのフィッシュアンドチップス屋でイギリスの伝統料理を食べさせた。今回、ハラクミは4泊6日の短い滞在であるが、すでにイギリス料理はうんざりだと言う・・・。
その後ラテンアメリカの授業に行った。ハラクミは横でうつらうつらしていた。「全然わかんなかったよ」と言っていたが、そりゃそうだよなぁ。僕なんて「少し」分かるようになるまでに1ヵ月半ぐらいかかったし。
その後、ボンベイストア、アルハラル、ウェザースプーンとブラッドフォード観光の王道を通り、Omar'sでヨークシャー最大のナンを食べた。Omar'sのローガンジョーシュはやっぱり美味しい。8時過ぎの列車でハラクミを送り、その後はクラスメートの誕生日会に少しだけ顔をだした。
今日は先週金曜日に結果の返ってきたエッセイに関するコメントをもらった。相変わらず教授陣の字が汚くて読むのに一苦労だった。点数が悪かった方だが、「東アジアにおける民主化と紛争(予防)の関係」というタイトルを選び「台湾について」書いたのだが、よく書けているがトピックをフォーカスし過すぎなので点数を減らしたということが書かれている。どこかで誰かに「エッセイは内容が散漫にならないように、幅広いトピックを与えられてもフォーカスして書くべきである」というような話を聞いたので台湾をとくに選んで書いたのだが、このコメントによるとそういうフォーカスの仕方を選んだ時点で方向性を間違えたことになる。しかし「東アジアと民主化」を概観しようと思うとかなり長いエッセイになるのではないか?そのうちの一つの地域を選ぶことは正しいアプローチではないのか?フォーカスするときの書き方があるのだろうか?・・・などなど疑問が尽きないので、近いうち採点者のところを訪ねてみようと思う。
2004年2月15日
今日の外出はごみ捨て場に行っただけ。
今日は読書をしながらうつらうつらした。夕方クラスメートとチャットしてエッセイの話をしていたとき「なんやかんやでやっぱり次のエッセイにとりかかれてないよぉ」と言うと、「知ってます」という答えが返ってきた。うーん、反論のしようのないことを言われた感じ。今週末はグラスゴー・エジンバラ、再来週はストックホルムに行くことに決めてるから結局リーディングウィークまでに一本エッセイを仕上げることはなさそうだ。まぁ、近頃はエッセイとか意識せずに平和学に近からず、遠からずの本をゆっくり読めているのでよしとしよう。必要に迫られない読書ってものすごく楽しい。
晩ご飯は羊肉のミンチを使って麻婆茄子風の料理を作った。
2004年2月14日
朝7時に起床し、列車にてニューキャッスルへ向かった。
4年前からの友人であるハラクミが出張中のコヤジ(と留学中の僕)に会いに昨日渡英してきたのだ。ニューキャッスル駅に着き列車を降りると、二人が目の前にいた。モンサンミッシェルの時のような感動!ハラクミは僕のフィアンセの高校の同級生で、彼女を紹介してくれた人である。一方で僕はハラクミをペルシャウエディングツアーに誘い、その結果コヤジとの縁を作った。
ハラクミはポジティブシンキングとものすごい行動力を持った人である。いつ話しても面白いし、美紀と仲がいいのも強く頷ける。コヤジの出張が1月末に急遽決まったのを受け、ハラクミは数日前に突発的にイギリス訪問を決めた。というわけで、3週間前には予想だにしなかった、嬉しい再会だったのである。
ニューキャッスルでは二つの聖堂、二軒のパブ、タインブリッジを訪れ、その後English
HeritageであるTynemouth
Priory and Castleへ行った。クラブの会員として二つ目の遺産訪問。タインマウス城は北海に面した廃城で、第二次世界大戦でも使われた砲台が残されている。強い海風で風化している修道院や墓石もなかなかの見ごたえがあった。
その後、Durhamに移動し、終電の8時過ぎまでパブで語り合った。今日は昼夜と久しぶりにイギリスらしい料理を食べた。昼食べたときは「たまにはいいかな」と思ってみたりしたが、夜にはやはり嫌気がさしてしまった。不味い!コヤジ、ハラクミも同様の感想を持っていたようで、最後のほうは箸が(フォーク&ナイフが?)進まなかった。
終電でブラッドフォードへ。鉄道会社の都合で予定より多く乗り換えさせられた。驚くような車内アナウンスがあった。「列車が遅れてご迷惑をおかけします。この列車は(遅れを取り戻すために?)途中駅を通過して一気にバーミンガムに行くことにします。リーズ、ドンカスターへお越しのお客様は、ヨークで乗り換えてください」というような内容だった。そんな滅茶苦茶な・・・。
昨日一昨日と睡眠時間が少なかったのもあって列車に乗ってすぐにうとうとしていた。このアナウンスを聞き逃していたら、二週連続でバルチの故郷へ行くことになっていたかもしれない・・・。一体、この国のサービスは、どうなっているのだ・・・。22時半ごろ帰宅。
2004年2月13日
起きると昼前だった。
昼食を食べて学校へ行く。前期分のエッセイの結果が返ってくる日だったのだ。昨日まであまり気にならなかったのだけど、いざ取りに行くとなると少し気になる。果たして今回はどうだろうか??
