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ブラッドフォード大学大学院 体験記 抑止力〜武器を持つ馬鹿持たぬ馬鹿石破防衛庁長官が先日、日本の軍事力の強化に関して「抑止力」や「日本の強さ」を理由に説明をしたようだが、全く馬鹿げた話だ。 アメリカは核兵器による抑止力を「ソ連に対抗する手段として」持つと正当化した。核兵器は「戦争をしないために」持つものであると主張してきた。そして正義の名の下に核兵器は次々に増強された。しかし、ソ連が崩壊しても、核兵器を廃止した国はない(旧ソ連の国で独立後ソ連に「返還」した国はある)。それどころか、「東vs西」に限定されていたはずの核保有国の対立が明確な対立構造の消滅により、核兵器の保有は自国を守るために必要なものという議論にすりかわった。 さて、核兵器と通常兵器の違いはよく議論される。しかし、核兵器が初めて開発された60年前の通常兵器と現在の通常兵器を比べると、後者の破壊力は前者の比ではない。地球壊滅や核兵器のような規模での環境破壊にはならないかもしれないが、国際人道法で定められている事項(民間人への攻撃の禁止など)を守れるような規模で終わることはまずないし、一国の中枢を(つまり結果的にその国家自体を)破壊することはそれほど難しいことではない。通常兵器でも国家を殲滅しうる。 軍事的な「強さ」を盾に国を防衛する場合、「弱さ」が見えたときはそこが攻撃対象となる。軍備の増強やそれに関する主張は「弱さ」の克服にあると思うが、これは相手(今日本を敵視している国とそうでなくても日本が攻撃力を持つことにより日本を怖れるようになる国々)に不必要な恐怖感を与え、自国を守るために日本を攻撃するための理由を与える。攻撃力にしろ、防衛力にしろ、完璧性の追求は危険性を高める。風船に空気を入れ続けるようなもので、暴発するまでは被害は何もないが、高まる危険はいつかは臨界点に達する。 恐怖の均衡はそれが破れるまで証明されない。だから、抑止力を主張する政治家は何らかの理由をつけていつまでもその政策を進めることができるだろう。抑止力の否定は平和ボケしたアホな人間の主張として軽く流されるだけかもしれない。しかし、失敗のときには彼らもその他の人も同様にすべてを失い、手遅れになるまで決して彼らは失敗の責任を問われることはない。それゆえ抑止論というのは極めて無責任な主張である。だから、僕は、いつも人に対して使わないようにしている言葉を抑止論者に対しては使おうと思う。「バーカ!」
◆装備に国民の理解必要 新防衛大綱で石破長官 (京都新聞 2004年5月17日) 石破茂防衛庁長官は17日午後、東京都内で講演し、年末までに政府が策定する新たな「防衛計画の大綱」について「何のために、何を、どれだけ、どこに持つべきか。それはどのように調達するか、主権者、納税者の方々にきちんと理解してもらうものでなければならない」と強調した。
1 Lee, S.P., Morality, Prudence and Nuclear Weapons, 2nd edition (Cambridge, Cambridge University Press, 1996)
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