ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)

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今年も残りわずかです。早い・・・(12月)。


2003年12月31日

大晦日。朝早く家を出てエジンバラへ向かう。
エジンバラで宿探しをしたが、世界最大の新年の祭りだけあって混んでいる。徹夜で過ごす方法なども模索してみたが、各フェスティバルがあまりに商売根性丸出しなことにも嫌気がさした。少し残念だけどブラッドフォードに戻ることにした。帰りの電車でピーススタディのBAに一年間在籍しているTくんとばったり会った。欧州旅行から帰宅途中のTくんは浜松町とブリュッセルの小便小僧について熱く語ってくれた。
ブラッドフォードは大雪。素晴らしいホワイトニューイヤーを楽しめた。近くのパブでゆったりとしたカウントダウンを楽しみ、一般人があげている花火を見て越年した。世界最大のニューイヤーフェスティバルは見逃したが、ブラッドフォードらしい年越しは、正月を海外で初めて過ごす僕を満足させるに十分だった。
寝る前にラジオをつけると驚くべきニュースが。エジンバラで数万人が失望。なんと、ニューイヤーイベントがキャンセルになってしまったらしい・・・。早々と帰宅した僕らはなんとラッキーだったことか。

 

2003年12月30日

シティセンターへ買物に。彼女に髪の毛を切ってもらう。だいぶ伸びてうさんくさくなっていたが、これで正月用にすっきりした。夜は麻婆豆腐。マンチェスターで買った豆腐が中華料理っぽくてよくあった。

 

2003年12月29日

ブラッドフォード大学のバスツアーで世界遺産サルティアハワースを訪問。とても寒い一日だったが、昔ながらの街並みと美しい丘を楽しんだ。
夜はピーススタディの学生でブラッドフォードに残っている人たちを招待して広島風お好み焼きパーティ。おいしかった。

 

2003年12月28日

リバプール訪問。霙まじりの寒い一日だった。ビートルズのメロディーを口ずさみながら街をねり歩いた。帰りにマンチェスターに寄り、中華街で食材を購入。マンチェスターは都会だ!クリスマスツリーも美しい。外国人向けの日本マガジンを発見。面白い。

 

2003年12月27日
ヨーク訪問。夜は大学の友人たちに日本食をふるまう。メインゲストだったはずのアフガニスタン人ハリッドは国連に呼ばれてロンドンから戻れず不参加で、残念。さすがクエッタやカブールで長いこと国連やNGOで仕事しているだけのことはある。

 

2003年12月26日

Alhambra Theatreにて「Cinderella」を鑑賞。せっかく近所にあるのだから行ってみようということでチケットを入手したのだが、学生はなんと£1で鑑賞できた。安すぎる。
観客のほとんどは子どもと年寄りだった。ストーリーは有名なシンデレラだが、演出がすごい。コメディあり、マジックあり、パロディあり、動物ショーありの観客参加型ミュージカルでめちゃくちゃ楽しめた。ブラッドフォードの有名スターであるButton役のBilly Pearceが面白すぎる。2月までやっているようなので、もう一度二度見に行ってもいい気がするほどだ。これから、アルハンブラシアターに機会を作って何度も訪れようと思う。

 

2003年12月25日

Bradford Sculpture Trailに挑戦。ブラッドフォードの歴史や遺産を発見。これぞ、という見物は少ないが、目立たない文化遺産をめぐる散歩はいつも暮らす街をゲーム感覚で楽しむのに最適だった。

 

2003年12月24日

うまかった。料理をクリック。

 

2003年12月20日〜23日

ウインザー、ロンドン訪問。富士通時代の先輩工藤さんに会い、彼女の紹介をし、おごってもらう。ロンドン時代の友人や8年来の友人アレックスとパブで語る。ミュージカル「シカゴ」鑑賞。

 

