キルギスに法の裁きを!

中央アジアの山並が美しいキルギス共和国の首都ビシュケクにて、日本人数名が暴行事件に巻き込まれた。本ページでは、この件を法的に解決しようと試みる過程を綴って行くことにより、海外旅行中に起こり得る出来事としてご紹介するとともに、法の整備されていないキルギス共和国における問題解決の困難さやこうした問題の起こったときの日本国外務省の対応状況をご紹介致します。

なお、このページは事件の進展とともにアップデートされます。また、テキスト以外も順次追加していきます。

<ドラフト>

日時:2002年9月15日19時頃
場所:カフェ<ユサ>(トルコ料理店)(日本映画が上映された<ドム・キノ>の向かい)

9月15日(日曜)
旧知の角南氏(一橋大学院生)らとともに、私の下宿先に滞在し16日に日本へ帰国する予定の日本人観光客2名の送別会をトルコ料理店<ユサ>にて開いた。私たちの席の隣に、キルギス民族男性2名およびキルギス民族女性2名がテキーラを飲みながら座っていた。私たちが来店して以来、私たちに向かって<中国人、中国人>とはやし立てていた。その内のひとり(名だけ判明;アスカットAskhat)が角南氏の脇の下をくすぐり、つつきながら<ライターを貸せ(Zazhigalky daj)>と要求した。角南氏は彼にライターを貸した。しかし、その後、角南氏がライターを返してくれといっても返さなかったばかりか<くれ!Daj mne.>と言い出した。角南氏はトルコ語で彼らに向かって「冗談はよせ。返してくれ。」と言った。返すどころか、自らの上着のポケットに入れる仕種を示した。私(中西)も、キルギス語で角南氏にライターを返すよう言った。その後、キルギス男性(アスカット)は角南氏に返そうとする振りをしたり、角南氏がライターを受け取ろうとすると手を引っ込めて返さないという愚弄の態度を何度か繰り返したのち、<キルギスでは、ライターなどプレゼントするのが当たり前だ>と言いながら角南氏に返した。その後、角南氏は彼らに文句を言ったが、彼らは角南氏をFuck youと執拗に愚弄しはじめた。私は、彼らに<やめてくれ。こんなことをして恥ずかしくないのか(Koyunhuzchu, uyat bolosuz)>と言った。彼(アスカットという名だけ判明)は、私にもFuck you.およびFuck your motherという名誉を毀損する言葉を執拗になげかけた。私は再度、私たちの邪魔をしないこと、また、理由なき罵倒の言葉を外国人に投げかけるべきではないと言った。再度、かれは私に2度ゆっくり、言い聞かせるようにfuck your motherを連呼した。私は、席を立ち上がり、彼らの席に近づいた。その時、彼らの席にいた、もう一人のキルギス人男性が立ち上がり私の方によって来、私の首を絞めながら、約3メートル後方の壁まで突進する形で、私の後頭部を壁にぶつけた。私の顎首を持ち上げる形で3度、壁に私の後頭部をぶつけた。日本人観光客杉崎氏が私たちの間に分け入り、救い出してくれた。すぐに、私たち(中西および杉崎)は、各々の席へ戻った。その後、アスカット(名のみ判明)は「おまえらは中国人だろ。」