今回は講評つきのエッセイ自体は来週月曜日に戻ってくるので、学生用ポストに結果を書いた紙だけが置かれていた。前はイギリス特有の事務作業の悪さも手伝って何十分も並ばされ受け取る前の緊張を引っぱられたが、今回はあっけなかった。紙切れに結果だけが書かれていた。65と58。両方とも無事パスしていてほっとした。
南アフリカのTruth Commissionsについて書いたエッセイでメリットを取れたのは嬉しかった。書いている最中に複数の議論に混乱し、英単語のニュアンスに苦しみながらなんとか仕上げた作品だったので、それが高評価だったのは純粋に嬉しい。一方で、台湾の民主化とその安全保障に対する影響について書いたエッセイに関してはせめて60ぐらいは欲しかった。エッセイの評価に関してはすでに欲が出ているので、結果が返ってくるとやっぱり気になってしまう。このエッセイは「締切が迫るまでやらなかった」結果、時間がなくなることを怖れて6日間で無理矢理仕上げたものであった。提出の前日、時間があったのに結局見直しをしなかったのもやはり反省すべき点であろう。
これで3本のエッセイを評価された。いまだに書き方が分からないというのが本音であるが、そのうちの2本で運良くも(当初の)期待以上の結果をもらえた。次にすべきことは目標を引き上げることだと思う。今年の目標として「納得のいく成績で平和学の修士を取得する」ことを項目の一つとしてあげたが、これは極めて曖昧な言い方であった。納得のいく成績というのを「Merit(平均65点以上)で卒業する」ということに修正しようと思う。
夕方、同じコースのNさんと開発学専攻のTさんの家に遊びに行った。二人は「イギリスらしい」家に住んでいる。広くて落ち着くリビングの他、ベッドルーム3つと地下室のある3階建の素晴らしい家だ。日に日に欠陥が増えてくるアパートに住んでいる身としては、この住居は本当に羨ましい!国際協力の分野で十数年のキャリアがある二人からいろいろ貴重な話を聞いたり、日本で平和学を浸透させるビジネスについて議論したり(仮称:
高田馬場ピースプロジェクト)して、楽しんだ。思わず長居して、帰宅したのは1時半ごろ。
2004年2月12日
今日はゲストスピーカーの日だったが、いつもとはかなり趣旨が違った。バルカンのPeace Parkを歩く活動をしているヨークシャーの老人が、嬉しそうに山歩きのスライドを解説してくれた。紛争や平和構築などの話ではないので、参加者は少なかったし、中には退屈そうな人が多かったけれども(むしろそのほうが多数派か)、純粋な旅の話として興味深かった。8カ国からのメンバー15人でコソヴォ、モンテネグロ、アルバニアを12日間かけて歩くのだと言う。
ピースパークというのは広島の平和公園などを指すわけではない。今日のゲストスピーカーのRichard Hargreaves氏によると、Peace
Parkの"Romantic definition"は二つ以上の国にまたがり、誰もが国境や地雷などの制約を受けずに歩ける美しい自然地帯のことを指すという。基本的にわかりやすい言葉でしゃべってくれたが、思い出に興奮してヨークシャー訛りが強く出ることもあった。そのときの様子はアルハンブラシアターのボタン役のBilly
Pearceを彷彿させるので、本旨とは関係のないところで何度かうけてしまった。
その後、数人でアルハラルに買い物に行った。アメリカ人のリチャード(上のリチャードとは違う)も連れて行ったのだが、シティセンターとは反対のいわゆる「パキスタン地区」には足を踏み入れたことがなかったらしく、サリーを売るボンベイストアやモスク、アルハラルの雰囲気に驚いていた。
夜は冬休みにパレスチナに行ったmaricomとemiによるパレスチナ報告会。パレスチナ情勢に関して概観してもらい、見てきたもの、感じたものを語ってもらった。また、パレスチナ通のPhDの方に補足説明と彼女自らの経験を話してもらい、有意義な追体験をすることができた。日本のみかけの状況とは正反対の状況が世界中にあふれている。ブラッドフォードに留学している学生や同じように国際政治等を勉強している人にとっては関心のある出来事なのだが、そうした現状をいかに理解し、伝えることができるかについて意見を交わした。一体自分たちは何をすべきで、何ができて、どのような視点が大切なのかを考えた。平和のためにできることに関して、それぞれが考え、悩み、実践しようとしている。久しぶりに明け方まで語ることになった。
