|
ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, Bradford University)
<<Diary>>
日記です。 渡英後開始予定でしたが、習慣がないと書き始められないと思ったので、6月5日分から時々書いてみることにしました。
2003年8月20日
壮行会をしてもらった。
といっても自分で企画したのだが・・・。正確には「壮行会に来てもらった」かな?僕の友人をすべて把握しているのは僕自身しかいないので、今回も自分で呼びかけた。「誕生日パーティ」も同様の理由で自分で企画している。パーティーを通して知らない人同士が仲良くなるというのは見ていても楽しい。企画者冥利に尽きる。
人数がかなり多くなると思ったので店を予約しようと思ったが、平日でもあり、来れる時間がそれぞれバラバラなので断念した。参加人数は60〜70名と読んでいたが、来れる時間がまちまちだと、いつも使っているアジアンキッチンでも対応しがたい。迷った挙句、少し大胆なことを考えた。それは”English
Pubの占領”。これからイギリスへいくに当たって「それらしい」雰囲気をみんなにも味わってもらい、かつ、その店を友人で埋め尽くしてしまおうと思ったのだ。
客の流動性が高く、キャパシティが90名というところからHuB渋谷2号店を選んだ。友人には「19時から少なくとも終電までは店にいるから、仕事が終わったらすぐに来るように。ただし席は確保しておらず、自分で取るべし」という旨のメールを送った。
計らずも、ちょうどこの日は国立競技場で「日本代表vsナイジェリア代表」のサッカーの試合がある日だった。HuBは店内でのサッカーの放映をウリの一つにしており、いつもにぎやかな店内は、サッカーのある日はさらに混みあう。これは、まずい・・・。と思ったものの、その事実に気づいたのは当日の朝だった。
案の定、19時少し前に店にたどり着くと、席はたったの5席しか空いていなかった!しかも、中央の大きなテーブルが他の団体により30名分ぐらい予約されていた・・・。
席は空かないものの、友人は次々とやって来た。厨房の横やトイレの前、席間の通路など、少しでも空いているスペースに友人がどんどん入り込んでいく。席が空いた瞬間に友人の誰かが座り込む。21時を過ぎると、店の半分以上は友人たちによって埋め尽くされていた。いつの間にか予約席の半分に勝手に座っており、予約したグループの人が立って飲んでいたり・・・(笑)。そして、10時を過ぎると、占拠率はほぼ100%に達した。どこの席を見ても、知っている人ばかり。頃合いを見計らい、僕は中央の高い椅子に上って、決意表明とお礼の挨拶、そして彼女との婚約報告をした。うーーん、いい気分だった。しかし、椅子があまりに高すぎて、天井にほとんど頭をうちそうだったが。
楽しい会合はHuBが閉まる25時を過ぎても続いた。いつもと同じちとせ会館に行き、あっという間に朝になっていた。ほとんどの人は朝から仕事があるにも関わらず、20名ほどが残ってくれた。
家に戻り、思い返してみると、まだまだ心がウキウキした。思い出すだけでニヤニヤした。来てくれた人の顔を思い出しながらリストアップしていくと、85名の名前を思い出すことができた。85名のみなさん、ありがとう。そして、来れなかったものの電話やメールでメッセージをくれた10数名の皆様もありがとう。イギリスで頑張ってきます!
