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ユーラシア大陸横断(酒の旅)
NASTAROVIA! ついに
エストニアのToompea Hillにいた。
首都タリンの旧市街の中心から徒歩で約15分。急な坂道を登りきったところの見晴らしのよい場所で、丘の上からは教会や城跡が一望できる。夕陽に照らされた建物が美しい。
旅の終盤のタリンの小高い丘の上で、今回の旅を振り返り始めていた。
ここに来たのはロシアへ行く最後のチャンスをつかむためだった。
もともと、ロシアにもシベリア鉄道にも興味はなかった。ロシアを旅したいと思ったことはなかったし、一週間も列車に揺られることは想像するだけでもゾッとした。シベリア鉄道を特集し「長旅のロマン」などと題するものを見たことがあるが、地を這ってシベリアを旅したという事実と自己満足以外、何も残らないと信じていた。
ところが、旅立ちを決めた時少し気持ちが変った。友人のいる中国やモンゴルと目的地であるヨーロッパの間にあるのがロシアであったし、両者を結ぶのがシベリア鉄道であった。そのことを話すと、友人の多くがシベリア鉄道に乗ることを羨ましがった。そのうちに、今までアジアばかりを旅していた僕にとって、初めて訪れるヨーロッパにゆっくりと近づいて行くということが、だんだんと魅力的に思えてきたのだ。
しかし、俄かに湧いていたその思いは出発から約1週間後、ウランバートルで破られた。ロシアビザが取れなかった。。ビザ取得のための制約が厳しすぎた。ロシアにおける全ての交通手段と宿の予約をすることがビザ取得の条件だった。しかもロシアの祝祭日とたまたま重なっていたこともあり、取得まで2週間かかるとのことだった。
虚しかった。すぐそばをモスクワ行きの列車が走るのが見えた。行けないと思うと行きたい気持ちがますます募った。このとき、シベリア鉄道が憧れの乗り物になった。
憧れを胸にいだき、飛行機に乗った。行き先はラトビアだった。
予定が急に変更となり、突然、ヨーロッパ入りしてしまった。不安が重くのしかかったが、やがて、ビールと人々がそれを消した。そして、日々を楽しく過ごしていると、ロシアへの憧れも、薄れた。出会った人たちに、シベリア鉄道に乗れなかったことについて話したとき、多くの人がこう言った。
「それは残念ではなく、ラッキーだったんだよ。1週間も列車に乗って何が楽しいもんか」
旅を続けた。そして、チェコで旧友のヤンに会った。非常に気の会う男で、5年振りに会ったにも関わらず、お互いブランクを感じさせなかったことは前に述べた通りである。旧ソ連を7回も旅したことのあるその友人は、ロシアやロシアで列車に乗ることに対し他の人たちとは全く違う感想を持っていた。
「列車に乗り、景色を見て、何も考えないで、ウォッカ飲んで、寝て、起きて、ウォッカ飲んで、寝て、ウォッカを飲む。そんな幸せな生活は普通に生きていてもなかなか味わえるもんじゃないぞ」
この一言はかなり魅力的だった。ロシアにはいつか必ず旅をしようとは思った。今回は日程的にもルート的にも、ありえない選択肢となってしまったが。。
インスブルクにいたとき、列車待ちの間にネットサーフィンをした。旅の終着地を決めようと格安航空券や各都市の情報を収集した。そのとき、ドイツからエストニアやフィンランドに行く船があることを知った。
エストニアはバルト三国のうち、今回の旅で唯一訪れていない国だった。僕がヨーロッパの飲みのスタイルに初めて触れたのは隣国のラトビアだったので、旅の最後にバルトの国に戻り、陽光で黄金色に輝くビールをもう一度飲んでから帰るのも悪くないな、と思った。
フランスで、親友のイナバに会った。モンサン・ミッシェルを一緒に見学した後、泊まる場所を確保していなかった。会う前はイナバの宿に転がり込もうと考えていたが、オンナノヒトと一緒に宿を取っていたので、遠慮申し上げることにした。宿探しをするのも面倒なので、夜行列車にでも乗ってしまおうと考えた。
調べてみるとフランス各地へ行く夜行列車があった。国際列車も数本あった。行き先に迷っていると、横からイナバが列車の運行表を覗き込み、言った。
「きょう君、アムステルダム行きがあるじゃん。朝起きたらオランダにいるって面白いよ。それに、そのままドイツまで行って船に乗っちゃえば、3日後にはエストニアに着くんだよ。スゴイじゃん。面白いじゃん」