2004年2月11日
午前中Reserch Methodsの講義に行った後、家に帰って引きこもる。
今日はしっかり読書をしようと思ったので、昼食後すぐに本を読み始めた。周りの友達の多くが今セメスターのエッセイを始めたと聞いたので、僕もそろそろ始めるべきだとは思うのだが、まだエッセイタイトルを決めかねている。もちろん、「えいっ」と決めてしまうこともできなくもないが、少しでも多くの授業を聞いてみてアイデアを得てから決めたいという気持ちもある。それに、エッセイばっかり取り組んで大学院生活が終わるのは嫌だという気持ちもある(少し欲がでてきた?)。
先日図書館でふと目に留まった『Yoga
on War and Peace 』という本が手元にあったので、とりあえずそれを読むことにした。140ページのそれほど分厚くない本である。一章を読み終えたところで、読みやすく面白いことに気づき、今日中に全部読み終えることを決めた。目標通り、夜には読み終えることができた。難しい本ではないが、先週に引き続き一冊の本を一気に読み終えたことは自分にとってすごく自信となる。多読していると、わからない単語があってもあまり辞書を引かないようになる(理解しようとしてゆっくり読んでいると一つ分からない単語があるとすごく気になってしまう・・・そしてますます進まない)。教科書的な本は一冊読み通すのにものすごい時間がかかるし、目的も持たずに読むとただ時間を浪費することになるが、週に一冊ぐらいはやさしい本を読むことにしようか。すこしでも幅広い知識を身につけるために、課題図書以外のものを読む時間をとるべきだとも思うので。思えば、日本にいるときは週に3冊は本を読んでいた。イギリスに来てから、時間はかけているけれども、読書量は格段に減っている。今日のこの思い付きを大切にして、読書量⇒知識を増やしたい。
夜、一年半前にイスファハンで初めて会ったコヤジから連絡をもらった。彼は今、長期の出張でここから100kmほど北北東にある町Peterleeに今月初めから滞在している。まだ10日の滞在で、食事やらイギリスの「らしさ」やらにまだ慣れていない様子。そりゃそうか、僕も慣れるまでに数ヶ月かかった。今週末会うことになったので、イギリスのよさ(面白さ)を一気に教えてあげようと思う。
2004年2月10日
講義二つにセミナー一つ。
今日のセミナーは部屋がよく分からず、アメリカ人のリチャードとスウェーデンのシャロットと違う部屋で待機してしまった。結果、一時間しかないのに20分も遅刻した。その20分の間、学校主催のスタディーツアーについてなどの話をしていたのだが、スリランカとシェラレオネを僕以外の二人が何度も聞き間違えていた。どうしてだろう。似てるかな?リチャードは「Ruhnama」を読みたくてしょうがないらしい。今日も僕にトルクメニスタンの話をふってきた。
夕方、同じアパートの上のほうに住むインド人のレディ(Reddy)のところに行き、パソコンのセットアップを手伝う。その後、近くのパブWeatherspoonに行ってビールをおごってもらう。夕食を食べた後、映画に行った。またしても「Lost
in Translation」を観る。今まで同じ映画を二回観に行ったことは一度もない。しかし、安さ(£3.3)と近さ(住んでいるアパートと同じ建物が映画館)もあって、誘われるがままに行くことにした。二回目だったが、十分楽しめた。この映画は日本の「ありうる現実」を切り取って映画にまとめたものであるが、嫌味というより好意的な評価を感じる。日本人の根底にある(あった)が戦後の占領政策でないがしろにされた武士道という精神にスポットライトを当てた「ラストサムライ」と併せて、日本を紹介するのにうまく利用しやすい映画だと思う。
映画を見た後、学校の近くのイラク人が経営しているケバブ屋に行った。何人かのイラク人がいて、モスルやバスラなど最近よく聞く場所の出身であると言っていた。数十年前にイギリスに移住していて、数ヶ月前に初めてイラクを訪れたとも言っていた。ブラッドフォードにはそういう人も住んでいるのだなぁ。またこの店には足を運んでみようと思った。
2004年2月9日
先月(11日の日記参照)、生物テロの脅威にさらされたが、最近は化学テロの脅威にさらされている。