2003年8月19日
今日はアパートを引き払う日。朝からごみを出し、掃除を済ませる。
その後授業料を支払うためシティバンクのオンライン取引を試みるも、送金先を事前登録しなければならないということでできなかった。しかも登録に一週間もかかるという。先日支店を訪れたときにはオンライン取引ですぐになんでもできるような言い方をしてたのに、その登録には書類の到着後、一週間ぐらいかかるらしい。止むを得ず断念。
その後、他の送金の方法を模索した。みずほ銀行は手数料が8000円だとか。高い。lloydsが2000円でできるとのことだったが、新規の手続き等面倒なことが多そうなのでとりあえず郵便局に行ってみた。
海外送金などしたことのなさそうな人が対応してくれ、一生懸命にマニュアルをめくっていた。少し不安だが、やってもらおう。結果は手数料400円+電信振込代1000円+先方の手数料£5=約2500円。まぁこの程度だろう。
その後、ビザについて念のためブリティッシュエデュケーションオフィス(BEO)に問い合わせた。BEOというのは、留学をサポートしてくれるオフィスでブラッドフォード大学の日本事務局も兼ねているというので去年の暮れから時々お世話になっているが、ほとんど助けにならないというのが正直な感想。日本語で問い合わせられるのは楽なように思えるが、対応の遅さはピカイチ。まぁ忙しいのとイギリス側の対応の遅さが理由の大半だろうから改善は難しいだろうけど。「あなたの留学をサポートします」という言葉を信じ過ぎた僕が悪いのだろうか。所詮大学の教務課なのだから、「やっぱりいい加減だな」で済ませよう。大学に直接問い合わせたときのほうがよっぽど楽だった。
ビザの問い合わせに対してはまともな答えはなく、「英国大使館のホームページで最新情報を確認してください」とのこと。仕方がないのでUKNOWのページなどを見ていると・・・「6ヶ月以上の滞在にはエントリークリアランスを入手しなくてはなりません」。出発まであと1週間を切っている。間に合うのか?と思ったら、「2003年11月13日から」だって。よかった。
一応、イギリス大使館にそのほかのことに関して聞いてみた。すると「エントリークリアランスは10月からですが(あれ?11月じゃないのかな?)申請しておいたほうが後の手続きが簡単かもしれません」との返事が。「かもしれません」って何だ、と思って尋ねてみると、「先日より問い合わせはFAXとEメールのみになっております。電話でのお問い合わせには応じられませんので、FAXかEメールを送られてはいかがでしょうか」だって。FAXやEメールですぐに返事がもらえるのか不安である旨を伝えると、「電話では質問を受け付けておりません」。
どこに問い合わせても疑問は解決しそうにない。とりあえず、大学からのオファーレター・銀行の残高証明書・授業料の振込み証明ぐらいを持っていけば入国できるだろう。ふぅ。
夕方より兄夫婦と友人のインド人夫婦らに招かれ、たまプラーザのアクバルで食事をした。
2003年8月16日
ナックルズキャプテン継承式。一年半かけてようやく試合のできるチームになった。後継キャプテンのちゃんぽんはともに設立した仲間だし、信頼のおける親友なので、今後のナックルズの行方が楽しみだ。一年後に再び加わるので、それまでよろしく!
2003年8月15日
前日から長野県南部の女神湖畔にある立科白樺高原YHに行ってきた。
来年秋に行う結婚パーティについて現在考えているところだが、僕らがやりたいのは形式的な披露宴でもないし、短い時間でお金のかかる所謂「二次会」でもない。参加してくれる人が自然の中でゆっくりとくつろぎ、
長い時間ゆっくりと語り合える場が欲しいと考えている。詳細は未定&秘密だが、友人たちには2004年10月中旬の土日をあけておくようお願いする。
2003年8月9日
今日は野球(8・9)の日。
