ユーラシア大陸横断(酒の旅)
NASTAROVIA

陽気な人

チェコ南部にバドワイザーの故郷がある。
薄いビールの代名詞のようなビールにアメリカのバドワイザーという銘柄があるが、これはとあるアメリカ人がチェコで飲んだ「ブドヴァイツァー」というビールに感銘を受け、自社の製品にその名を冠したことに端を発するという。「バドワイザー」は「ブドヴァイツァー」の英語読みである。
旅のテーマに合わせて、ぜひとも行く必要があった。

その地をチェスキ・ブドヨヴィスという。チェコに属するが、オーストリアとの国境に近い場所にあるため、僕はオーストリアのリンツから北上して、その町を訪れることにした。その道中で陽気なオランダ人に会い、改めてプラス思考の素晴らしさを知った。

出発する1時間前からリンツ駅で列車を待っていた。その日は終日、雲一つない快晴で目が眩むほどに太陽がまぶしかったのに、駅で時間を潰していると急に辺りが暗くなり、突然の嵐となった。横殴りの雨が待合室まで入り込み、人々はレストランやバーに避難した。あまりに雨が激しいく、雨のあたりが痛い。
この嵐は相当のものだったようだ。翌日訪れたチェスキ・クロモルフという世界遺産の美しい庭園でも、大木が何本もなぎ倒されていた。

列車は予定通り出発した。車窓からの景色は大荒れで凄まじいものであったが、車内は何の問題もなく、滑るようにして嵐の中を突き進んだ。オーストリアの列車はかなりレベルが高い。車内の静穏と窓外の嵐とを、一枚のガラスが完全に隔てていた。
列車はスケジュール通りに、国境の町スメラウに到着した。雨も一応上がり、夕暮れの肌寒い中、乗り換えるべき列車を待つことになった。

30分が経ち、予定時刻を過ぎても次の列車は来なかった。ホームには数人が同じように待っていたので特に心配はしていなかったが、やがて再び雨が降り始めたので、ホームにいた人たちは皆、小さな待合室に入った。駅員の説明によると、チェコ側で線路に木が倒れるアクシデントがあり、列車の来る見込みは全く分からないとのことだった。

そこに居合わせたのは全て旅行者で、オーストラリア人女性、アメリカ人男性、オランダ人高校生2人と僕の5人だった。
初めのうちは冗談を言い合っていたが、やがてオーストリアの女性が不安と焦りで怒りはじめた。自分の不幸さを嘆き、こんな境遇に陥った自分の運命を恨むとまで言ったのには驚いた。アメリカ人はその女性に同調し、東欧やアジアは発展途上のどうしようもない場所だと言い放った。ちょっとした出来事だけでそれだけのことを言う彼らを見て、全く大げさな人たちだと思った。
一方で、オランダ人の高校生は興奮していた。「素晴らしい経験になる」と2人で息巻いていた。僕が「良かったな、このまま行けば今日の宿代が浮くぞ」と言うと、2人はますます喜んだ。

さらに2時間が過ぎ、「今日は列車は来そうにない」との連絡が駅員からあった。アメリカとオーストラリアは、鉄道会社の責任でホテルを用意すべきと抗議をしていたが、とりあってもらえなかった。その代わりに、待合室で宿泊することを駅長が「許可」してくれた。

10時を過ぎ、陽が沈むと、気分も沈んできた。お腹も空いていたので僕は食事をしに行こうと提案した。駅周辺には全く何もなかったのだが、駅長に無理を言って、3km先の最も近い村まで車で送らせた。

一件だけレストランがあり、入ると満席だった。一旦断られたが、5人が空腹であることを身体を張ったジェスチャーで訴えると、席を用意してくれることになった。満面の笑みを浮かべたウェイターに導かれた場所は、ボウリング場だった。小さい村のため、その店が唯一のレストランであり、娯楽施設でもあるようだった。レーンの脇に机と椅子を並べ、なんとも奇妙な食事会が始まった。