フラットメイトの香港人があまり料理が上手でないことは以前にも書いたことがあると思うけれども、彼女の腕は一向に上がっていないように思われる。味については個人の好みもあるのでとやかく言わないが、キッチンの使い方に関しても全く改善が見られない。油を異常に使うので(揚げ物をするわけでもないのに月に2リットルは使うようだ)彼女が調理した後はコンロ周りが汚れる。コンロ付近に鍋などを置いておくと、不快なほど油まみれになる。しかし問題は油だけではない。彼女が使う秘密の調味料(内容は不明)は強力で、彼女の調理中に台所にいると、目と鼻が痒くなってくしゃみが止まらない。僕のフラットに遊びに来た友人たちの多くが被害を受けたことがあるし、彼女の恋人すら激しくくしゃみをしている。不思議なことに彼女だけは平気な顔をしているが。
そんなわけで、彼女と料理の時間がかぶらないようにすることで一応の対策としてきた。しかし、最近どうも様子がおかしい。彼女が料理を終えても1時間ぐらいはその効果が残っているのである。キッチンに入った瞬間、目と鼻に違和感を感じ、数秒後にはくしゃみが出る。胡椒をかけられたときのような感じ。どうやら使う調味料の量をさらに増やしたらしい。ここ数日、お茶を飲むためにお湯を汲みに行くだけでくしゃみが出る。しかも、その後5分ぐらいくしゃみが止まらない・・・。
2004年2月8日
今日も雪がちらついていた。天気は頗るよく、視界も良好。空気の澄んだいい一日だった。
昨日の一件があったので、朝からサパルムラトトルクメンバシについて調べた。10分ほどして面白いことが起こった。日本のある雑誌のライターからメールが入ったのだ。2月末に発売される雑誌で僕が作っているトルクメニスタンに関するサイトを紹介したいという内容だった。国際情勢に関するテーマのカテゴリーで「アンチ定番サイト」ということで紹介するらしい。
なんといいタイミングなのだろう。昨日ふと思ったサイトの更新であるが、「雑誌への紹介」というインセンティブが加わることで、更新の意思が強化された。せっかくなので2月末までに一応の期限を区切って充実させたい。
2004年2月7日
Baltiの本場バーミンガムへ日帰り旅行。
日本人3人、中国人2人、ドイツ人、マレーシア人各一人でにぎやかな旅になる予定だったのだが、「汽車賃が高い」という理由でほぼ全員キャンセル・・・。まぁ当日購入だと往復で40ポンド近くするからね・・・。というわけでブリットレイルが使える僕とアキコの2名だけで行くことになった。
朝8時のブラッドフォードフォスタースクエア発。朝早いので眠かったが、アキコは5時に寝たとかで、もっと眠そうだった。タフだね・・・。
列車は少し遅れて11時過ぎにバーミンガムに到着。 すぐにEnglish HeritageのHalesowenに行こうと思っていたがあまり時間がなさそうなので まずはシティセンター中心の見所を回った。その後バーミンガム大学へ移動し、そこでロシア関係の勉強をしているアーシャさんと会った。アーシャさんはこの留学についてのサイトを作り始めたとき、留学している人のリンク集を作ろうとしてネットを検索し、初めに僕が見つけた留学生だった。(その後作業を怠ったため、結局ネットで探してリンクはったのは彼女のサイトだけ・・・)。今回、バーミンガムに行くことに決めたので数日前にBalti情報を求めて彼女の掲示板に書き込みをしてみて、その後「ぜひ一緒に食べましょう」と誘ってみたものだった。初対面にも関わらず、丁寧に大学を案内してくれ、旧ソ連への出張経験などいろいろ面白い話も聞かせてくれた。どうもありがとうございました。
さて、昼は当然バルチを食べるつもりでバーミンガム大学近くのバルチ通りに向かったのだが、予想もしないことが起こった。なんと、土曜日はどこのバルチ屋もランチをやっていなかったのである。仕方がないのでペルシャ料理屋に入ってみた。羊肉とひよこ豆、トマトの煮込みというのがあったのでペルシャ料理のアブグシュトのようなものを期待したのだが、羊肉は煮込んだものではなくてドネルケバブのそれみたいなものだったので少し残念。自分でも十分作れるレベル。日暮里のザクロのようなペルシャ料理屋はなかなかないものだ。そういえば、最近ザクロの料理がリニューアルしたと聞いた。
その後、Gooseというバーミンガムの老舗のパブに行き、語らう。アーシャさんと僕は中央アジアの話で盛り上がり、アフリカで開発を志すアキコにトルクメニスタンでの活動を強く勧めた。アフリカだけが発展途上国ではない。ニヤゾフの作った「楽園」の調査にぜひ本当に行ってもらいたいものだ。最近かなり滞っているトルクメニスタンのページもまた増強しなくては!