一年半ほど前に設立し、徐々に活性化してきた野球チーム「ナックルズ(796s)」の初試合の日でもあった。
昨年イランで知り合ったクラテスさんの紹介により、退屈団という野球チームが主催するワンデートーナメントに参加することになったからだ。7月7日の日記にも少し書いたが、イギリス留学のためにようやく野球チームらしくなってきたナックルズからしばらく離れることになるので、その前にチームを盛り上げるためにも、ぜひとも試合経験がほしいと思っていた。5月頃から試合を予定していたチームは7月に入って音信不通になってしまっていたが、なんとか機会を見つけたいといろいろな伝手を辿ってみたとき、たまに練習に顔をだしてくれるクラテスさんから試合の話を紹介された。クラテスさんはナックルズに試合の機会をもたらしてくれた後、一ヶ月弱という日本のサラリーマンにしては長い休みを利用して、世界一周旅行に出かけていった。
試合の数日前から雲行きが怪しくなっていた。台風10号が本州に上陸するという予報は的中し、朝起きてみるとひどい雨だった。寝ぼけ眼で準備を始めると、ナックルズのアイドルで転勤で滋賀に引っ越してご無沙汰だったハラクミから電話がかかった。「予定通り、のぞみに乗ったからね!」
集合時間の10時45分、新小岩駅に着くと9名のメンバーがすでに来ていた。晴れ女のアイドル・ハラクミ効果か、みんながそろうと雨は止んでいた!少し早かったが、昼食をとることにした。勝利にこだわるため「トンカツ屋」に行くことに迷いはなかった。そして、11時半開店のトンカツ屋を少し早めにオープンさせることにも迷いはなかった。それぞれ勝つカレーや勝つ丼をお腹いっぱい食べ、会場である私学事業団グラウンドにいざ出陣。
ほぼ予定通り、正午過ぎにワンデートーナメントは始まった。第一試合「ミスターズvsジョーカーズ」。この両チームも、退屈団も、当然ながら揃いのユニフォームを着ており、短パン+手作りTシャツをユニフォームとする我々は、初試合のプレッシャーもあって少しビビっていた。ユニフォームを着ているだけで「強そう」な印象を受ける。チーム内で弱気な発言が出ては、誰かが無理矢理にでもポジティブにその言葉をかき消す。気持ちで負ければ、勝ちは望めない。卑屈にならず、試合を楽しもう。
しかし、2回表あたりで、ものすごい暴風雨となって試合は中断。それから一時間ほど待ったが納まらず、退屈団とジョーカーズは天気予報に従い、帰っていった。「たぶん無理でしょうが、雨が止むまで待って、それから試合をしたいチームはしてもいいですよ」というありがたい言葉を、退屈団の代表者が残していってくれた。我々は、天気予報を信じず、己のみを信じて、雨が止むのを待つことにした。そして、ミスターズも、同じような気持ちで残ることを判断したようだ。ミスターズだけあって、紳士的である。
雨はひどく降り続いた。風はあらゆるものを飛ばしていた。駅まで歩いて帰るのもいやなぐらいの暴風雨。しかし、我々は待った。ミスターズも待った。クラブハウスでしゃべったり、寝転がったり、テニスボールでフットサルをしたり・・・、しまいにはUNO買って来いと言い出す始末だった。
16時を過ぎると、雨が少し弱くなり、風邪はほとんどおさまった。ふつうのどしゃぶりという感じだった。しかし、さっきと比べると相対的にはなんでもないような気がする。ミスターズの代表者と合意して、試合を開始することにした。私学事業団の事務員は、「悪いこと言わないから今日はやめとけ」と言って、なかなか申し込みを受け付けてくれなかったが、最後には押し通した。淳子ありがとう。
16時半、試合開始。 キャッチャー経験もあり、キャッチャー候補だった弟の修が夏風邪をこじらせ欠席。代わりに僕がキャッチャーをやることになった。はっきり言ってビビっていた。目の前でバットを振られたり、けっこう早いボールが突然コースを変えたりするのだから怖くないわけがないが、そんな役をキャプテンである僕が引き受けず、他の人にやらせるわけにはいかない。来るボールを受け止めなければ試合にすらならない。そうなれば相手チームにも失礼だし、チームの今後にも関わる。かなり責任のあるポジションだ。