2003年12月19日

けっこう真面目にエッセイに取り組む。5時間ほど集中したつもりだが、ストラクチャーすらできず、無念。Justiceってのは、何なんだ!
夕方、中国人のXinが企画した火鍋に参加するために出かけた。が、待ち合わせ場所の玄関のところで別の中国人に会うと「Cancelled」と言われた。なんでも火鍋にふさわしい鍋がないというのがその理由らしい。2週間も前から火鍋とか言ってるなら、少しは考えとけばいいのに・・・。
そのまま帰るのも癪なので、Xinに夕食を作ってもらい、持参したビールを飲んできた。飲んだ後は日中友好トランプ(ババぬきと大富豪)をしばらくして、帰宅。
明日は、寝て起きてバスに乗ったら、美紀に会えるのだ!ワクワク!!ドキドキ!!インターネットのお陰でいつも顔を見て話すことができているのだが、やっぱり4ヶ月ぶりに直接会えるというのは嬉しいものだ。

 

2003年12月18日

部屋においてあるじゃがいもの芽が生えてきた。最近、太陽がよく出てるし、休みになってからけっこう部屋にいることが多く常に暖房をたいているので春と間違えたのだろうか。一方で僕も今日は春の気分だった。「春眠暁を覚えず」のようで、なんとなく布団の中で長い時間を過ごした。
夕方、エッセイのストラクチャーをさくっと書き出してしまおうと思って机に向かった。・・・が、さくっと決まらない。ここ数日、ほんの少しずつ図書館で借りていた本をめくったりしていたのでなんとなく書くべきことをわかっているつもりになっていたが、エッセイタイトルを読み返していくつかの単語に定義づけが必要なことに気づいた。
「そういえばエッセイ書くのってすごく大変だったなぁ」 と改めて思い出した。いや、大変だということを忘れていたわけではないのだが、一ヵ月半ぶりにエッセイに取り組んでみて、10月の地獄のような3週間を鮮明に思い出した。そうだ、エッセイは書いてみると思った以上に難しかったんだった。
今日思い出しておいてよかった。1月にいきなりこの状況じゃ焦るからな。と、言いながら、明後日からずっと休むのであんまり変らないかな?まぁ少しずつでも進むことにしよう。

 

2003年12月17日

図書館に予約していた本を取りに行き、そのついでにKirkstone Hallに寄っての小野リサのCDをもらいにいった。
すぐに帰ってくるつもりでPCもつけっぱなしで行ったのだが、休み中も図書館に行くとブラッドフォードに留まっている友人たちにたくさん会い、かなり長いことしゃべった。英語で長い会話をするのは3日ぶりぐらいかも。その後、Kirkstoneに行って、ちょっとお茶だけ飲んで帰ろうと思ったのだが、結局夕食まで食べることになった。気づいたら、家を出てからあっという間に8時間も経っていた・・・。
家に帰って本を読むも、集中できず、ウトウトする。その後パソコンを消して就寝。

 

2003年12月16日

夕方、トシとユミさんに誘われ、前日と同じパブへ行く。またまたギネスを飲む。
このパブは火曜日だというのにものすごく混んでいて、席がほとんど埋まっていることはもちろん、立って飲んでいる人も50人以上いる。このあたりでは圧倒的な人気を誇るパブなのだろう。
11時の閉店とともに帰ることにしたが、帰宅後、トシから電話をもらい、ラーメンを食べることに。ただの素インスタントラーメン(出前一丁)だったのだが、チップスに比べるとうまいことうまいこと・・・。飲んだ後のラーメンはすごく久しぶりだった。

 

2003年12月15日

いい天気!
今日はユミさんと飲みに行った。ユミさんは同じ学部で学んでおり、同じアパートに住んでいる。歳も近いし、広島出身ということで勝手に親しみを感じていたが、飲みに行くのは今日が初めてだ。
ユミさんのことはブラッドフォードに来てまもなく知ることになったが、同じ頃広島のお母様から連絡を頂き、「中国放送でユミさんという人がインタビュー受けてたけど、知ってる?」と聞かれ驚いたのを思い出す。ユミさんはネバー・アゲイン・キャンペーン(NAC)という活動に参加したことがあり、単身アメリカに渡って広島の原爆についてのプレゼンを繰り返してきたという経験を持つ。
近くの「月曜日にギネスが安いパブ」に行っていろいろと語ったのだが、 NACの前は旅行したり、会社にいたりしたそうだ。平和とか国際協力に関する考え方が、僕に非常に近い気がする。平和や貧困に直接関係するような場と、そういうことを意識する必要のない場の両方を経験しているので、バランスがとれているのだろう。
国際交流や国際協力に長い間関わりすぎていて、「(あなたじゃなくて)私こそが国際社会に貢献してるのよ」と言いたげな人を今までに何度かみたことがあるが、平和というものは一人で実現できるものではない。ブラッドフォードへ来る前に参加したいくつかの活動でそういう狭い了見のお偉いさんに何度か会い、その度に違和感を感じていた。ユミさんをはじめ、ブラッドフォードで勉強している人は、そうした観点からも、僕にとって魅力的で刺激を与えてくれる。面白い!