あっという間に時計は夕方5時を回ってしまった!当初の目的であるEnglish HeritageとBaltiはその時点でどちらもまだだった。急いでシティセンターへ戻り、列車の時刻を確かめて、駅から5分ぐらいのBalti屋"Mokham's
of Digbeth"へ。味はブラッドフォードにあるOmarより劣った。★★★☆☆ English Heritageは今日は諦めることにした。クラブの会員としてあるまじき行為だ!(なんて)
夜11時過ぎにブラッドフォードについた頃にはすっかり冷え込んで、雪まで降ってきた。今日の夕方まで春のようだったが、一気に冬に逆戻りである。
2004年2月6日
10日ぶりぐらいで電話が開通していた。アパートのエレベーターはいまだに不安定。いつか閉じ込められるだろうかと思っていたら、何人かが時々閉じ込められたりしているらしい。ひどいものだ。
エッセイのテーマを決めようといろいろ調べたてみたりした。
2004年2月5日
昨日から春のように暖かい。今日は太陽も出て、本当に春が来たような感じだった。上着も要らないぐらい。
今日もなんだかとても眠かった。やはり春が来たのだろうか。そうだ、そうに違いない。
正午からポールロジャースの特別セミナー「War on Terro: Iraq」。相変わらずものすごい早口だが、明瞭で分かりやすい。イラク戦争の大義名分を証明するのが困難になった状況についてや、昨年三月の戦争開始後に亡くなった米軍兵士や親米イラク人の死者数などについての分析を聞いた。「三週間で米軍はバクダッドに入城し、戦争の終結宣言をしたけれども、戦争はまだ続いているし、いつ終わるか誰にもわからない状況にある」。米軍のバクダッド侵攻を阻止するような軍事力は反米勢力にはないが、たとえバクダッドを侵略された後でも、というより米軍が駐留しているほうが米軍を攻撃しやすいとの読みはもともとあったのかもしれない。バクダッドは米軍の侵略に対して「開かれていた」とも言い得るそうだ。
2時からの講義までに一時間あったので図書館に本を読みに行くことにした。図書館前で友人に呼び止められたので振り向くと「Kyo、ランチが無料だぞ」。モリソンズで大量にパンとソーセージ、ハンバーグを買い込んだ4人組が、ホットドッグとハンバーガーの無料サービスをしていた。何かを大きく宣伝しているわけではなく、細いボールペンで「FREE
FOOD」とだけ書かれていた。近くを通る友人を誘って、みんなで食べまくった。
「下さい」というだけでいくつでももらえた。「どうしてただなんですか」と聞いてみると、どこかのクラブのイベントの宣伝の紙を渡された。どうしてもっと大々的に宣伝しないのだろう?ほとんどの人はただ食べ物をもらって、帰っていたぞ・・・。
2時からArms Control and Proliferationの講義、そして3時からゲストスピーカーIan Talbot氏が911後のパキスタンの政策についての話をした。ポールロジャースの後の話で正直かなり見劣りがした。内容的にも新聞とかで読めるような内容をまとめただけのような感じ。全然面白くなかった。周りを見渡すと、みんなメモ用紙にイラストやら幾何学模様やらを描いていた。スピーチと質疑応答の間にたくさんの学生が退出した。(僕は途中退出などはゲストの人にすごく失礼だと思うのだが、みんなこのあたりははっきりしている・・・)
その後、ユミさん、とし、えみと4人でアルハラルに買い物に行った。スパイスからカレーを作ることに興味を持ち始めているようで、コリアンダー、クミン、ターメリック等、基本スパイスを買うように薦めた。何かフルーツを買って帰ろうと思って、ものすごいもの発見!なんと「富士リンゴ」(Fuji
Apple)!家に帰る道中に食べながら帰ったのだが、味は日本のリンゴにそっくり。みつもしっかり入っていて感動的なうまさだった。