しかし、初めての試合でこのポジションをやることになってよかった。正直、キャッチャーはできないし、やりたくないという気持ちがどこかにあり、任せられるなら任せたいと考えていた。だが、実際にこのポジションで自分のベストを尽くすことによって、キャッチャーというポジションの苦労と楽しさが実体験できたし、全員が見渡せるポジションであるため、試合全体がよく見えた。下手くそなりにキャプテンとしてチームをプレーで盛り上げることもできたと信じる。
試合の一週間前にキャッチャーミットを購入したものの、革がやわらかくならず、結局は普通のグローブでプレーした。初めて身につけるキャッチャーマスクの視界に慣れるまでに時間がかかった。試合に熱中していたためか、軟式のボールは当たっても大して痛くなかった。初回の先頭バッターのときには、K-U-の早いボールや変化球に全くついていけず、4回も後逸してしまったが、「当たっても痛くない」のだから、取れなければ身体に当てれば後逸は避けられることにも気づいた。マスク以外のプロテクターはなかったが、機動力を重視するなら必要ないと感じた。20級以上身体に当たったが、何の問題もなかったのである。
ピッチャーK-U-の素晴らしいピッチングと、せっちゃん・こいちゃん・ちゃんぽんのハラハラさせつつもなんとかうまくこなしてしまう守備により、大量失点は免れた。雨がひどくなってから交代したナベケンの吠える魔球はみんなに勇気を与えた。僕自身も、満塁でパスボールを避けるために身体にボールを当ててみたら、ボールが三塁線に転がって敵を混乱させることができた。慌てて飛び出したランナーをダッシュしてアウトにしたのだが、投げて暴投するぐらいなら追いかけてやれと思ったのが正直なところだった。一応、短距離走には自信があるからね・・・。
そして、美紀・淳子・ハラクミの黄色い声援に乗せられて、6回表、ついにナックルズは火を噴いた。ヒットとエラーで僕が2塁へ出塁すると、ナベケンが四球を選んだ。スラッガーのノブジロウがレフトオーバーの2点タイムリー。こいちゃん、K-U-とせっちゃんが続けて出塁し、押し出しでもう1点の後、幼馴染のニシモが、一塁線ぎりぎりのタイムリースリーベースヒットを放ち、逆転した。初回にデッドボールを受け、二打席目に中学生ピッチャー(ミスターズの誰かの息子)に三振を取られ、凹んでいたニシモだったが、あんなにきれいなヒットをよくぞ打ったものだと思う。そして、雨が強まったタイミングでぎりぎりフェアのキャッチャーフライをあげたオクラテス。眼鏡は雨に弱いというセオリーを巧みに利用して、タイムリーエラーを誘った。これでダメ押し。
2時間という制限時間があったため、試合はそこで終了。ナックルズは、初試合を7対5の勝利で飾った。奇跡の逆転勝利だった。僕の中には、ものすごい達成感があった。試合を諦め、帰った2チームを「棄権」だと捉えると、我々は、ワンデートーナメントで優勝したことになる。初試合・初勝利・初優勝!!!
試合後、新小岩の中華料理店「上海浦東酒家」で祝杯をあげた。大盛り上がりで喜びの美酒に口をつけると、横の席にいた他のお客さんが、餃子をごちそうしてくれた。その他にも、店側からお祝いとして3品ほど頂き、この店に偶然めぐり合ったことがいかに幸せだったかとみなで感慨に耽った。隣の牛角が空いてなくてよかった。いつでも満員で、予約後に電話してくれるはずなのに、いつも電話してくれない。そのお陰で、我々は素晴らしい中華料理屋にめぐり合うことができた。飲んだ量は計り知れない。記憶も一部吹っ飛んでる、久しぶりに。たまにはいいでしょう。今日は祭りだから!