 

2003年12月14日

サダムフセインが捕まった」というラジオからの声で目が覚めた。捕らえられたのは本物だろうか、世界はどう反応してるのだろうかと思って、起きることにした。ラジオをつけながらネットのストリーミング放送を見たりして、欲張って情報を集めようとしてみる。一つのラジオ聞くだけでも大変なのに・・・と思ったが、テーマが限られているためけっこう効果的にニュースを聞けた(気がする)。
このニュースはかなり象徴的である。が、米軍がイラクを占領している理由(大義)も目的もサダムフセインを捕まえること(だけ)ではないので、大げさに捕らえすぎるべきではない。フセインが四半世紀も続けた圧政が、再び彼の手により再現されることはなくなったので「Good News」だと言えるのも確かだが、イラク情勢がこれだけで一気によくなるわけはないし、自衛隊がイラクに行ってよいわけではない。ニュースにだまされたりのせられたりしてはいけない。
午後から図書館に予約していた本を取りに行き、そのままアルハラルに買物に行く。野菜をたっぷりと鶏肉を買った。「チキンを○○gください」と言ったら、肉コーナーのおっさんに、これは「チキンなんかじゃない」と言われた。どう見てもチキンだろうと思って問い返すと、「我々の言語ではこれはXXXXXと呼ぶんだ」と教えられた(が、忘れてしまった・・・)。ここはイギリス国内だけど、英語よりも優先される言語があるらしい。
帰宅すると台所がきれいになっていた。冬休みでほとんど帰省してしまったので、僕とチュニジア人しか残っていないのだが、珍しく掃除してくれたらしい。きれい過ぎる。今までさんざん汚した反動だろうか。何はともあれ、気持ちよい。やっぱりきれいにしたほうがいいよな。きれいなキッチンで鶏団子スープを作る。昨日ナックルズの忘年会で鶏団子が美味しかったという話を聞いたので、食べたくなったのだ。生姜の効き具合が絶妙でおいしかった。

 

2003年12月13日

今日は第二土曜日なので、月一度の移動コリアンマーケットの日。
朝シャワーを浴びていると久しぶりに火災報知器が鳴り、髪の毛が濡れたまま寒空の下へ。こんなときに、勘弁してよ。
キムチ鍋の食材購入のため、数人で待ち合わせをした。その後スーパーマーケットに必要な食材を買いに行くはずだったのだが、まだ体調が芳しくなく、友人たちに任せた。安静にしてればなんてことないのだが、出かけるとやっぱりしんどかった。
家に戻り、ネット電話を野球チーム796sの忘年会会場に接続。久しぶりにメンバーたちと歓談することができた。現キャプテンちゃんぽんのおかげで、ナックルズはついにユニフォームの購入も決まり、さらに野球チームらしくなってきている。嬉しい限りだ。
薬を飲んだのもあるが、夕方には風邪のことなどすっかり忘れていた。2ヶ月ぶりのキムチ鍋だ!
Regional Security in East Asiaの授業を取っていた人でかつ日本または韓国に訪問したことのある人に声をかけて企画された鍋パーティだったのだが、韓国人の二人が旅行のため、韓国に二年間滞在したことのあるアイルランド人が風邪(インフルエンザかもしれないと言っていた。お大事に!)のため参加できず、結局日本に居住歴のある人ばかりが11名集まった。「築地の寿司は舌の上でとろけるうまさだ」とか「大阪のふとん祭りは面白い」とか「伊勢崎の花火はすごい」とか、いろいろと興味深い話を聞いた。さすが年単位での居住経験があると、それぞれ特徴的な思い出を持っている。
キムチ鍋はやっぱりおいしかった。カセットコンロみたいなものがないので、みんなで「鍋をつつく」ことができなかったのは残念であったが、部屋中にキムチのにおいを充満させ、会話を楽しみながら食事をするのはいいものだ。あっという間に時は過ぎ、帰宅すると1時半だった。風邪はどこかへ消えた。

