|
ユーラシア大陸横断(酒の旅)
NASTAROVIA! 日韓共催WC
バーゼルにて。
予定していたパリ行きの列車は深夜1時発だった。
朝、同室の旅人たちと遅めの朝食を取り、宿を出た。二つの美術館に行き、ライン川に浸かっていると、あっという間に夕方になってしまった。
しかしその後はとくにすることもなく、川沿いのバーで地元民たちと軽く飲み、誰もいない映画館で映画を見た。映画が終わるとさすがに辺りは暗くなっていた。まだ夜の10時であったが、駅へ向かった。
列車の出発まであと3時間近くある。夜ということで駅の構内の店も多くは閉まってしまったし、照明が暗いので本を読む気にもなれず、暇を持て余していた。そんなとき、視界に一人の東洋人が目に入った。
典型的な韓国人顔だった。早速、「アンニョンハセヨ」と声を掛けた。異国にいるにもかかわらず突然母国語で話し掛けられたことで彼は驚いていた。そして話し掛けたのが日本人だと知り、もう一度驚いた。
なぜ韓国語が話せるんだと聞かれ、話せるわけではないが隣の国だから興味を持っていて、何度か訪れたことがあると答えた。
彼が言うには、日本人から話し掛けられることはほとんどないとのことだった。旅行をしているとたくさんの日本人が目に付くが、話し掛けられることはあまりないそうだ。また彼のほうから日本人に話し掛けたこともない。
どこの国に行っても日本人と韓国人の旅行者を、よく見かける。でも確かに、日本人と韓国人が一緒に行動しているのを見ることは稀なのかもしれない。韓国人は日本人に比べて自己主張がはるかに強いし、どちらも英語が苦手で、共通言語もない。隣国ゆえに歴史の結果から、韓国では「反日教育」が施されることもある一方、日本では韓国に対する知識やとるべきスタンスをあまり教えられない。
日本人の立場から言うと、一般的には韓国人について「打ち解けにくい」とか「よく分からない」という人が多い気がする。それゆえ「隣国」と言えどもその他の外国と異なった感情・感覚を持つことも少ないのだろう。隣国をライバル視する韓国と、特に感想を持たない日本の間にギャップが生じる所以でもある。
ただ僕自身は、二つの理由から韓国を一番近い隣国として少しだけ特別視している。別の言葉で言うと、親しみを持っている。
1つ目の理由は韓国を知ったきっかけとも重なる。実家ではよくホームスティを受け入れていたが、中2の時初めて、一人で外国人を迎えに行このになった。迎えるべき外国人は2人の韓国人だった。電車で30分ほどのところまで行ったのだが、迎えてから連れて帰って来るまでの間、会話ができず困った。1年以上中学で英語を学んだはずなのに話せない自分にまず驚き、韓国という国が隣にあるにも関わらず、何も知らないことに愕然とした。
2人もほとんど英語を話さなかったが、約1週間の滞在中、徴兵制度やキムチ、テコンドーなどについての知識を得た。このときの経験が自分にとって大きなショックでもあったので、以来韓国と言う国を意識するようになった。また、初めて一人旅をしたときは迷わず行き先に韓国を選んだ。
2つ目の理由は極めて単純なものだ。日本人にとって韓国人や中国人を見分けることはそれほど難しくない。しかし、欧米やアフリカ、さらには東南アジアの人から見てもこのあたりを見分けるのは至難の業らしい。他国の人から見ると日本人も韓国人も同じに見える。確かに広い世界の中で太平洋の西の端にある二つの国家をきちんと認識していない人はたくさんいるだろうし、近い分共通点も多いのだろう。
それを逆手に取ったのが僕の主張である。どうせ同一視されるなら、こちらもそれを前提に隣国と付き合えばいい。日本人も韓国人も太平洋の西端から来た旅行者だと共通の認識を持てば、友達にもなりやすい。だから旅行中、時間をもてあましたりすると僕は日本人だけでなく、韓国人・中国人によく話し掛ける。