いやはや、本当にいい一日だった。ナックルズを作ってよかった。いままでやってきたよかった。経験の差を乗り越えて、試合に勝つことができたし、野球の楽しさと人のやさしさを大げさなぐらい感じることができた。わざわざ群馬から来てくれたこやじ、忙しい仕事の合間に駆けつけてきた大介にもお礼をいいたい。ありがとう。
| |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
計 |
| ナックルズ |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
7 |
|
7 |
| ミスターズ |
1 |
1 |
1 |
0 |
2 |
× |
|
5 |
(6回裏、時間切れコールドゲーム) 詳しい結果は こちら
2003年8月5日
週末、実家に帰った。
彼女の両親が初の渋沢訪問である。最新の名所である風の吊り橋に案内し、丹沢山麓の美味しい空気を吸ってもらった。55歳からの山歩きをしている僕の父はこの辺りの山に詳しい。家に帰る途中の道から富士山がきれいに見えた。近頃は天気が悪く、秦野からもなかなか見えなかったようで、気候も彼女の両親を歓迎してくれたようだ。
フラメンコの練習を終えた彼女が8時前に合流。今日は握り寿司パーティではないが、大漁の刺身を囲んでわいわいと話をしながら食べた。8時半ごろから食べ始め、食べ終えたのは12時半。なんと4時間も食べ続けたのだった。超スローフード。やっぱり大人数でご飯を食べるのは楽しい。
2003年8月1日
7月29日から、内閣府主催の討議セッションが行わたため、しばらく代々木のオリンピックセンターに泊り込んだ。イベント担当の実行委員として行事に関わったのだが、イベントスタッフはセッション全体を盛り上げるという形で存分に貢献できたと思う。いろいろなイベントを裏から支えるのが実行委員の仕事で、参加者としてこの種の行事に参加するのとは一味違う苦労と面白さがあった。進行をスムーズにさせるために、一つひとつのプレゼンテーションをある程度で切り上げたりもしなければならない。時間が経つに連れて盛り上がるものなので、それを止めるのはなかなかキビシイ仕事であり、クレイムをつけてくる外国人青年もいたが、進行についての理解ある参加者が多く、盛り上がり方も全体の時間も適度にバランスのとれたイベントができた。クレイムをつけてきた青年ともきちんと和解することができた。今回の経験を、自分が参加者であるときにも活かしたい。
イベントスタッフとしての仕事に余裕があるときには、参加者と一緒にディスカッションに参加したり、小旅行に行ったりもした。国際協力コースに参加した僕は、JICAに同行したが、これは期待はずれ。1年目や2年目の超若手社員が各小グループ(5〜6人)に加わり質問に答えてくれたが、経験も少なく自分としてのビジョンもまだあまりできていないようで、一般的な世間話のようになってしまっていた。そのほかの時間は、プログラムにしたがってディスカッションをしたのだが、テーマに沿って議論を進めようとする日本人青年と気に食わないテーマに関しては話そうともしない外国人青年とのギャップに苦しんだ。グループの中で正面を向くことすらしない外国人青年をジコチューだと言うのは簡単だが、そういう人が議論に加わるような進行のできるファシリテーター役ができるようになりたいと思う。
2003年7月27日
フジヤマンボ!に参加した。
3年前から始まったこのイベントは、わかりやすく言うと「富士山に登って、下りて、風呂入って、ビール飲む」という単純なものだが、年々参加人数が増え、今年はなんと80名を越えた。
往路も復路も最悪の天候で、どしゃぶりが降っていた。体力的にかなりつらい登山であり、歩いていても寒さに震えた。しかし、山頂付近は完全に晴れており、雨のお陰で空気も澄んでいた。過去4回で最高のご来光が拝めた。太陽がマブシカッタ。
山頂ではサプライズで結婚式をした。フジヤマンボ!主催者のヨルダンと尚美さんが今年4月に入籍をしていたが、まだ式を挙げていないということであったので、フジヤマンボ!のサポートメンバーでサプライズ結婚式を企画したのだ。僕は光栄にも神父役を仰せつかったが、準備していったインドの民族衣装とたまたま被っていた毛糸の帽子が「神父らしい」と評判だった。式の進行もなかなかよかったのでは、と自画自賛しておく。
ふと、ちょうど一年前のこの日、別の友人イナバといっちゃんの結婚式をイラン・イスファハンの世界遺産であるアリ・カプ宮殿で行ったことを思い出した。変わったスタイルの結婚式が同じ7月27日という日に行われたのは、偶然の一致であろうか。偶然以上のなにかがあるのでは?と考えてしまう。