 

2003年12月12日

やっぱり風邪だった。だる〜い。
郵便局とモリソンズに出かけたが、それだけで疲れた。モリソンズに行ったのは久しぶりだったが、野菜と肉が変な色をしているように見えた。やっぱりスーパーのつかないマーケット万歳!
微熱のまま、Webサイトをいろいろと更新。明日はキムチ鍋(ブラッドフォード)と796s忘年会(東京)だ!

 

2003年12月11日

起きたら風邪気味だった。昨日も少し喉が痛かったのだが、悪化したらしい。
今日もピーススタディーの学生のアパートでクリスマスパーティがあったのだが、やめておいた。ファーストセメスター終わったなぁ。何が身についたのか目に見える形のものは示せないが、ポイント毎にベストを尽くせばなんとかこなせるという自信はついたと思う。セミナーなどはまだまだ困難な状態が続くと思うが、力を出せるところはきちんと出して、結果を出していきたい。とりあえず、1月中旬に出すエッセイは単にパスではなく、その上を目指そう。

 

2003年12月10日

ピーススダディーのお楽しみ会(クリスマスパーティー)があった。
パーティに先立って、David Kaplowitz氏の公演があった。Kaplowitz氏は「In Whose Interest」というドキュメンタリーフィルムを作った人。このフィルムはアメリカの軍事介入がアメリカの利益のためだけに行われてきたということを映像で分かりやすく訴えたものだ。先日、彼の訪問に先立ってこのフィルムを見たのだが、その内容にとても興味を覚えたので、一体どんな人が作ったのだろうと思い、講演会にでかけた。
どんな人が作ったのかは全く知らなかったのだが、現れたのがとても若い人物だったので驚いた。聞いてみると、MAのdissertationとしてリサーチをし、9ヶ月かけて作ったのがこのフィルムということだった。MAの一年でどの程度のことができるのだろうと時々考える僕にとっては衝撃的だった。
今日は彼の新たなプロジェクトである「Food」に関しての話を聞いた。彼の英語も質問するイギリス人の英語も早くてけっこう分からなかったのだが、衝撃的な映像で現在ある問題点を抉り出す姿勢を継続して食に関する問題点を浮き彫りにしたいということらしい。完成は一年半後と言っていた。今後ぜひ注目していきたい人物だ。
パーティはピーススタディ行きつけの「Love Apple」で行われた。ピーススタディで行きつけとは言え、ビールは高いし音楽は最低だし煙草くさいので僕がここを訪れるのはすごく久しぶりなのだが。欧米からの学生はけっこうドレスアップしていた。クリスマスパーティということで気合が入っているのだろう。一方で僕は煙草のにおいがつくのがいやなので、一番洗いやすい服を着ていった。
チケットは£6で、それほど高いわけではないが食事つきということで期待しないで行った。ナシゴレンもどき(べちゃっとしていておじやみたいだった)や茹でたじゃがいも、チキン、春巻、ケミカルゼリーなどだった。学校のレフェクトリーに比べると格段に美味しかった!が、やっぱりイギリスの料理らしく、味がないといった感じ。後一歩頑張れば美味しいものができるのに、そこには決して至らない。イギリスにしては結構頑張ったと思うので、「まずい」とは言わず「マシ・オプソヨ」(韓国語で直訳すると味がないの意。つまりは「まずい」なんだけど・・・)と評価しておこう。
学部生も一緒だったので、いつもに増して若すぎる雰囲気!音楽は相変わらず、ひどい!音楽というより騒音だな。ファーストセメスターが終わったということで(本当は明日もう一日あるのだが・・・)、みんなはじけていた。僕も閉店の2時過ぎまでいて、久しぶりにたらふく飲んだなぁ。お金もよく使った。あっという間の3ヶ月だったなぁと振り返りながら就寝。