学校のホールで映画をやるという話を聞いていたので買い物の後にみんなで行くことになった。2時間ほどあったのでどこかでご飯を食べようと言う話になったのだが、無意識のうちに「どこのカレー屋にする?」と言っていたみたいで、みんなに笑われた。が、やっぱり結局カレー屋に行くことになり、僕の家の目の前にある高級インド料理店「オマールカーン」へ。以前にも一度行ったことがあるが、やっぱり美味しかった。しかも、キングフィッシャルスーパルラガルの生(£2.6/pint)が飲めるという事実が判明した。素晴らしい!7時までに入店するとスターターとメインセットで£6.5。今日はスターターにSheekh
Kebab、メインにChicken Pathiaを食べた。Pathiaはトマトを多く使ったカレーなので僕がよく作るタイプのカレーに似ている。
ゆっくり食事をしていたので映画の始まる7時半を少し過ぎてしまった。大急ぎで大学のGreat Hallに入ったが、5〜6人の学生がいるのみだった。それぞれ好きなところに腰掛けて映画の遅れを取り戻そうとしたのだが、僕はついついうとうとしてしまった。1時間ちょっと経ったときに、後ろからユミさんが「帰ろうか」というので(そのときまでにはすでに内容が全く理解できなくなっていた・・・)外に出た。聞いてみると、ユミさん以外の3人とも、開始直後から揺れていたという・・・。ビール飲んで、お腹一杯食べたからな・・・。
見に行った映画は「ミスティック・リバー」
。家に帰ってから調べてみると、なかなか面白そうだった!しかもアカデミー賞有力候補とは・・・。また今度、機会を見つけて見てみたいと思う・・・。
2004年2月4日
今日はレイジーだった。眠かった。
午前中Research Methodsの講義に出たが、言葉が難しすぎて面白くない(理解不能)。
しばらく友人たちとしゃべって昼過ぎに帰宅したが、本を読む気がしない。打開策として図書館で久しぶりに勉強してみようと思ったが、10分以内に眠りに落ちた(友人に起こされた・・・)。
その後今週末に予定している「Balti発祥の地へ Birminghamツアー」のためにいろいろ調べてみたが、あまり身のある情報は集まらなかった。18時半、少しうとうとしようとベッドに入るとインド人のReddyから電話があり、Peace
Studies Societyの立上げパーティに行こうと誘われた。
開始予定時間(?)の8時過ぎに行くとまだほとんど来ていなかった。資金調達のためのプロミスオークション(個人が誓いを立てて、その誓いをオークションで売り出すというもの、初めて聞いた!)を見てみたかったのだが、「酔った後のほうが金払いが多いはず」という主催者判断で、結局12時過ぎまで開始しないというような話を聞いたので帰ってきた。
ものすごく眠いので、寝ます。
2004年2月3日
DemocracyとIntroduction to Peace Studiesの授業のある日だった。
Democracyの講義は前期のHuman Rightsに続いてSarah Perigo先生。相変わらず何言ってるか分からない・・・。詳しいハンドアウトが配られたのと、週末からいくつかの本を読んだことで何となく何をやっていたかは分かったけど、どうもねぇ・・・。うーん。
IPSは1時間ずっとノンバイオレンスについてのビデオを見た。講師自信が出演しているものだったが、完全に手抜きだな。上映会だけ違うところでやることもできるのに。
夕方まで家でまたDemocracyの勉強をして、4時からDemocracyのセミナー。この時間にセミナーを取っている人が6人しかおらず(他の時間は15人程度)、こじんまりとしてしゃべりやすいけれども、理解できなくてもしゃべらないわけには行かない。今日は途中で理解できなくなりそうだったので、後半から日本の民主主義の話をすることでなんとかセミナーに切り込んだ。なんかネタを準備していこうかとも思う。このセミナーの問題は、先生(Sarah)の英語が分かりにくいことの他、メンバーにアメリカ人のおばちゃんとイギリス人のジェミーという訛りの強い英語を喋る二人が含まれていること。特にジェミーの言っていることはいつも全然意味不明で、2ヶ月ほど前などは隣に座ったときに話しかけられたのだが、4回ぐらい聞き返して全然聞き取れず、結局彼の言いたかったことが「ペン貸してくれ」というだけの話で、愕然としたことがある・・・。