結婚式という、人生の節目であり幸せな人生のスタートポイントとなるセレモニーに大切な友人として関わることはとても幸せなことだ。澄んだ空気の中、真っ赤に燃える太陽に照らされた参列者の笑顔を見ながら、そんなことを考えた。
2003年7月20日
友人スシルとラディカの結婚を祝うため、兄夫婦の家を訪れた。
インドでの結婚式の様子を撮ってきた写真をもとに振り返った。あれからもう一ヶ月か。そろそろサイトにまとめなきゃなぁ、と思いつつ、昨年のシルクロードの旅もキルギスあたりまでしかまとめていないことを思い出す。
2003年7月18日
今日も「討議セッション」関連の行事に参加した。赤坂プリンスホテルで国際会議のレセプションがあるというので、
久しぶりにスーツを着て出かけた。
永田町に着いてプリンスホテルに向かうと、なんだか物々しい雰囲気が・・・。玄関前にはカメラマンが50人以上・・・。一体何が始まるんだろうと思いつつ2F受付をすましたが、落ち着かないので1Fに降りると・・・ぬぁんと、皇太子と雅子さまが歩いていた。そういえばこの討議セッションは二人のご成婚を記念して始まった国際交流行事だったっけ。とはいえ、皇太子ご夫妻と話ができるわけもなく、最短距離で5mに迫ったに過ぎない。「懇談は各国のナショナルリーダーに限」っていたし、ご退場のときに大きく手を振ってみたけど、こちらには視線を向けてもくれない。
レセプションは福田官房長官の挨拶から始まった。堅苦しさは行事の性格上否定できないが、経験としてはとても貴重だったと思う。貧困の解決や世界の平和がご来賓の挨拶から語られていた。貧困や紛争とは全くかけ離れた豪華なホテルのレセプションルームで、それとは対照的なテーマについて考えることは、きっとそうしたテーマについて客観的に考えるために必要に違いない。「事件は会議室で起こっているんじゃない!現場で起こっているんだ!」というセリフが数年前に流行りましたが、現場のことを会議室で考えることも冷静になるという意味では役にたつのでしょう。もちろん、ずっと会議室にいてはいけませんが・・・(笑)。
とはいえ、雰囲気がかなり異質というか、僕にとっては慣れないところだったので、いろいろな人と話をしてもなにか表面的なものに終始しているような気がした。友情ができやすいのは、やはり居酒屋やパブなのであろう。
2003年7月17日
表参道の国連大学内にある日本国連HCR協会に行った。
5月末より、内閣府・青少年国際交流機構(IYEO)が主催する「討議セッション」という国際交流行事のサポートスタッフとして活動をしており、招聘外国人と日本人のコーディネートやフェアウェルパーティーの全体責任者を(こちらがメインか?)することになっている。14日に外国人青年が来日したということで、彼らの訪問先である、UNHCRに同行したのである。
各国から選ばれた人材だけあって、なかなか優秀そうな人ばかりだが、みな個性が強く、面白い。日本のエリートと違うところは、自己紹介がウィットに富んでおり、最後にパーティをいかに楽しみにしているかを力説するところだと思う。この意味では僕は日本のエリートより国際的なエリートになる可能性を秘めてるかな?
2003年7月16日
5日ほど、中国地方を旅行した。
両親と彼女を連れて車にて広島へ出発。約10時間の長い旅だ。実は車の運転はあまり経験がなく、旅行先でレンタカーに乗るぐらいなので、運転は数ヶ月に一回もすれば多いほうだ。でも、今回の長旅で、車の運転にもなれた気がする。
両親同士が初のご対面ということで、少しはドキドキしていたのだが、 みなすぐに打ち解けて、楽しい時間を過ごせた。僕の母は持ち前のフレンドリーさを存分に発揮していた。宮島を訪れたり、広島風お好み焼きを一緒に焼いたりした。宮島では雨が降っていたが、なかなか味わいがあり、趣深い。宮島にある最も古い寺院だという大聖院はかなりユーモアのあるところで、今まで訪れた日本の寺のなかでは最もエキサイティングだと感じた。広島風お好み焼きは豪快かつおいしい。思い返してみると最近大阪風お好み焼きを食べてないことに気づく。いつの間にか、お好み焼きは広島風に限ると思うようになっていた。
帰りは、仕事のある彼女を新幹線で東京に帰し、両親と三人で尾道・福山城・帝釈峡を訪れた。尾道の坂道や帝釈峡の森の中をゆっくりと歩き、リフレッシュした。65人乗りの遊覧船を親子3人で貸しきったことと、世界三大天然橋の一つである雄橋が印象に深い。
2003年7月7日
日記を書き始めてから一ヶ月が過ぎた。今日で書くのは4回目となる。すでに「日」記というより「週」記と呼ぶにふさわしいが、できるだけ日記に近づけていこう。友人たちから「読んだよ」と言われることも増えてきたので、今日もこっそり書く。