 

2003年12月9日

タフな火曜日も今日で終わり。
Human Rightsの授業は今日もわからず、結局一度も理解できなかった。配られたハンドアウトを読むことでなんとか断片を理解してはいるつもりだが。関連の書籍を数冊買ってあるので、これから理解していかねば。
Introduction to Peace Studiesは全員必須の授業であるが、今日はやけに少なかった。最後の週だからもうやる気がないのか、それともリーディングウィーク後から今日までの「平和の歴史」に興味がないのか・・・。セミナーに至ってはもっとひどかった。25人ぐらいはいるはずなのに、参加者はたったの4人・・・。今日の講義でDr. Peter van den Dungenが一枚の風刺画をくれたのだが(Institute for War StudiesとInstitute for Peace Studiesが道を挟んで両側に建てられているのだが、前者は立派な建物でたくさんの人が群がっており、道端には高級外車が並べられている。後者はみすぼらしい掘立小屋でほとんど人はおらず、その前には自転車が停められている・・・)、ブラッドフォードの平和学部でも状況はその風刺画と同じようである。安全保障やアームズコントロールの講義には人が群がるが、平和の歴史や平和ミュージアムなど、理想としての平和を語るのは好まないらしい。ちなみに、参加者4人の内訳は日本人2名、韓国人1名、アフガニスタン人1名。その他、学生ではない人がどこからか一人加わり、先生含めて6名で人間の本質と戦争と平和についておしゃべりをした。
その後昼食でインドレストランinternationalに行った。アフガン人のハリッドと日本人とアフガン人の宗教についての考え方について話をした。また、中央アジアや南アジアについて僕が旅行を通じて感じたことと彼が人生を通じて見てきたものを比較した。イランが非常に進んだ素晴らしい国だと彼が言ったのだが、僕自身イランに行ったことがなければ、また周辺の国と比較したことがなければ、彼の意見を理解することはできなかっただろう。そういえば、先日、アフガニスタンやパキスタン人にとっての民主主義の理想国家はどこかという質問に「イラン」だと答えたと言う話を聞いたなぁ。
その後、Regional Security in East Asiaの講義に行った。相変わらずOwen Greenは早口だった(笑)。全然聞き取れないのに、内容がなんとなくわかるのが不思議だ。この講義は本当に面白いと感じた。今日で終わるのが惜しい。
講義終了後、みんなで学校内にあるBiko Barというところに行って、一杯だけのつもりが4パイントもビールを飲んできた。中央アジアに行ったことがあるという僕の経験に興味のある人が何人かいて、素行不良の警官やビザや国境の話をした。さすがPeace Studiesの学生たちだけあって、トルクメニスタンとニヤゾフ大統領について知識のある人も多く、僕がアシガバードの様子とRuhnamaについて話をするとかなり喜んでいた。Ruhnamaを読みたいというので、今度貸してあげることにした。やはり世の中には興味のある人がいるから、しばらくストップしているRuhnamaの日本語訳、再開しようかな??

 

2003年12月7日

前日の残りのうさぎだしでフォーを楽しむはずだったが、火をかけっぱなしのまま忘れてて、焦げた。まぁ火災報知器を鳴らさなくてよかったけど・・・。嗚呼。

 