確かに、面白いと思った。忙しく移動することは出来るだけ避けたいという気持ちもあるのだが、朝起きたら全然違う国にいるのも魅力的だと思った。短期旅行の達人であるイナバ師の勧めでもあるので、もしかして本当に面白いことになるかもしれない!しかも、早いうちにエストニアに到達できれば、ロシアを訪問することも夢ではなくなるのだ。。。ロシアに対する気持ちは最高潮に高まった。僕は、ロシアに近づく列車に乗ることを選んだ。
そんな風にして、結局、僕はロシアの手前まで辿り着いた。
モンゴルで苦労の挙句取得できなかったロシアビザも、ここエストニアでは翌日に取得できた。何の制約もなく、あまりの楽さに拍子抜けしたぐらいだ。
ロシアに限らずよくあることではあるが、取る場所により対応の違うビザというものは不思議なものである。そういうところでは、ビザを取るためにはテクニックとタイミングが重要になってくる。
ビザが国としての入国許可である以上、場所により取得条件が違うのはヘンだとは思うが、面白いことだとも思う。ビザの取得条件が場合によって異なることにより、事前にあまり準備をしない僕のような旅人は、足止めをくらうし、ルートの変更を余儀なくされる。しかし、僕はさまざまな経験を経て、こうした理由で予定が変更されることを不運であるとは思わなくなった。何らかの意思が働き、タイミングを制御されており、最高のタイミングが来たときに初めてGOサインが出るのではないだろうか。
シベリア鉄道をヨーロッパに入る準備期間として当初は捉えていた。結果的にその準備期間は取り除かれたが、なかなかスムーズにヨーロッパの文化に溶け込むことができた。アジアばかり旅をしていたためか、ヨーロッパに対して変に身構えていたところがあったのだが、少し大げさに考えすぎていたようだ。
しかし、よくよく考えてみると、ヨーロッパこそがロシアへの準備期間だったとも考えられる。約一ヵ月半の間に、多くの人々と酒を飲み、語り合った過程を通じて、アルコール漬けの国のアルコールまみれの列車を楽しむための下地が作られたに違いない。
それは、ついにロシアビザの申請をした日の夕方だった。結局乗ることの決まったシベリア鉄道との不思議な縁に思いをめぐらせていた。
面白いことがまだまだ、この先にも控えているような気がした。
長い休暇
ロシアに行く前の晩。
翌朝は早朝のバスに乗らなければならなかったので、軽く食事を済ませて早く休もうと思っていた。しかし、この日も酒に捕らわれてしまった。
とてもすいているレストランに入ったはずなのに、なかなか来ない注文を待っている間に、店が満員になっていた。待っている客も多かったので、2つぐらい向こうのテーブルにいた男が、ウェイターに頼まれ僕と同じ席にやって来た。
男はスウェーデンから来ていると言った。一緒にワインを飲もうと誘われ、少し迷ったが、了承した。
男はなかなかの日本フリークだった。寿司や日本企業の終身雇用について立て続けに質問をされ、答えているうちにかなり時間が経った。しかもかなりの飲ませ上手で、いいタイミングで酒を注いでくれるので、気づくと4本のワインボトルが空になっていた。
あっという間に日付も変り、翌日のことを考えるとさすがにヤバイと思い始めた。しかし、非常に面白い男だったので、朝まで喋り続けることにした。起きていれば寝坊することはない。
この男が発した言葉で非常に印象に残るものがあった。僕自身の旅の話をし、2ヶ月も休めるなんていいだろうと言うと、男はニヤニヤしていた。そこで、聞いてみた。
「あんたは何日間ぐらい休みがあるの?」
「For the rest of my life だ」
「えっ?」
絶句した。一生休みだなんて…。
男は莫大な遺産を継いだとかで、財産を持っているという。20年ぐらいがむしゃらに働いたが、ある日突然遺産が手に入り、その日から働くのを止めた。
そんな彼には心の余裕が感じられた。今までに会ったことのあるどの人とも全く違う人生観を持っていた。
何もしなくていいという状態になってもきっと面白くはないと思うので、働かなくてもよい人生を単純に羨ましがるようなことはしないが、彼の持つような余裕のオーラが欲しいと思った。切羽詰まった日々を送らざるを得ないとき、彼のことを思い出すことにしよう。
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