週末には、僕が主催する野球チーム ナックルズ(796s)の練習とフジヤマンボ!の壮行会とがあった。どちらも楽しみながら体力を維持するという目的で数年前から活動しているが、回を重ねるごとに活動に充実度が増すのを感じる。とくにナックルズは、チームの立上げからずっと関わっているので愛着がある。メンバーが好き勝手に参加するスタイルを取っていて、人数が集まらずほとんど野球にならないような時期もあったが、今年に入ってからはみんなの意識も高まり、「野球チームらしく」なってきた。ナックルズにはアメリカの高校で現在のメジャーリーガーたちと肩を並べた強者から先月グローブを買った人まで、いろいろなレベルの人がいる。また、サラリーマンやコンサルタント、資格試験を目指す人、学生、ぷ〜太郎など、いろいろな背景を持った人がいる。個性の強い人ばかりなので集まるだけでも面白いのではあるが、ここにきて「野球」という共通の目標をようやく共有できたように思う。これは目に見える変化であり、ナックルズがようやく本当の意味での野球チームになったことを意味するのだと思う。あと1ヶ月半ほどでナックルズからしばらく離れなければならないが、その前にキャプテンとしての職務を全うしたい。
その他、ようやく今住んでいるアパートの片づけを始めた。ダイニングテープルを友人が引き取りに来て部屋が少し広くなったが、片づけを始めると自分がイギリスに行くという実感が少しだけ湧いてきたような気がした。
2003年6月24日
14日から9日間、インドを訪れた。
4度目のインド訪問だったが、今まででは最も短いインド旅行。日程がきつかったのか、体力が落ちているのか、最終日は少しダウン気味に。とはいえ、無事帰国して、いつもの完全な体調に戻った。
今回は友人の結婚式に参加することが主目的だった。噂どおりインドの結婚式はものすごいもので、新郎は白馬にまたがってパレードするし、出席者も公道で踊り狂う。もちろん、僕もその一人だが・・・。セレモニーには推定600人以上が参加しており、大いに盛り上がっていた。
以前から訪れたかったエローラやアジャンタの石窟寺院を訪れることもできたし、友人の実家に泊まり、インドのど田舎ライフを楽しむこともできた。
結婚式や農村の様子というのは僕が今まで見たインドとは全く異なる世界だった。北インドのしつこさが「インド」として語られることが多く、他の地域や人々を見た僕自身も、印象が強すぎるためについつい北インドでの経験を「インド」として語る傾向にあるが、今回の旅で見たインドはそれと同じかそれ以上のインパクトがあった。今後はもっと深くインドを語ることができるかな。
インド人の声は相変わらず大きかった。よく通るし、お腹の底から声をだしているから気分もいいだろう。僕もイギリスに行ったら声を大きく出すことを一番に心がけよう。英語力や知識・経験では勝てない人たちと勝負することになるから、勢いだけでもトップに立たなくては!
2003年6月8日
7日から、フィアンセと一緒に実家の渋沢(秦野市)を訪問した。
兄弟とその奥さんたちがみんな集まってくれ、総勢8人で歓迎してもらった。応接間がいっぱいになった。彼女と一緒に出身の小・中・高を訪れた他、秦野市の名所(?)である震生湖や風の吊り橋に行った。どれも懐かしい場所であるが、いずれも昔見たときに比べるとずいぶん小さい印象を受けた。それだけ成長しているということだな。(当たり前か)
僕の実家ではときどき握り寿司パーティーをする。2年ほど前、「手巻き寿司はするかもしらんけど、家では握らねぇよ!」と友人に初めて言われたときは驚いたが、家で握り寿司をするのが一般的ではないということを今は知っている。しかし、小さい頃から日常的にやっていたことでもあり、佐谷家に歓迎するという意味では最適なネタでもあるので、握る楽しみを彼女に味わってもらえて嬉しい。
握り寿司パーティもそうだが、うちの実家では一般には「珍しい」と思われていることが結構ある。大学に入って一人暮らしをして初めて、そういうことに気づいたが、それから9年経った今でも、うちの外と中を比べて新たな「発見」をすることがある。昔から外国人のホームスティを受け入れることも多く、世界各国の話を聞いたり、料理を食べることがよくあったし、両親が何にでも好奇心を持つ人であるので、こういう風になったのだろう。
男だけの三人兄弟だったのが、それぞれ結婚をし、家がものすごく華やかになった気がした。それぞれが個性を伸ばして、ますます愉快になるんだろうなぁ。これからも楽しみだ。
おっと、留学日記っぽくないかな。こういう家庭環境だったからこそ、異文化に興味を持ち、その延長線上に「平和学」という学問があったのです。(よし、まとめた!)