2003年12月6日

近くのアルハンブラシアターで待ち合わせをした。今日は「兎料理大会」。
モリソンズの裏のマーケットにみんなで買物に行く。兎はみんなほとんど食べたことがないので、捌いて食べることに少なからず抵抗のある人が多い。兎料理大会の企画をメールで流したとき、拒絶反応を起こす人や「調理はしたくない」と言う人がいた。僕自身も兎を捌くのはもちろん、兎を食べるのも初めてである。
今回は参加者を限定した。「兎を買いに行き、捌き、調理し、食べるまですべての工程に参加できる人」のみで会を開くことにした。おいしいところだけ味わうことは今日は認めない。それに自分が食べるものを自分で捌くという経験をシェアできる人と一緒に食べたいと思ったからだ。
マーケットにつくとすぐに兎の売られているところに行ったのだが、6匹並べられた兎を見て「あ〜、こういう風に売られているんだ。これなら大丈夫そう」と女の子の一人が言う。しかし、みんなが同意したのは兎のお尻の肉がよく発達してリアルすぎること。さすがによく跳ねていたんだろうな。
その後、「一人一品以上作ること」という本日のルールに基づいて、それぞれ野菜などを買い揃える。買物が済むと再び一番新鮮そうな兎が売られていた店に行って兎を二羽購入した。
僕のフラットに行き兎と記念撮影をした後、調理を始めた。「味は鶏肉に似ている」というインターネットで調べた断片的な情報だけを頼りにそれぞれがイメージを膨らませ、兎と格闘した。中国人の新が買い物中はぶつぶつ文句を言ってたのに、いざ兎を前にすると手際よく捌き始めた。彼は初めて兎を調理したということであったが、食材を前にした冷静さに、「さすが中国人だ」と一同感激した。
本日のメニューは以下の通り、食欲も話もよく進んだ!


うさしゃぶとレタスのオイスターソース(Kyo): うさぎの味と触感を確かめるため、最も簡単にできるうさしゃぶに挑戦。さっぱりとした味わい。うさぎへの抵抗がなくなり、一同調理の方針も決まる。
うさぎの肝の甘露煮(Nao): 牛乳で臭みを取り、醤油と砂糖で煮詰める。うまい!ビールがすすむ!
うさぎのフォー(Nao): うさぎの骨で取っただしがベースの薄味のスープがライスヌードルによく合う!いつもは缶詰しか食べないと言うNaoだが、実は料理の天才かも!もちろん、だしをとった後のうさぎ肉もしっかりいただきました。
うさぎのトマトスープ(Emi): トマトたっぷりの辛めのスープ。マッシュルームもうさぎによく合う!洋風うさぎを楽しみました。
ネギうさぎ炒めオイスター風味(Xin): ネギと生姜の絶妙のバランス。オイスターソースと醤油でうさぎもすっかり中国風。
うさぎと煮卵の酢醤油煮(Noriko): 兎肉は鶏肉よりずいぶんとさっぱりした味わい。酢醤油がよくしみこんだ煮卵も最高!
サグ・ラビット(Kyo): ほうれん草とうさぎのカレー。少しほうれん草が少なかったけれども、喜んでいただけたでしょうか・・・?

 

2003年12月5日

いい天気だった!
まだ眠かったが、朝からUCANという大学のステューデントユニオン内にあるボランティア活動支援センターを訪れた。
ブラッドフォードの生活に徐々に慣れてきて、この町がすっかり好きになり始めている。単に買物等を通じてここの社会の表面的な部分に触れるだけでなく、ここに住む人と少しでも接触を持ちたいと思った。偶然、学内のメーリングリストで「地域の人のITサポートをしませんか」というような記事があったので、連絡を取って訪問したのだ。
UCANのオフィスはとても感じがよかった。担当者が二人いたが、こんなに親切なイギリス人がいるのかと驚いたぐらいだ。しかも、仕事がはやい。昨日初めてメールを送ったのだが、常に10分以内に返事をくれたのですぐに今日訪問することが決まった。今日も説明を受けて自分の希望を伝えるとすぐに先方とのアポを取ってくれた。来週月曜日に先方に話を聞きに行くことになった。
午後は東京の彼女とネット電話をしたのだが、今日は音声チャットの調子が悪く、画面は映ったものの声が聞こえず、テキストで会話をした。彼女の訪問が二週間後に迫っている!会話をしながらプランを練ったり宿の予約をしたりしたのだが、久しぶりに会えることが具体的な期日に迫ってくると、嬉しくて声を出して笑ってしまったりする。きっと傍から見たらおかしな人である。
夜はアルハラルで買った骨付き羊肉をクミンとトマトで炒め、北京で行きつけだった食堂である中国東北家庭菜の一番好きだった料理を再現した。アルハラルで肉を買ったのは初めてだったが、この羊肉は最高に美味しかった。脂がよくのっていてその甘さがトマトの酸味によくあった。

 