と問いかけてきた。私は、彼に「いや、ちがう。私たちは日本人だ」と言った。彼は「この国の主人は、おれたちキルギスだ。おまえらは、クソ民族だ」といった。私たちは、取り合わなかった。すると、彼は「おれたちは、おまえらを、3日以内に殺す」と言った。その威嚇に私は危険を察知し、杉崎氏を伴って自宅へ戻り、写真機を取りに言った。タクシーにて帰宅し、カメラ(杉崎氏の所有物)を持つとともに、ホームステイ先で、唯一外出せず日本人旅行者のために夕飯を準備していた住人グルナラ嬢を伴って、再び、カフェ<ユサ>に赴いた。私たちが着いたときには、彼ら(加害者)はカフェを出るところだった。私が、彼らの写真を取ろうとすると、「もう一人のキルギス男性」がカメラを平手でひっぱたきカメラは地面に落ちて転がった。とともに、彼は再度、私の首を締め上げながら、カフェの出口ちかくの柱に私をつるし上げ、地面に転ばせた。同時に、アスカット、角南、杉崎氏の間で、カメラを取り合うためにもみ合いになった。地面に転がったカメラは、彼ら(加害者)と同席していたキルギス女性が取り上げたものの、杉崎氏が奪い返した。わたしは、起き上がり、グルナラに警察を呼ぶように指示するとともに、帰ろうとする彼ら(加害者)に<今から警察がくる。待っていてくれ。>と言ったが、かれらは、店の出口へ歩いて出ていった。カメラを取り返した杉崎氏とともに、彼らを追いかけ、店の前に駐車してあった彼らの車の車種(アウディー100)およびナンバー(B8844T)を確認し、書き留めた後、杉崎氏に彼ら(加害者)及び車のナンバー、車を写真に収めておくように指示し、そのようになった。彼ら(加害者)は、結局、飲酒にも拘わらず、車を運転し、その際に「後で会おう。見ておれ。」というとともに人差し指で私に恰も銃で打つような仕種をして去っていった。約5分後、「5月1日地区」の警察がかけつけた。私は、グルナラに店員および私たちのテーブルの斜め後方に座っていたトルコ大使館職員および、その通訳に証人になってくれるように頼ませた。大使館員たちは、協力してくれるとともに、その通訳アブヅッラーエヴァさんが、私たちに非がないこと、また一部始終の証人となってくれる旨の書類を書いてくれた。店員は、概して非協力的であったが、その後、私たちに労いの言葉をかけてくれ、茶をごちそうしてくれた。カフェ<ユサ>にて、請願書(Ariz)および状況説明書(Tushunuk khat)を書きはじめるよう警官に指示を受け、書き始めたが、店への配慮からか場所を「五月一日地区」の警察署にうつす事になった。日本人である私たち4人の氏名および署名を求められ、そのようにした。私たち4人およびグルナラは、警察署にて容疑者連行を待つ傍ら、私(中西)が代表して、請願書および状況説明書をキルギス語にて記入することになった。捜索は、彼らの車のナンバーを基にして、彼らの自宅にまで及んだが、当該地には住人の形跡がないとのことであった。私は、翌日、病院( )へ行き、( )を受け取るとともに、写真を現像すること、また明日、電話があり次第、五月一日地区警察署に赴くように指示された。私たちは、帰宅した。