2003年6月5日
高校時代の友人ちゃんぽんと会うため、浅草に出かけた。
少し早めに家を出て、浅草駅前のスターバックスコーヒーで本を読んだ。「City
of Peace Bradford Story」という、9月から僕が住む予定の町について書かれた本である。移民の多いブラッドフォードという都市の発展の過程やここを拠点に活躍した人たちのことを知る。「平和学」を学ぶにはふさわしい都市であると改めて確信した。南アジアからの移民が多く、カレーで有名なところであるというのも嬉しい。イギリスでの食生活に不安を覚えていたが、この町でなら幸せに暮らしていけそうだ。
本を読み終えたころ、ロンリープラネットの「Tokyo編」を持っている外国人女性が隣に座ったので、話をした。村上春樹の「国境の南、太陽の西」の英語版を買いたいということで、東京にある大きな本屋の場所をいくつか教えてあげた。国境というキーワードから話が広がり、やがて旅の話になった。彼女はヨーロッパをバックパック旅行したことがあるほか、ジョンズ・ホプキンス大学の医学部を出ており、WHOのインターンでヨルダンにしばらく滞在したことがあるとのことだった。結局1時間以上もしゃべった。旅人との会話はやはり楽しい。
やがて友人が到着し、どっちの料理ショーに最近出たという浅草うな鐵に行った。ひつまぶしというのは、うな重にするほど鰻が豊富にないときに少ないうなぎをご飯にまぜるという名古屋らしい(名古屋の人すみません)ケチな料理かとなぜか思い込んでいたが、実態は全然違っていた。鰻はたっぷり乗っていたし、めちゃくちゃうまかった。薬味を乗せたりだし汁をかけるのはGood。味噌カツでずいぶん下がっていた名古屋料理の株が一気に急上昇した。
ちゃんぽんとは高2のときに席が隣り合って以来12年の付き合いだが、進路を決定したり悩みがあるときなどにいつも刺激を与え合ってきたよき親友だ。視野を広くもったり、発想の転換をしたりすることが自分の直面する事態を改善するために大きく役立つと経験的に感じているが、その時々に彼の存在があった。今後もいろいろ助け合うことだろう。僕は今までに二度会社を辞め、イギリス行きを決めた。一筋縄で行っているとは言えないし、失敗を繰り返している。しかし、時が過ぎるに連れて自分の状況がどんどん楽しいものになっていると思えるし、自分の素直な気持ちを表現できるようになっている。昨日もちゃんぽんが言っていた。「子どもは何度も失敗を繰り返しす。でもそれを恐れないからこそ、いつか成功することができる。赤ちゃんが一度も転ばずに立ち上がろうとしたら、どれだけ時間がかかるだろうね」彼は二児の父でもある。いつから失敗を怖れたり、人目を気にするようになるのだろう。
第一回の日記はけっこう長くなった。毎回こんなに書いていたらタイヘンだぁ。
記録に残るような人生を歩めれば、とは思う。しかし、人生をできるだけ記録に残していくことも意義のあることだと思う。行動を文章に残すためにはそれを振り返る必要があり、書くことで自分のしたことを評価することができる。僕が旅行記を残すのはそのためであるし、今回の留学を機に、記録を残すことを習慣づけたい。
トップページへ

Copyright (c) 2000-2003 BEEMANet All Right Reserved.
|