2003年12月4日

昼食用に目玉焼きを作ろうと思って卵を割ると双子だった。久しぶりの思わぬ出来事に頬が緩んだ。
Kirkstone HallのJapanese Night(日本食をふるまう会)にコックとして呼ばれたため、夕方からたくさんの食材と格闘した。僕らが作ったメニューはお好み焼き、おし寿司、巻き寿司、野菜たっぷり味噌汁、つみれ(白身魚とえび)、肉じゃが、天ぷら(茄子・ピーマン・かきあげ)、大根と海藻のサラダ、漬物、白玉団子、豚の角煮の計11品。マレーシア人の二人が作ったミー・トムヤム、ナシゴレン、デザート2品と合わせて15品がテーブルに並んだ。なかなか見ごたえがある。かぼちゃの煮つけも作る予定だったのだが、買い物に行ったマサとアキコさんによると「ハローウィンはもうとっくに終わっているのであるわけがない」との回答を得たとのこと。イギリスではかぼちゃはハローウィンのために存在するのか?
8時開始予定と予告していたらしいのだが、準備が少し遅れて8時半過ぎにようやく完成した。8時を過ぎる頃から寮中からお腹を空かせた多国籍のハイエナがやって来て、日本食にありつけるのを待っていた。さぁそろそろ始めようかと思うまもなく、調理をしていた日本人7名がテーブルから少し離れると、30人以上がどっと押し寄せて大混乱となった。30分ぐらいで料理は全部売り切れ。すごい勢いである。
物議を醸すかと思われた納豆巻も全く問題なく消費されていた。一体誰が食べたのだろうか。
今日来ていた日本人は僕の他は開発学から5人と平和学で一緒ののぶさんだった。すごいボリュームの料理を作り、あっという間に食べられた後、またすごいボリュームの洗い物を済ませ、その後鳥が鳴き始める頃までキッチントークをした。授業やエッセイの対策方法についてから自衛隊・ブッシュ・グローバリゼーションなどについてまで、好きなことを言い合ったりした。いくら時間があっても授業やエッセイのための時間が足りないという認識を持ちながらも、「卒業」だけを目標にしてひたすら課題に追われることは嫌だということに共通点を見出した。欲張りな話ではあるが、そのほかにも何か達成できることがあればいい、という点で合意できたのが面白かった。
先日僕自身は「平和のためにできること」というのをとりあえずサイト上に立ち上げてみたが(まだ何も進んでないが!)、他の人もそれぞれが社会や世界に何らかのインパクトを与えることをできればという野心を持っているということなのだろう。結果が大きくなるか小さなもので終わるかは分からないけど、とにかく単なる思いを行動にしていくことが大切だと思う。そのためにこのような仲間との議論が大いに励みになる。

 

2003年12月3日

天気悪し。3日ぐらい太陽見てないぞ!
授業がないので家で資料の整理などする。エッセイの準備も始めようと本を手に取ったが、今日が返却日だったのでぱらぱらとめくっただけに終わった。貸出期間の延長をしようと思ったが、他の人の予約が入っていた。次の人が返すまでその本は読めない。
図書館に行ったついでにIPSSの予習用の文献をコピーしてきた。相変わらずコピーの状態がひどい
今日は修士を終えた人の卒業式ということで、マントと変な帽子をかぶった人がたくさんうろうろしていた。遠くから見たときは変な宗教団体かデモかと思ってしまった。みんな幸せそうな顔をしている。それぞれに努力した結果だろうから嬉しいだろうな。僕もきちんと結果を出せるように頑張らねば。
マントと帽子のレンタル費用は£35らしい。買ったほうが安いんじゃないか?