少し立ち話をすると、もう11時になっていた。せっかくだから一杯やりますか、という話になって、駅の構内にあるバーに入った。客が誰もいなかったのでまず閉店の時間をウェイターに確認すると、11時半で閉まると言う。
そのとき、その韓国人の男は慌てた様子でポケットに入った有り金を全部出した。
「このコインで買えるだけビールを頼もう。時間がない」
突然、彼はそう言った。スイスは数時間後に出国してしまうので、コインを持っていても仕方がないという考えのようだった。その意見に賛同し、僕もポケットのコインを全部出した。2人の有り金を合せて、7杯のビールを注文することができた。
閉店間際のため、ウェイターは注文した7杯のビールをいっぺんに持って来た。並べられたビールを見て、2人の顔から微笑みがこぼれた。
「カンパイ!」という掛け声が彼の知る少ない日本語の一つだそうだ。それ
を合図に、僕らは残された時間でビールを飲み干すことになった。
一杯目。10数秒でグラスは空になる。いい勝負だ。
二杯目。彼はペースを崩さずに飲む。僕は少し遅れた。
三杯目。僕は日本の意地をかけて、タッチの差で飲み勝った。
残るは2人で一杯のみである。2人は再び笑った。閉店までまだ15分もあった。
お互い、すごいペースで飲んだ理由は、相手よりも一杯多くのんでやろうという気持ちであったが、ペースはほとんど変らなかった。最後の一杯は2人で分け合うことにした。半分ずつ、最後のビールをゆっくりと飲み干した。
日韓共催のワールドカップは、双方が満足する結果となった。
決着はつかず引き分けとなったが、またいつでも勝負をしようじゃないか!
◆「ワサビと唐辛子―受け身の日本人、攻めの韓国人
その強さと弱さ」
(呉善花 著 祥伝社 1997)
バリアフリー
バリアフリー、という言葉がよく聞かれるようになって久しいが、その言葉にあまりピンと来るものがない。確かに、地下鉄などは次々とエレベーターを設置しているし、デパートなどでも車椅子で通りやすいように工事が施されている。
でもそれを使っている人を直接見ることが少ないためか、自分自身の意識はあまり変っていないような気がする。身体障害者の率は日本では全人口の 2.8%であるとのことだが、 2.8%も見かけないということは、身体障害者がまだ外で活動しにくいということなのではないだろうか。勿論、設備の問題だけでなく、彼らを見る目というのも原因であろうが、とにかく、まだまだ身体障害者にとっては生活しにくいのだろう。
スイスやオーストリアなどを旅していて、ふとこんなことを考えた。
ヨーロッパのバーに入るのに全く段差がないわけではない。バリアフリーという観点から町を見ていなかったのでどの程度そうした考えが進んでいるのかも、全く意識しなかった。
しかし、「身体障害者との付き合い」という意味で印象に残る場面に何度か出くわした。
ある日。
いつものように目についたバーで人々と飲み、会話を楽しんでいると、外から陽気な声が聞こえた。
「お〜い!飲みに来たぞ!」
声の主は車椅子に乗っていた。声を聞くと店の人はすぐに入り口へ向かい、また、入口付近の客は車椅子の客を店に運ぶ手伝いをした。当り前のことが当り前のように行われていた。車椅子の客は他の客たちとともに、浴びるように酒を飲んでいた。
また別のある日。
杖をついた老人が歌いながらバーに入ってきた。彼は盲目だった。その姿を見つけると、客のうちの数人が入口からカウンターまで彼を導いた。
身体障害者を見かけ、接する機会を短期間に何度も持った。そこにはバリアはなかった。
◆文中の「身体障害者の割合」はこのページで知りました。
◆「五体不満足」(乙武洋匡 著 講談社 1998)
| トップページへ | フランスへ
|
|