9月16日(月曜)
朝、10時半ころ「五月一日警察署」より連絡があり、午後1時に署へ赴く旨、指示された。私は、16日正午にオシへ出発予定の田中氏に証人である旨、および必要の場合、証言に立つ旨の書類を英語および日本語にて書いてもらった。15時に、マナス空港へ出発予定の杉崎氏にも、同様の書類を書いてもらった。その後、私(中西)は、昨晩指示されたようにフィルムをツムにて現像に出すとともに「被害者鑑定所」へ赴き、警察に提出すべき書類を得た。定刻にグルナラとともに警察署に着いた。30分後、担当者( 氏、nachal`nik)がやって来て、私は再度、彼らに状況を説明し、写真が現在現像中で16日14時ころ現像される予定の旨伝えた。まもなく、彼ら(加害者)のキルギス民族男性2名が連行されてきた。彼らは、容疑を認め、すぐに謝罪をした。私は、下宿先から被害者の日本人(角南氏・杉崎氏)を呼び寄せた。容疑者は、その場で解決を望むと言う。カメラが地面に落ちた際の損傷の金銭的弁済を申し出、また私たちに対する精神的損害身体的損害を平謝りで回復させようとした。私は、あくまでも法による解決が最善策だと考えていたので、その場における杉崎氏のカメラに対する修理代の彼(アスカット)による賠償は適当でない旨、杉崎氏および角南氏に言った。しかし、杉崎氏のマナス空港出発が19時に控えていたことがあり、個別的解決を選択され、杉崎氏および加害者の間で、警察官3名およびグルナラ嬢の立ち会いのもとで杉崎氏にカメラの修理代200ドルが賠償されることになった。と、同時に、担当警察官によって角南氏に、昨晩、私が代表して書いたものと同様の状況説明書を作成する旨、指示され、角南氏は、そのようにした。重要なことは、犯人同席ののもと、私たちの氏名、住所が犯人に分るような形で明らかにされた事である。また、16日中に明らかにされるべきこととして、私たち3人(中西・角南・杉崎)の共通の要求であるところの<犯人の言葉「3日以内に、おまえらを殺す」という威嚇>に対して、私たちの安全を確保するために容疑者の氏名・住所・職業・背後関係などを犯人をして私たちに書面にて知らしめることを約束させた。その時、彼ら(犯人)はパスポート・身分証明書を携帯していなかった。アスカットは、「身分証明書は今、紛失中だ」といったが、その後、発言を改め、警察官を伴って、彼らの自宅へ身分証明書類および杉崎氏に支払われるべき200ドルを取りにいった。その後も、角南氏は状況説明書を作成し続けた。犯人らは、約半時間後もどってきた。しかし、書類をコピーするためといって再度、車にて出ていった。それ以後、杉崎氏がマナス空港に出発でざるを得ない時間を過ぎても彼らが帰ってこなかった。15時47分、杉崎氏は、犯人(アスカット)が杉崎氏に対して200ドル支払うべきことの書類を残して、タクシーにて空港へ出発した。私が、担当警察官のひとりの助言のもとロシヤ語にて代筆し、杉崎氏に署名させた。18時ころ、犯人らが、戻って来たが、約束であるところの杉崎氏とアスカット氏との間の約束、また私たちの安全確保のための情報開示はなされる事はなかった。空白の2時間に、犯人側から同行した警察官の間で何らかの取り決めがあったことを予期させる。19時を過ぎ、しきりに犯人ら及び担当警察官4人から、その場による解決をすすめられた。すなわち、私たち2名(中西・角南)に対する謝罪および金銭的賠償による解決であり、百ドルが提示された。私たちは、断った。安易に解決することによって、曖昧な情報(犯人の身元など)を得ることになりかねず、もって私たちの身の安全が保証されないからである。私たちは、あくまでも裁判による解決を選んだ。私は、担当警察官と犯人が親しく話している様子、犯人らによる担当警察官(4人)の取り込みを相当の根拠をもって察知したからである。犯人らと上級警察官僚( 氏)、またグルナラがが話しているところを私は見た。グルナラによるとその上級官僚はグルナラ自身の遠い親戚であることが判明し、私たちが弁護士として弁護を頼もうと考えていた人物の親戚にもあたる人物だそうであった。高級官僚は、犯人らと友人関係にあるという。彼からもグルナラを介して裁判に訴えないことを言われた。結局、私たちに知らされるべき犯人らの氏名・職業等の情報、また杉崎氏に支払われるべき200ドルは、知らされ、渡されることはなかった。犯人らは、私たち(中西・角南)が裁判による解決に固執する以上、自分たちに資さないことを考えたと推測される。何度も、私たちは外へ連れて行かれ、その場による解決をしきりにすすめられた。担当警察官の2人から犯人2人は、上級警察官僚らしく、裁判による解決を私たちが選んだとしても不可能であることがいわれた。実際、犯人2人自身は、オシ市場で煙草関係で働く商人だと言った。現在のところ、犯人に私たちの氏名および住所などが知られている一方、私たちは、彼らのひとりの名アスカット、また車種・ナンバー、写真しか知らない。犯人らが、状況説明書を書かされる時に、私たちは帰宅するように指示された。9月17日(火曜日)17時に再度、署へ来、犯人たちと話し合うように指示され、現在(16日深夜ー17日03時)に至る。私たち(中西・角南)は、裁判による解決を選ぶつもりである。