 

2003年12月2日

タフな火曜日が終わった。タフな火曜日もあと一回か。時の流れの早さを感じる。
今日はRSEAの講義およびセミナーがあったのだが、Greg Austinという早口のOwenGreenよりもさらに早口で、しかも軍人のような怖ろしい教官が担当だった。今までに二回彼の授業を受けたが、早すぎてわけが分からない上、「お前、意見を述べよ!」というように指をさして意見を求められるので、彼は恐いと学生の中でも評判である。今日のテーマは東アジアの民主化について。
今日も早口で始まった。しかも「一言も発言しないやつは許さんぞ。どんどん質問は難しくなるから早めに答えたほうがいいかもな」なんて授業が始まってすぐに言うもんだから、ますます焦ってしまう。焦っていると、初めの質問が理解できない。おぉ、彼は何を聞いてるんだろう??授業のペースが早いのと、質問をしても即時に回答がないと自分でしゃべってしまうため、レスポンスに時間のかかる僕にはきつい授業である。しかし、予習して流れを予測していたのが功を奏したのか、細かな店は分からなくても大体の流れはつかめた。とは言え、ものすごい勢いで進んでいく授業の中に自分のアイデアを挟み込むのはやはり至難の業である。
授業が終盤に差し掛かったとき、彼の指先が僕に向かった。「次の犠牲者はお前だ!」おぉ、来たねぇ。前後に何を言っているかよく分からなかったけど、僕は日本の民主化の成功と他国で押し付けられている民主化の違いについて簡単に意見を述べた。これからエッセイでそのことを書こうと思っているので、今日はそれを勉強しに来たつもりだったのだが、まぁ授業を聞いて考えをひねり出すことができたのでよしとするか。
彼の授業はいつもちょっと恐いが、真剣になる分、理解は深くなるような気もする。Human RightsのSarah Perrigoのセミナーなどでは、言ってることが全然分からないのと、人の意見を聞くと言うより自分ばかりしゃべる当人の傾向もあり、授業半ばで話についていけなくなると、「今日はいいや」みたいに思ってしまう。これは甘えかもしれないが、授業のやり方で集中力を維持できるかどうかがけっこう決まる気がする。いつも真剣さを維持できればいいのだが、なかなかそうも行かないのでね・・・。

 

2003年12月1日

SPCRの授業に行く。エッセイトピックで選んだTruth Commissionsについて。講義で勉強してから一気に書き始めようと思っていたが、講義理解できず。なんだこれ?
夕方、アティの弟がオランダから遊びに来ているというので彼女のフラットを訪問。アティ姉弟は不思議だ。日本人とインド人のハーフだけど、日本人ともインド人とも全然違う。二人の会話は英語がメインだが、アティが「弟に日本語を忘れさせないため」にたまに日本語で話しかけるらしい。聞いていると日本語と英語が混ざっていて、わかりやすいんだかわかりにくいんだか・・・。そういえばインド人の友人などはヒンディ語ご英語を混ぜて喋っていることが多かった気がする。という意味では二人はインド人っぽいのかな?
アティの友人が他にも三人遊びに来ていたが、その中のジェフというやつが夕食を作ってくれた。材料は胡麻油・豆腐・そば・八丁味噌・乾燥ワカメ・胡麻。ジェフの彼女が開発した「味噌そば」なのだという。作り方は簡単。煮えたお湯の中にそばと味噌を入れ、大きいままの乾燥ワカメをそのままぶち込む(ワカメはもちろん、すごく大きくなる)。ぐつぐつに煮込んだ後、盛り付け。盛り付けた味噌そばの上に胡麻油で炒めた豆腐と胡麻をかけておしまい。なんとも不思議な味わいの味噌そばが完成。味は・・・。「全部見たことあることある食材なのに、不思議なメニューだ。面白い」と言っておいた。ありがたく頂く。途中で口を出そうと思ったのだが、(もしかしてこいつはものすごい料理人なのかもしれない)という期待もあったのでそうはしなかった。盛り付けられたそばを見て「あっ」と気づいたが。日本人は出された料理に決してケチはつけない。
味はお世辞にもうまいとは言えなかった。まず、味噌入れすぎ。そば煮込みすぎ。ワカメでかすぎ。すごくヘルシーな食材を使っているけど、胡麻油はちょっと使い過ぎかも。素材の特徴を生かしてないという点でもったいないというのが正直な感想。でも、いわゆるイギリス料理よりは全然美味しかった。どういう状態(麺の茹で時間など)がいいのか、というのを知らないだけなのだろう。今後ジェフがイギリス料理を改善してくれることを期待しよう。

 

11月

10月

9月(14日〜)

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