トシと久しぶりに夕食を一緒に食べ(親子丼)、Cineworldへ「ラストサムライ」を見に行った。時代背景を混ぜてるし、武士道の概念の解釈についてはめちゃくちゃで、もちろん異論反論あるのだろうけど、もともとアメリカが明治政府に武器を提供する云々という史実にないストーリーをもとにしているのだから気にする必要はないと思った。近代文明や押し付けられた価値観に対し、精神文化で最後まで闘い抜くというストーリーがいい。トムクルーズが自分にない価値観に魅かれ、それを身につけていく過程が他のアメリカ映画にあまりないものでよかった。映画の中で武器を提供を試みたアメリカと明治政府が悪者として描かれているのも面白い。そして、明治天皇が勝元の意思を汲んで両者の契約を認めないというのは、現状に対する痛烈な批判のような気がして興味深かった。勝元死後に明治政府軍の兵士たちが彼を悼むシーンは文明に与しながらも精神的なものを捨て切れていない人々の様子がよく表れていてぐっときた。強いて言うのなら、そうした精神文化を理解したトムクルーズが村に留まるのではなく、そうした価値観を自国に持ち帰ってほしかった。小雪のもとにとどまるのではなく、「行かねばなりません」という一言が欲しかった。
実は武士道はけっこう前から気になっていて、大学時代は海外旅行をしながら『葉隠入門
』など読んでいたし、イギリスに来てからも新渡戸稲造の『BUSHIDO
』と李登輝の『「武士道」解題
』などを読んだのだけれど、こういう映画が世界中で流行し、曲がりなりにも日本の武士道がいろいろな人によって語られるというのはいいことだ。もっとこの精神を知り、それを伝えていく役割を担えたら面白いと思う。
2004年2月2日
Week2がスタート。午後からラテンアメリカの授業。ラテンアメリカの知識はあまりないけれど、週末ラテンアメリカ関係の本を中心に見ていたので授業が分かりやすかった。近くに座っていたPhDのメキシコ人にいろいろ質問してみた。家に帰ったら、先週ブリュージュで会ったメキシコ人のヘラルドからメールが来ていた。なんだか今日はメキシコづいた日だな。
家に帰ってご飯を食べた後は英語を早く読む練習をしてみた。すごくゆっくり辞書を引きながら読んでもなかなか頭に入ってこないのが相変わらずの悩みだが、これからもっともっと英文をたくさん読んでいかなければならないので、今までのやり方を少し変えてみようと思ったからだ。先週借りた"Promoting
Democracy in the 1990s"というB5で約70ページの薄い本。流し読みすること4時間半。一応、全部の単語を目で追った。内容はなんとなく頭に入っている気が・・・。ゆっくり読んでもメモ取らない限り忘れるからな(しかもメモを取っていると異常に時間がかかる)。たくさんのページをめくったためか、いつもより充実感がある。しばらくは(理解できなくても)多読を試みよう。
2004年2月1日 祝還暦!
久しぶりに天気のよい日曜日だった。窓から真っ青な空が見え、一本のまっすぐな飛行機雲があった。とは言え、引きこもり。外出はごみ捨て場に行っただけだ・・・。今日こそ勉強するぞと思い、図書館で借りた何冊かの本をぱらぱらとめくったり、今学期書くエッセイタイトルの検討をしたりした。
食事の準備をしているときにパクチーを洗っているとナイジェリア人が「草食べるの?」と聞いてきた。草じゃないよ、これはコリアンダルって言うんだよ、東南アジアでよく食べるんだよ、と教えてあげると、「日本人なのにどうして東南アジアのものを食べるの」と聞かれた。単に好きだから・・・と答えるしかなかったのだが。アフリカではあまり食さないのかな?
夜11時ごろ、もう少し読書をするかどうか迷ったのだが、この前の旅行の記録を終えていないことを思い出したので書いた。文章部分はこれで終わりにしよう。後は、今週一杯ぐらいで写真をまとめようと思う。
1月
12月
11月
10月
9月(14日〜)
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