その店のメニューにブドヴァイツァーを見つけた。5人分を注文した。やはり、うまかった。思わず、言った。
「アメリカにも同じ名前をつけたビールがあるけど、断然こっちのほうが美味しいね」
アメリカは何か言いたそうな顔をしていた。でも、黙っていた。アメリカのバドワイザーとの差は歴然としている。バドワイザーが商標をめぐってチェコ側から訴えられたというのも、一口飲めば頷ける。バドワイザーというのは、本来は喉越しの良い、美味しいビールなのである。
オランダの2人は、「ハイネケンよりイケる!」と上機嫌で、何度もお代わりをしていた。2人とも16歳であったが、さすがビールの国から来ただけあって、舌が肥えている。

食事を終え、駅に戻ることにした。街灯も何もない道を3kmも歩くハメになったので、アメリカとオーストリアはご機嫌斜めだった。2人は相変わらずのマイナス思考で、「本当に辿り着くのだろうか」とか「遭難した」などと不平をもらしつづけていた。
一方で、未成年2人はかなり酔っており、携帯電話でオランダに連絡を取り、自分が「Great Adventure」をしていると、自慢していた。「すごい体験だ」と興奮し続けていた。

旅をしていると思い通りに行かないことがある。
普段、快適な生活をしていればしているほど、アクシデントが起こったときに受ける衝撃が大きい。
しかし、自分の置かれた状況をどう捉えるかで、少なくとも気分を変えることができるし、場合によっては状況を好転させることもできる。オランダの2人と一緒に不安な気持ちを笑い飛ばしているときに、このことに改めて気づかされた。
プラス思考ができるか、マイナス思考をしてしまうかというのは、過去の経験や育った環境によるのかも知れない。しかし、それぞれの傾向は人に伝播しやすいため、複数で行動しているときは全員がプラスまたはマイナス思考になることが多い。

ふてくされた2人を励ますため、残りの3人で冗談を言い合い、スキップをし、コサックを踊りながら歩いた。すると仏頂面の2人の顔にも、笑みが戻った。こんな状況でふざけるなんて信じられないよ、と言いながらアメリカもコサックに加わった。

5人の笑い声が暗闇の中で響いていた。やがて、光が見えた。

駅だった。

対人距離

旅が長くなると人に対する接し方が変わる。

日本のビジネス界では、初対面では名刺を出して自己紹介をし、「よろしくお願いします」と言うのが普通だが、旅から帰ったばかりなどは、ついつい、「初めまして」と言いながら右手を出して握手をしたくなる。

また、対人距離も変わる。

中学のとき、英語の教科書でこんな一節があった。
「文化によって人と話をするときの距離が違うので、例えば、日本人とアラブ人が会話を始めると、対人距離を長く取ろうとする日本人と対人距離を近づけようとするアラブ人の間に自然な傾向として、やがて日本人は壁に追い詰められてしまう」
対人距離というのは自然に身についた感覚的なものなので、意識して変えることは難しい。アラブ人と話をするからと言って顔を近づけようと意識をしても、少し抵抗がある。

しかし、旅をしていると無意識のうちにこれが変っていることがあるようだ。ロシアのイルクーツクにいたとき、道端で会ったオランダ人に対人距離が近いことを指摘された。彼は東京に行ったことがあるそうだが、道を聞いてもみんなに逃げられ、話をするときも距離をおかれた経験があるそうだ。しかし、僕は突然彼に近寄り、至近距離で話しかけたため、彼は驚いたらしい。指摘されて初めて気がついたが、僕は顔を30cmほどにまで近づけて話をしていた。

旅行中、言葉が通じないと、どうしても伝えようとして顔を近づけてしまう。ヨーロッパでも英語が通じないことが多かったし、ロシアでは通じないだけでなく聞く耳すら持ってくれないことが多々あったので、切符売り場などでは必要以上に顔を近づけていた。
こうした体験が原因だったのだろう。

様々な体験が感覚を変える。人に対しては、感覚的に接するだけでなく、その人の文化についてもある程度考慮したほうがよい。いろいろな文化を理解できる国際派になるか、非常識な人とみなされるかは、体験や経験をどのように活かすかにかかっている。
気をつけねば。

 

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