ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)

おてんとさまは知っている

TK


先日、リバプールのコンサートホールで、英国保守党前党首Ian Duncan Smith氏の講演会が行われた。Margaret Thatcher、John Major両党首を頭に80年代から90年代前半のイギリスを率いた英国二大政党の一つ、保守党前党首の講演会である。さぞ華々しく開催されたのだろうと思いきや、1600席のホールを埋めた聴衆は、たったの67人。

大雪のために交通機関が麻痺していたとか、Duncan Smith氏が大遅刻をしたとかいうハプニングがあったわけではない。あるいは、近くで十年に一度の大イベントがあって人がそちらに流れたとかいうのでもない。普段の土曜日の夜である。それにもかかわらず、その日集まったのは、地方政治家数人のほか、大学生、高校生合わせて67人。

この講演会自体は、党が企画・運営したものではなく、Duncan Smith氏個人が一政治家として講演し、そして集まった聴衆と語り合おうという、きわめて地味な、そしてある意味私的な催し物である(The Times紙はこの記事を演劇批評欄に掲載していた)。

彼自身は首相の座には就けなかったし、リバプールという場所も労働党への支持が強い土地柄である。人気がないのも無理ないことかもしれない。それでも、伝統ある英国保守党の前党首の登場である。このような場合日本であれば、「腐っても鯛」と言わんばかりに、党か地方議連あたりが集客に奔走して、とにもかくにも「大盛況」の体を整えるところであろう。それがイギリスでは、1600人収容のところに67人、集客率5%にも満たないとは何とも寂しいではないか。

しかし、僕はこの記事を読んで、妙に清々しい気分にもなった。何も、僕が労働党支持者で保守党のこの「体たらく」を喜んでいるわけではないし、Duncan Smith氏個人の政治信条に首肯できないところがあって、彼の講演会の客入りの少なさを面白がっているわけでもない。

そうではなくて、この「保守党前党首」と「集客率5%」という組み合わせの背後に見えてくる「地味な努力」というものに、清々しさを覚えるのである。そこには、「党を挙げて」とか「後援会が一丸となって」というような総動員的な雰囲気は微塵もない。

Duncan Smith氏本人も、準備に当たったスタッフを責めるわけでもなく、「土曜の夜というのがいけなかった。次にやるときはいつがいいのかもっと考えよう。多分、週の半ばがベストじゃないかな」という「反省の弁」である。確かにその日会場に訪れた高校生の一人は、The Guardian紙の取材に対して、「本当はこの後ナイトクラブに行こうと思ってたんだけど、ここのチケット代(£12)を払ったからあんまりお金がなくて」などど話していた。

しかし、開催を土曜日から水曜日に移してみたところで、おそらく立ち見が出るようなことにはならないであろう。問題はきっと別のところにある。だが、ここではその問題を突き止めてとやかく言うのが目的ではない。その代わりに、さっきも言った、独力で何かをしようとする、その「地味さ」に注目したいのである。

確かにイギリスであっても、選挙に直接結び付くような場合には、党を挙げて努力するであろうし、資金もつぎ込むであろう。しかし今回のDuncan Smith氏の例を見る限り、一歩「公的な」ところから離れれば、いくら前党首であっても「勝手にやれば」ということのようである。そして本人も「勝手にやります」というノリである。悪く言えば薄情な関係だが、良く言えば潔く、慎ましい。

国民に訴えたいことがあるならば、それを聞いてもらえるような場を作ればいいのだし、それで人が集まらなければまたやり直せばいい。会場がガラガラだったからと言って、その日来なかった地方議員などの「関係者」を責めることもないし、聞きたくない人を動員して無理に「盛り上げる」こともしない。話したい人が話し、聞きたい人が聞き、参加したい人が参加する。ここには、何か行動するときの基本的な姿勢のようのものがあるように思われる。

確かに、声を大にして広く社会に訴えかけることは必要であるし、重要でもある。なるべく多くの人間を集めて、街の目抜き通りを練り歩く。こうした行動は、マスコミにも注目されやすいし、社会的なインパクトも小さくない。

しかし同時に、基本的には誰からも評価されないような《匿名の行為》や、わずかな数の人間を相手にした地味な行動の積み重ねも、それと同じぐらい、あるいはそれとは違った意味で、社会的(そして歴史的)に大きなインパクトを与えることがあるのかもしれないし、実質的な「平和」につながっていくのかもしれない。
(適当な例は思いつかないけれど、そもそも「匿名」で地味なのだから思い出しようがないのかもしれない)

「世界の」平和と、「自分の周りの」平和。
「世界の人々」の幸せと、「隣の人」の幸せ。
どちらも、前者と後者は切り離せない、2つでワンセットのもののような気がする。


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